第六話 ファミリー

 翌日、銀司ぎんじは目を覚ますと、違う部屋の違うベッドに寝かされていた。

 六つにベッドが並んだ複数人が使う部屋とは違い、一つだけのベッドに加えて、木製の棚や姿見すがたみが置かれている一人で使うための部屋だった。


 上半身を起こそうとしたところ、全身の痛みがストッパーのように動くことを拒否してきた。しかし、その痛みが現実のものとして、異世界に居るという確信にもなっていた。銀司は目をつむり呼吸を整えた後、痛みをこらえながら、のっそりとベッドから降りた。部屋をもう一度見渡してから、扉を開けて外に出た。


 「やっと起きたか」


 銀司は声がする方に顔を向けると、バレットが扉の横の壁に寄りかかって待っていた。


 「まだ痛むか?」


 「多少は」


 「まだ痛むかもしれないが気分転換に、外にでも出ないか」

 

 バレットの提案に銀司はうなずいた。彼に付いてゆくことした。 

 銀司は彼らに助けられてからの生活をベッドとトイレの往復だけで送っていたため、建物の中をじっくり見回ったことがなかった。

 内装はベージュ色の石張りで、所々それが欠けていたり崩れたりもしていた。絵画がいくつか飾られていて、見た目の美意識や芸術文化がこの世界にもあるらしかった。

 ただ、壁にはそれだけではなく、血痕のような赤い跡がいたる所に残っており、銀司はそれを見て引いてしまった。


 廊下を進み、赤い汚れたカーペットが敷かれた階段を降りると、踊り場で銀司は足を止めた。充分なスペースがある踊り場の中央には、三メートルほどの高さの石像が立っていた。つえをついて、髭を生やした老人の肩には翼を広げた鳥がとまっている。まるで幾多いくたの大陸を渡り歩いてきたような仙人の姿をしている。

 銀司は石像から放たれる、貫禄のある覇気を感じた。この石像が何者かは知らないが、単なる力強さではない別の迫力を持っている。

 杖には装飾品が外れた形跡けいせきがあり、それが銀司には気になった。


 バレットと銀司は階段を降りると、広く取られた空間に出た。正面には立派な扉がかまえていた。どうやら、ここが事務所の入り口らしい。

 扉の近くには見張りと思われるスーツ姿の男二人が、椅子に腰かけて、煙草を吹かしながら暇を持て余していた。二人はバレットに気付くと軽い会釈をして、「お出かけ?」と尋ねてバレットは「ああ」とだけ答えた。

 見張り役の一人が立ち上がり扉を開けた。


 外の世界は、空に爽やかな青色が広がり、気持ちの良い春の陽気だった。

 事務所から一歩出たところで、二人の前を汚れた布切れのようなものを着た少年が通り過ぎた。二人とも十分に食べれているとは思えない痩せ具合で、手には生肉の塊のようなものを大事に持っていた。少年らが走り去って行くのを見て、銀司は怖気づいてしまった。不安そうな銀司の顔を見て、バレットが言った。


 「お前がやられたように、この街にはいろんな奴がいる。この地域は俗にいうスラム街ってやつだな」


 「……スラム街」


 危険なところだとは分かっていたが、まさかスラム街だとは思わなかった。数日の間、身を置いていたのかと思うと、あとからゾクゾク背筋に寒気を感じて、怖気おじけづいてきた。銀司は昨夜、外へ飛び出した時から独特の雰囲気が漂う不思議な街だなと思っていたが、まさか自分がここ数日の間スラム街に居たとは思ってもみなかった。


 スラム街は、同じ形をした3~4階建ての建物がいくつも並んでいた。建物の窓ガラスは所々割れていて、ベランダに服や布類が乾されているほかに、武器や装備などが置かれているのが見える。

 昼間の時間帯の割には人通りが少なく、全体的に閉鎖的へいさてきな雰囲気があった。空気がドロンとしていて活気がない。昼と夜では街の印象は変わることは往々おうおうにしてあるが、この街においては余り変わらないように思えた。


 道端には座り込んでボロボロのタバコをチョビチョビ吸っている男や、設置されたテーブルでチェスのようなボードゲームを大人たちがたくを囲ってプレイしていた。


 「俺らはこの街を、そして王都の方にある歓楽街かんらくがいの一部を仕切っているんだ」


 と、銀司の前を歩く金髪の青年は言った。

 『仕切っている』とは、いかにも権力者側の発言だ。バレットは昨夜、自分たちの事をマフィアと言った。この告白に銀司はいままで優しくみえていた彼のことが分からなくなっていた。

 銀司はバレットに恐怖を抱えながらも意を決して質問した。


 「マフィアだというのは本当なのか?」


 「お前の世界にはマフィアは居ないのか?」


 質問を質問で返された。


 「見たことはないけど、多分いると思う」


 「そうか。そっちの世界のマフィアはどんな感じなんだ?」


 「犯罪者のイメージ……、でもオシャレでかっこいい」


 「なら同じだな」


 と言って、バレットは笑った。


 「マフィアなんてものは、本来、他人に名乗るようなものではない。ただ、お前はどうやら特別な客人きゃくじんらしいからな」


 「マフィアは……生活から、かけ離れ過ぎてよくわからない」


 「こっちの世界だって同じさ。俺らだっておもてにはあまり顔を出さない」


 映画で登場するマフィアに対するイメージしか持ち合わせていない銀司は、バレットの質問にぼんやりとしか答えられなかった。だから、もっとマフィアについて、いや、彼らについて知りたいと思った。


 「その……マフィアっていうのは、人を殺したりするのか」


 銀司の純粋な疑問にバレットは思わず笑ってしまった。銀司は大真面目に聞いたはずが、変な質問になってしまったのだろうか。バレットの笑ったその余裕ある顔が、また銀司を怖がらせた。


 「そうだなぁ。あるか、と聞かれれば、それは、もちろんある」


 銀司は目を歩いている青年を見つめた。


 この人は人を殺したことがあるのか……


 と、銀司は頭で恐怖をかみしめた。顔には出してないが、この人たちを怒らせれば今度こそ命はない、と緊張感がキュッと体を締め付けた。


 「俺が、これまで会ってきたのは、全員マフィアだった、と?」


 「そうだ。俺らは家族ファミリーだ。血は繋がりはないが、家族ファミリーのようなものさ」


 家族ファミリー。その言葉の響きもマフィアっぽい。


 「あの坊主頭でイカツイ人は……」


 「ああ、モーガンだよ。スラムで俺ら、クラードを指揮ひきいている」


 やはり、彼がリーダー格のようだ。一目でわかってしまうほど、格別のオーラ―を放っていた。


 「昨日みたいに逃げるか。今だったら昼間だし、まだ安全に逃げれるだろ」


 「いや大人しくしてるよ。助けてもらった身だし、他を当たるツテもない」


 やはりこのバレットという男は、気楽というか、世の中に悪という根を張ったマフィアのイメージとは少し離れた、少しおちゃらけた感じがする。銀司は恐怖と緊張感を持ちながら、身近でもある気がした。


 「それは良かった。若もひと安心だ。俺は転生者なんてものはよく知らないから、何か聞きたいことがあったら若に聞いたらいい。何だか色々知ってそうだったからな」


 「アンタに助けれていなければ、俺は殺されていた。だから、しばらくはアンタらに従うよ」


 「ふん、……では改めて挨拶をしよう。バレットだ。よろしく」


 急に銀司の方を振り向いて、バレットは片手を差し出した。


 「沢村銀司。こちらこそよろしくおねがいします」


 と、二人は握手を交わした。バレットの手からは力強い筋肉に、若くして研鑽を積んでいる者の強さみたいなものを感じた。

 このとき、銀司の中でバレットという男は信頼できる男だと直観した瞬間だった。そして、何故か、彼は俺の事も信頼してくれていると思えた瞬間でもあった。

 

 「サワムラギンジか……。じゃあギンでいいか」


 「ギン?」


 「ああ、その方が、こっちの世界なまえっぽい」


 銀司は頷いた。

 バレットと交わした握手も、この一連の会話も、聞いたこともない異国語をまるで母国語を話しているかのように、言葉がスラスラと出てくる。この異様いような数々に、異世界に来たのだと銀司は改めて実感させられた。

 そして、特殊な状況でも、受け入れて理解しようとしている自分は案外、物分かりが良いのかもしれないとも思った———。


 バレットは歩きながら家族ファミリーのこと、そしてスラム街のことを色々と話してくれた。

 バレットの話はこうだった。

 スラム街は王都を追い出された連中が少しでも王都の甘いみつを吸おうと、王都の端っこに街をつくったのが始まりだった。それから時間が経ち、他国からの移住者が続々と移住してきたことで、今のスラム街が出来上がったのだ。

 王都はスラム街を黙認した。不届き者や貧困層を押しつけるという意味でもスラム街は王都にとって必要だったのだ。


 街はで成り立っている。王都の治安維持の為に課せられた厳しい規制を外れた分、スラム街は治安は悪いが自由だった。そのため、銀司が夜中襲われたように事件も起こる。

 だが、それらは全て実力という杓子定規しゃくしじょうぎの上で街が成り立っている。事件を起こされるのは能力が低いから仕方がない。襲われないためには常に相手より上でなければならないという、極めて弱肉強食であり、ある意味で自然界に近い街だ。


 そして、このスラム街を支配しているのが、バレットも言っていた通り、クラードファミリーなのだ。スラム街に存在する数ある集団において、実力でこのスラム街を昇りつめた組織なのだ。


 「運が悪けりゃ、殺しにも遭うからな。注意しろよ」


 恐らくバレットは昨夜のことを言っている。


 「もう怪我するのも、見るのも、うんざりだ」


 銀司は部屋に担ぎ込まれてきた重症を負った彼らの事を思って言った。


 「いきなり派手な怪我人見たからな」


 バレットは笑いながら言った。決して笑い事ではないと銀司は思ったが、もしかしたら彼らにとっては日常なのかもしれない。


 「あの人たちはなぜ、あんな怪我を?」


 銀司の問いにバレットが静かに答えた。


 「ああ、あれはでやられたんだよ」


 「……ダンジョン?」

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