第二話 異世界へ!

 光りに包まれた銀司ぎんじは、まるで光の中を彷徨さまよっているかのようだった。自分の身体はどこかへ行ってしまったのか、まったく感覚がない。ただ、意識だけはハッキリとある。

 やがて、周りの光が薄くなり、完全に消えてゆくのをギュッと閉じていたまぶたの裏で感じた。次第に体の感覚が戻ってきた。

 足の感覚が戻ったとき、すでに足の裏で地面を捉えていた。

 続いて温度や湿度、匂い、視覚以外の感覚器官が空気の変化をキャッチした。銀司はつむっていたまぶたをゆっくりと開けた。


 「……ん?暗い?」


 明らかに、銀司がいる場所は、たったの先ほどまで夕日を眺めながら項垂うなだれていた歩道橋の上ではなかった。生ものが腐敗ふはいしたような臭さが鼻をついた。

 銀司がいるのは薄暗い両側の壁が迫ってきそうな圧迫感のある狭い空間だった。


 「なんだ、ここは?」


 壁には締め切られたガラス窓が等間隔とうかんかくで付いていた。両壁の上には、屋根が飛び出して、そのわずかな隙間からは空がのぞいていた。室内ではないようだ。

 銀司の目先に腰の高さほどの箱が2〜3個、乱暴に積まれていた。足元には泥だらけになった布切れが落ちている。足を動かすとグチャとした。地面は石のブロックが所々に敷かれているが、補装されているまでとは言えないほどだった。前方には光が漏れて光の出口になっていた。銀司が立っているのは、狭い道らしい。


 前方の光が何かの影に遮られた。その影がどんどんこちらにせまってくる。影の正体は全速力で走ってくる男だった。


 「どけ!!」


 走ってくる男に怒鳴られて、銀司は身を引いて避けようとしたが、相手の肩と肩が当たってしまった。銀司は尻餅をつくように倒れた。


 「邪魔だ!」


 男はそう吐き捨て、走り去っていった。


 「っ痛。一体何なんだよ」


 銀司は立ち上がった。

 理不尽に突き飛ばされた銀司は男に対して一瞬の強烈な嫌悪けんおを感じたが、男が走ってきた光の方向に何かあるに違いないと思い、気持ちを切り替えて歩きはじめた。

 光の元にたどり着くと、燦燦さんさんとした日差しに銀司は思わず目を閉じてしまった。

 ゆっくり目を開けると、ジメジメした寂しい場所から一転、真夏のような太陽が照りつける人が盛んで賑やかな通りだった。銀司は呆気あっけに取られた。そこには、いつかのアニメやゲームで見たことがあるような歴史ある西洋の雰囲気が漂う建物がズラッと並んでいた。


 「うわぁ、すげぇ……」


 画面のなかでしか目にしたことのない街の風景に銀司は圧倒された。レンガや石造りのレトロチックな建物が続き、とても日本とは思えないものばかりだった。遠くのほうにも同じような建物が見えるため、テーマパークに来たという生易なまやさしいものではないと覚悟した。


 銀司は通りに人が群がっている場所が目についた。通りの真ん中で何かやってそうだ。行く当てがない銀司は、人に聞いて回ろうと思い、人だかりのほうに向かった。

 人で賑わっていたのは、市場いちばのようだった。大きく横に長いテントが張られ、その下にいくつもの店が集まっていた。食べ物を売っているのか、所々に湯気が立ち昇っている。


 銀司は声をかけようと周りを見た。しかし、驚いたことに通りの市場にいる人たちも、現代人とは雰囲気の異なる、それはいつか教科書で見たような、昔の西洋的な服装に身を包んでいた。

 男性は2サイズはオーバーしていそうなダボっとした白のワイシャツに、襟は15センチもありそうなもので、銀司からすると、冗談かと思うような服だった。胸元までボタンを開き、腰には腹巻のようなものを巻いている。女性はふわりとしたボリュームのあるスカートが特徴の白のドレスの上から、深緑色や赤色の色の付いたベストを着ていた。

 まるで、ハロウィンの仮装集団のようで、テーマパークに連行されたとしか思えないような光景だった。

 

 銀司は訳がわからず、何か手掛かりを探しに通りの市場へ銀司は恐る恐ると足を進めた。

 市場に入ってすぐにあるは雑貨屋だった。店の前に置かれた姿見鏡すがたみに映った自分の姿が偶然目に入った。銀司はその姿を見て、驚嘆きょうたんした。そこには白い布を上から羽織っただけのような、服を着た自分が映っていた。銀司の服装は見事にこの街の仕様になっていたのだ。銀司は鏡に映る自分と、服を触りながら実際の姿を比べた。


 「なんだよ、これ。今日はスーツだったはずだろ……」


 銀司は鏡の前で立ち尽くした。そして、鏡に映る自分の顔に何か違和感を覚えた。目と口、鼻や眉毛も輪郭りんかくはまさしく、全て自分の顔だ。しかし、頬の肉の付き方がシャープになっていた。目元に出来かけていたクマが消えて、凛々りりしく、選考で落ちた自分の顔とは違い、イキイキとした生気のある顔が映っていた。

 鏡に夢中になっている銀司に、雑貨屋の奥から店員の男が声をかけてきた。


 「nanika osagashi desuka?」


 銀司は緊張したのか、咄嗟とっさに言葉が出た。


 「iya nandemo arimasen」


 と、自然に返したつもりだった。

 しかし、すぐに気が付いた。銀司が自分で話した言葉は、日本語ではない、全く知らない言語だった。それが反射的に口から発せられたのだ。銀司は自分自身に驚いた。


 今のはなんだ?俺が喋ったのか?


 銀司は怖くなって、その場から走って逃げだした。

 人混みをかき分け市場を抜けると、中央に大きな噴水が置かれた広場に出た。噴水は壮観そうかんだった。百獣の王の背中に大きな翼が生えた像を頂点に獣たちが群がり、その四方から水が噴射されている。銀司が知っている、どの噴水よりも迫力があった。

 噴水の背後には、高潔こうけつそびえ建つ大きな宮殿が見えた。それはテーマパークにあるものとは一回りも二回りも大きく、威厳いげんを感じる立派なものだった。

 銀司はこの見慣れない光景に、受け入れるしかない、自分の無力さを感じざる得なかった。


 広場には、ちらほら人がいた。周囲から聞こえてくる人々の会話の言葉も日本語ではなかったが、不思議なことに意味がスーっと頭に入ってくる。

 広場にいる人たちには、身体を覆う大きく派手やかなスカーフのようなものを体に巻いている人のほかに、タキシードのような恰好をした者もいるが、どれも現代で、街中で着こなすような服装ではなかった。

 彼らはどこか陽気で、飲み物を片手に大きな声でしゃべっていた。


 明らかに銀司の住んでいた日本ではなかった。これは、異国、それも地球の匂いが一切排除された、地球ではない地球に似た、異なる世界に居るのだと銀司は感じた。知っている人も言語もない。信用できそうな者など一人もいない。人とすれ違うだけで、自分を疎外されているように思えてきた。銀司はたまらず駆け出した。


 横道よこみちを抜けて、テキトーに建物の角を幾つも曲ると、やがて舗装ほそうされていない土の道に出た。徐々に人の数も減り、銀司は心なしか安心した。銀司にとっては街も人も怖かったのだ。


 次第に樹々きぎが増えてきたと思えば、緑が生い茂る森に入っていた。銀司はすでに街を抜け出していたのだ。ひとけのない自然は、街中とは違った不安にさせる。銀司はその不安をかき消すように行く当てもなく歩いた。まるで本能がそうさせているように進んだ。




 ……もう随分と歩いた。砂利が辛うじて敷かれているが、長らく人が使っていないような森の道を、銀司は両側から飛び出る草木をかき分けながら、途方もなく進んでいた。辺りはすっかり建物の影もなくなり、どこもかしこも緑が覆っていた。


 銀司はふと、前方の繁みの奥から何か気配があることに気が付いた。その気配は徐々に銀司へ近づいているようだ。その気配は、人間ではない生き物の大きな存在を感じるようなものだった。

 銀司は近くに生い茂る背の高い草の間に隠れて様子をうかがった。茂みの中からその正体が姿を現した。その正体は四足歩行の灰色の毛が生えたオオカミ生き物だった。


 銀司は息を殺して通り過ぎるのをじっと待った。銀司が見たのは、オオカミよりも明らかに大きく、歩行の状態でも銀司の身長と同じほどの高さのあるけものだった。

 オオカミのようなりんとした静けさはなく、干ばつ地帯でお腹を空かせている、肉食獣の雰囲気だった。見つかれば食われる!銀司の野生的な直感がそう言った。獣は銀司の近くで立ち止まった。


 やばい。見つかっ……


 心臓がキュウウウウと縮こまる。まるで生きている心地がしない。しかしその時だった。


 ギィィィィィ!!!


 上のほうで生き物の鳴き声が聞こえた。

 獣が顔を見上げた。銀司も静かに上を見上げると、そこには空を飛ぶ大きな鳥のような生き物が旋回せんかいしていた。いや、鳥というよりは空飛ぶ恐竜のプテラノドンに似た姿をしている。見たことのない生き物だ。まるで映画の中にいるようだった。


 獣は空を見上げただけで、再びノソノソと進み始め、銀司から離れて行った。どうやら、飛んでいる鳥獣ちょうじゅうに気になっただけで、銀司には気付かなったみたいだ。

 銀司は腰をドカっと地面におろした。いつの間にか止めていた息を吐いた。ハアハアと息をした。数分ぶりに酸素を体の中に入れた気分だった。

 銀司の足はまだ震えていた。銀司にとっては生まれて初めて感じる命の危険だったのだ。心身共に疲労困憊ひろうこんぱいしていた。


 とにかく安全なところに行かなくては……


 そう思った銀司だったが、目に入ってきたものに愕然がくぜんとした。身を潜める茂みの遠くの正面から、先ほどと同型の獣がこちらを向いていた。


 「マジかよ……」


 銀司が反応して動き出した時には、すでに獣は銀司の存在に気付いていた。銀司は一目散に走り出した。

 銀司は生きるために走った。後ろから遠吠えが聞こえた。向かってくるのが分かる。ツタや石ころに何度も足を取られそうになるも、それでも転ばないように懸命に踏ん張りながら足を動かした。


 幹や草木、倒木とうぼくを使って、銀司は獣を巻こうと試みる。遠くから襲ってきた猛獣とはまだ距離がある。前方に大きな岩が見えてきた。銀司はその岩の後ろに回り込んで身を潜めた。


 「はぁはぁはぁ」


 肩で息をしている銀司は、自分の心臓の鼓動こどうのせいで獣が追って来ているのか判断が付かない。

 岩の影から様子をうかがった。その瞬間、身を潜めていた岩が目の前で二つに割れたのだ。


 「ぐわっ」


 銀司は後方に飛ばされ、身体を地面に打ち付けた。目を開けると、その先には獣が銀司を見ていた。

 獣らしい荒い息が口から漏れている。銀司は飛ばされた衝撃で思うように身体が言うことを聞かない。終わりだ……そう思った。

 その時だった。


 ドスッ


 獣の上から何かが落ちてきた。鈍い音と共に、その衝撃で砂塵さじんが銀司もろとも周りをおおった。銀司は今にも意識が飛びそうだった。

 

 意識が朦朧もうろうとするなか慎重に目を開けると、獣は横たわっていた。血は四方に飛び散っていた。その横には一人の金髪色の青年が立っていた。青年は銀司をじっと見ている。

 すると、青年の後ろからもう一人、年老としおいた男が遅れて現れた。


 「彼、大丈夫ですかね」


 余裕そうな口調と声で、獣の隣にいる青年が、倒れている銀司を指差した。年老いた男は銀司に近づいて、すぐそばに座って頬をペチペチと叩いた。


 「ボウズ。大丈夫か」


 銀司は「……ッ」と言うだけで精一杯だった。


 「意識はあるみたいだな。ボウズ。どうしてこんなところにいる。どこから来た?」


 銀司はしゃべれるようにゆっくりと口を開けた。


 「ここは一体何……何んだ?」


 「この森か?この森は、モンスターがよく出るから危険だぞ」


 「違う……この世界は一体」


 「ん?この世界だと?おい、ボウズ一体どうした?」


 「異世界に来ちまった……だ……」


 銀司はこの言葉の後、意識を失ってしまった。

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