名はギン

第十一話 無能力者の挑戦

 けものに何度も吹き飛ばされてできた、アザやかすり傷、銀司ぎんじの体はどこもかしこも痛んでいた。


 銀司の目の前には腹部を半分に切られたウルフが横たわっていた。これは銀司が食われそうになる寸前、バレットが助けに来て獣を真っ二つにした成れの果ての姿だった。バレットがあと数秒でも遅れていたら、銀司は今頃、腹の中にいたのかもしれない。


 銀司はバレットに支えられながらの根元に腰を下ろし、所持品から小瓶こびんに入った緑色の回復薬を取り出して、それを一気に飲み干した。

 回復薬のおかげで、体にできた細かい傷や耐久力(ヒットポイント)は徐々に戻りつつあった。しかし、獣から受けた強い衝撃はありありと体に残っている。これは回復薬でも解決できない戦闘の傷だ。


 「どこをやられた?」怪我の具合をバレットが尋ねた。


 「もろに腹をやられたんだ」


 銀司は自分のお腹をさすった。傷というより体の中の臓器をやられた感覚に近い。

 バレットは銀司の腹の様子を見て、銀司の腹に手を当てて魔術の詠唱えいしょうをはじめた。バレットの手の周りは白く優しい光に包まれて、治癒の魔術が始まった。

 銀司は腹部の痛みが徐々に和らいでいくのを感じた。


 「応急処置に過ぎない。あとでしっかりケアしておけよ」


 「ああ、ありがとう。……で、そっちのウルフの群れはどうだったんだ?」


 「報告通り、数は多かったな。こいつみたいにあと何匹は逃げられちまった」

 

 バレットは自ら大剣で倒したモンスターの死骸を見て言った。

 この種のモンスターは『けもの』という。種属名はウルフ。銀司がこの世界に転生してから初めて出くわした、忘れることができない苦い思い出のあるモンスターだ。

 群れることなく、単独で生息する個体だったはずが、最近になって大きな群れで活動するなど目撃情報がスラム街に面する森で頻発していた。


 銀司は重たい身体を持ち上げて落ちている自分の短剣を拾い、真っ二つになったウルフに近づいた。それからさっさと、モンスターの腹部を引き裂き始めた。

 既にグチャグチャになっている死骸だが、すじが硬くやいばが押し返される。分厚い筋肉の塊は野生的で、固まった血を切っているようだった。

 ウルフの腹部から内臓がブワッと飛び出た。銀司は体に血を浴びた。それでも、お構いなしにどんどん作業を続けていく。


 「けもの系のモンスターは一段と匂いがキツイ。よく平気でいられるな」


 バレットは、黙々としている銀司を見て、渋い顔で言った。


 「俺は戦闘じゃ使い物にならないからな。このくらいは我慢だ」


 と、銀司はこたえた。


 この世界ではモンスターを倒すと、そのモンスターから素材そざいを得ることができる。しかし、ゲームのように勝手にドロップされるわけではなく、倒れたモンスターから自力で取り出さなければ、素材は手に入らない。だからこうして、モンスターが倒れた後、素材を取るために解体作業が必要なのだ。


 銀司が異世界に飛ばされてから、3ヶ月が経とうとしていた。バレットに付きわれながら、能力を上げようと必死で特訓に励んでいた。転生者に付与されるはずの特殊能力はまだ身に付いていないが、特訓のお陰か、この世界のお陰か、目に見えて身体能力は強化された。しかし、まだ、冒険者を名乗れるほど高くはなかった。


 銀司は何とか異世界で生きる方法を模索した。ある時、解体屋という存在を知った。解体屋は、モンスター討伐後、素材を得るためにモンスターの処理を任せられる、冒険者パーティーの一角だ。効率よくダンジョンの攻略を進めるには必須の役割だが、人数に余裕がなければ、解体専用の役割を設けないパーティーも多くある。故に大型のパーティーでは専門的な役割を任せられることが多く、職人のような立場だ。


 また、冒険者パーティーだけではなく、解体屋として店を構える者もいるなど、一つの職業としても名が通っている。パーティーでは前衛・後衛、治癒役といった役割に並ぶほど一般的ではあるが、冒険者に比べて地味な上に、汚物を扱う汚れ役としてのイメージが高く、人気はあまり無いのだ。

 銀司は戦闘能力を高めるかたわら、この解体屋に目を付けて、バレットに教わりながらモンスターを解体する技術を身に付けていった。


 バレットもはじめの頃は、戦闘の面倒な後処理あとしょりを押し付けたかった下心もあったろうが、思いのほか銀司が解体作業に食い付いた為、習い始めることになる。始めの頃はバレットが教えてやり、やがて、ファミリー所属の解体屋の元で本格的に学ぶことになった。

 解体の腕が立てば、一流冒険者からのパーティー同行の依頼や、街で店を開いて解体を請け負うなど、地味ながらも割のいい仕事が見込める。

 銀司は何故この職業が人気がないのか疑問に思うほどだった。


 解体が終わると獲得した素材をバレットと分けて背負って、森を抜けた。ひらけた丘の上に出ると、目の先には、広大な王都サヴィーロの街が広がっていた。

 丘の上から見渡す王都は壮観そうかんで美しい都市だった。上から眺めてみると街の構造がよくわかる。

 王都の中心には一際ひときわ大きな王宮が構え、そのひざ元にあるのは一部の富裕層や上流階級者が多く住むエリアだ。その周りを外と内を仕切るように高い壁で囲っている。

 街は円形に広がり、王宮を中心に放射角ほうしゃかく状に八本もの道が街に通っている。王都にある大通りの全てに共通して、中心地の方に向かって、道の先に王宮を見ることができるが、その理由は放射角状に王宮へ道が伸びている構造になっているからだった。


 立派な建物が続く王都の街の外れに、遠くから見て分かるようなさびれた集落がある。その場所だけ、一味違う異彩を放っているのだ。そこは、ファミリーの拠点であるスラム街だった。貧富ひんぷの差というものは分かっていても、いざ現実を見てしまうと何とも言い難い気持ちになる。


 王都まで降りてきた二人はバレットの大剣のメンテナンスのために日頃、世話になっている市街地近くの武器屋に寄ることにした。

 王都の市街地から、細い道を縫っていかなくてはならず、少々分かりにくいところにある。だが、人があまり立ち寄らなそうな立地は、マフィアにとっては都合がいいのかもしれない。

 店構みせがまえは、武器屋だと言われなければ気づけないほど、殆ど何も装飾そうしょくされておらず、古びた木のドアに店名の書かれたタグが下げられているだけだった。


 バレットがドアを押すと、ギギギィと音をたてて開いた。店内はおもてとは違い、コレクター好みの雑貨屋のような雰囲気で、多種多様な武器がゴチャゴチャと置かれていた。商品が棚から溢れ出し、人一人通るのがやっとの幅を足元に気をつけて進んだ奥に、ぜい肉をたっぷり付けた店主のゴルベックが盾をみがいていた。

 ゴルベックは二人に気付くと、


 「よぉ!いらっしゃい。今日は新入りの兄ちゃんも一緒か」


 と、笑顔で迎えてくれた。銀司はそれに「こんにちは」と元気よく挨拶した。


 店主のゴルベックは武器商人でありながら、自分の手で武器を造り続けている、職人でもある。武器に対してのこだわりが強く、ゴルベックは職人にも関わらず、武器の材料となる素材を自ら取りに出てしまうほどだ。その探究心は、上級の冒険者でも立ち入ることが難しいところにまで素材を追い求め飛び込んでいく、ひと呼んで武器狂ぶききょうなのだ。


 とことんこだわった武器には、自身の実践経験も武器造りに活かされていて、癖もあるが、店を利用する冒険者からの信頼は厚い。その証拠に、顧客はだれもが実力者であり、変わり者の冒険者が多い。


 最高の武器のためなら危険をかえりみない彼は、スラム街で希少な素材を取り扱っているという情報を耳にして、ファミリーの管轄かんかつするスラム街の店へ直接出向いたことがある。この時に出会ったのがバレットだった。

 戦闘狂せんとうきょうのバレットは、これまた武器狂ぶききょうのゴルベックと気が合い、希少な素材を提供する代わりに戦闘で使える武器を造るよう、約束を交わしたのだ。

 バレットとゴルベックはその時からの仲で、バレットいわく、王都の中で最も信頼できる武器職人だという。


 「俺の剣を見てもらいたいんだが」


 バレットは背中に背負っていた大剣をゴルベックに差し出した。大剣を受け取った彼は、バレットがさやの代わりに巻いている布をがして、現れた刀身とうしんを眺めた。やいばを見るゴルベックの目には鋭さ宿やどり、いつの間にか、職人の雰囲気になっていた。


 「刃こぼれは酷いが、壊れているわけじゃない。磨けばいいだけだから、今日中に終われるぞ」


 「本当か。それなら今から頼む」


 ゴルベックは、バレットから受け取った大剣を店の奥の作業台に置いた。


「あと今日はこれも渡したかったんだ」


 バレットは銀司が背負っている荷物に目線を向けた。銀司は荷物の中から、袋を取り出してゴルベックに渡した。


 「おお、ウルフの牙か。それにこんなにいっぱい。どれも質が良さそうだ」


 「群れでいたんだ」


 「珍しいな。ウルフといえば単独行動が基本じゃないか」


 「そうだよな」


 「何か問題発生か?」


 「わからない。まだ調査中だ」


 「そうか。素材は大事に使わしてもらうよ。ありがとな」


 ゴルベックは笑顔で受け取ると、棚にしまった。バレットはおもむろにポケットからタバコを取り出しくわえた。


 「武器でも見て待っててくれ」


 「ああ、そうさせてもらう」


 時間がかかりそうなので、銀司はバレットの刀を武器屋で磨いてもらっている間に、素材屋で素材を売りに行くことにした。素材屋では、素材を売り買いし、また、素材同士で交換できる店だ。

 銀司はゴルベックに別れを告げてから武器屋を出た。


 店を出て裏道を奥へ進むと3つに道が分かれた。そのうちの一つに進むと、さらに道幅が狭くなり、路地ろじのようになった。路地を出ると、別の裏道に繋がった。

 この裏道にはいくつか商店が開いていた。装飾された外壁は、統一感がなく、この自然な感じが銀司はとても良いと思った。王都の中心部のおもて通りに並ぶ石造りの西洋風のおしゃれな建物はどれも生活感がないように思えてしまうが、裏の道に入ると、自由に装飾された外壁、ストリートな店構え。路地特有のデコボコ感が表の通りにはない街の雰囲気を出している。


 途中、数人とすれ違ったが、顔に傷跡がついている男や目の下まで布で顔を隠している者など、悪人のような人間ばかりだった。周辺にはカジノのようなごとを楽しむ店があると聞いた。恐らくこの者たちはその店の客だろう。

 カジノ街から少し離れたところに、目的の素材屋はあった。道幅を塞ぐように看板が立てかけられていた。看板にはシンプルに『素材屋』という意味の文字が書かれていた。


 店は地下にあり、看板の横の階段を降っていく。店構えはシンプルな看板と下る階段のみでは、一見いちげんではなかなか入りずらい店だ。銀司が来たのは初めてではないが、バレットに紹介してもらってから一人で訪れたのはこれが最初だ。


 店内は照明が少ない店で、陳列ちんれつされた商品よりも獣類のモンスターの剥製はくせいに一番明かりが強く当てられている変な店だった。

 店番をしているのは年老いたババァで、魔女のような不気味なビジュアルをしている。銀司はウルフの素材を手早てばやく売って、気味の悪い店を足速あしばやに出た。

 早く用事が済んでしまい、時間を余らしてしまった銀司は、まだ通ったことのない裏道の散策をすることにした。


 何気なにげなく歩いていると、銀司は知らぬ間に考え事をしていた。

 銀司はこの世界にきてから常識や文化、風俗など多くのことを学ぶために、時間があれば街に出ることを習慣しゅうかんにしていた。買い物したり、飲食店に入ったり、今までいた世界と似たような生活を送っていた。

 モンスターが生息していて、人間が異常に強かったりと、元いた世界と特異点は多いが、言語は通じるため、元の世界の日常を忘れてしまえば、あまり不便には思わない。

 

 昼から酒を飲み、騒いで、眠くなったら寝る。異世界こっちの人間は大体このような生活を送っていた。何とも堕落しているように思えるが、冒険といった異世界での仕事はどれも命懸けのものが多い。そう思えば、日常の堕落など些細なことだ。銀司も順調に馴染み始めている実感があった。


 裏道を進むと、表通りへの出口が見えた。銀司はここで何やら違和感を感じた。原因の分からない違和感にソワゾワした。初めてきた場所だと思って歩いてきたが、どうやら違うようだ。

 路地の先は大通りだ。その大通りを人影が通り過ぎる影が見えたときだった。頭を後ろに引っ張られるようにして、記憶がよみがえってきた。


 転生した場所だ!!


 銀司の感じた違和感の正体はデジャブだった。初めてこの世界の地面を踏んだのはこの場所なのだ。道理どうりで覚えがあるはずだ。当時のことは細々と覚えていないが、同じ場所であることは確実だった。薄暗い湿った空気も、両側の建物の壁も既視感がある。


 積みあがった木箱も———、と木箱を見ると、木箱の間に何やら人影がうずくまっているのが見えた。銀司はドキリとした。木箱の隙間は大人一人が入れる広さではない。子供だろうか、銀司は怖くなって一歩下がったが、その後に来た、好奇心なのか、正義感なのか、には勝てず木箱に近づいてしまった。


 覗いてみると、木箱の影に隠れていたのはブロンズヘアの少女だった。

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