第一話 謎の光

 天井に連なる蛍光灯けいこうとうに照らされた、白く無機質むきしつな会議室にパイプ椅子がズレることなく並べられている。腕時計をチラチラ確認したスタッフが扉を開くと、廊下で列をつくった上下無地の黒いスーツを着た学生たちが続々と入室してゆく。会議室の奥の最前列の席から順番に席が埋まっていった。


 会議室の入り口には、

『株式会社〇〇 企業説明会』


 と書かれた張り紙が貼られている。前にある会議室にも隣にある会議室にも、入り口には同じような貼り紙が貼られている。


 就職活動しゅうしょくかつどうをしている学生へ向けて、企業が集まる合同企業説明会が、ここ都内海岸沿とないかいがんぞいにある多目的イベントホールで開かれていた。

 廊下の窓際まどぎわに置かれたベンチに並んで座る、沢村銀司さわむらぎんじと大学の友達のアツオもスーツに身を包み、この企業説明会に参加していた。二人とも今年で大学四年の年になる。就職活動はすでに佳境かきょうに入っており、周りでは内定者が決まりだしていた。今日の合同説明会に参加している就活生のほとんどに多少の焦りと毎日の就職活動での疲れが顔に浮かんでいる。二人も焦りはひしひしと感じており、大学で顔を合わせれば「ヤバい」が二人の口癖になっていた。


 銀司とアツオは同じ大学の同じ学部生だ。講義が一緒になることも多々あり、サークル活動では共にバスケットボールサークルに所属している。所属ゼミは違うが、ゼミのメンバー以外でよく話す貴重な友人の一人だ。今日はたまたま目当ての説明会が同じ場所で行われたため、今こうして休憩時間には二人で一緒にいるのだ。


 隣に座るアツオが手に持った説明会のチラシを指差しながら銀司に話しかけてきた。


 「なぁなぁ、企業ここはどうだったよ?説明会行ったんだろ?」


 「あー、行ったね」


 「どうだった?」


 「どうだったって……印象は別に悪くなかったよ」


 「受けるの?」


 「いや、そこまで考えてないや」


 アツオが見せてきたチラシには、銀司がこの前参加していた企業説明会の情報が印刷されていた。説明会での雰囲気も特に悪いと思うところもなく、銀司の中では保留ということになっていた。

 ただ、銀司はアツオから聞かされていた彼が志望しぼうする業種ぎょうしゅとは異なっていることが少し気になった。今は業種の幅を広げようとしているのだろう。少し前から企業の選考を受けまくっていると言っていたが、その後の進展をアツオの口からは聞いたことがなかった。アツオは志望していた業種を立て続けに選考に落ちてしまっているのか、最近は新しい企業の事ばかり調べている様子だった。


 しかし、アツオの志望の変化には銀司にも心当たりがあった。最近になって大学周りの大人から、少しでも興味でもあったら企業の選考を幅広く受けるようにと、アドバイスを受けたばかりだった。きっとアツオも同じに違いない。

 大人に個人的な相談をしたつもりでも、アドバイスされる内容は大体同じなのだ。


 銀司はメモ帳をカバンから取り出して、その企業の説明会に行ったときにメモしたページを探した。ページをめくっていると、あるページに目が止まった。そこには自分の筆跡ではない文字で


 『石を手に入れろ!!』


 と黒いボールペンでページ全体に大きく書かれていた。自分で書いた記憶も誰かに書かれた記憶もない。メモ帳はいつもリュックにしまってある。銀司の知らないところでメモ帳を取り出す人間などいないはずだ。気味が悪くなった銀司は記憶を消すようにページを適当にめくり、目当てのページを見つけると、アツオにできる限りのことは教えてやった。アツオはその説明を頷きながら、悩んでいる表情を浮かべながら聞いていた。


 ブーーーブーーー


 銀司のポケットが震えた。スマートフォンが鳴ったのだ。銀司はポケットから取り出して、画面を見た。通知はメールの受信で件名には、


『株式会社〇〇 第二次選考結果のご連絡』


 と表示されていた。選考の結果だ。銀司はその瞬間、目に見えてしまうほど震えた。


 「わ、悪い、ちょっとトイレに行ってくるわ」


 銀司はアツオにことわってから即座そくざに立ち上がりスマートフォンを握りしめて、逃げるようにトイレに向かった。選考結果を見ている自分を他人に見られたくはない。そう思ったのだ。

 トイレ前まで来たところで一回立ち止まり画面を開いた。着信は見間違いではなかったかもう一度確かめた。

 先日面接を受けた企業からの選考の合否が送られてきたのだった。緊張の波が、再び押し寄せて足がすくんだ。件名の字面を見ただけで、心臓がキュッと縮んだような気分だった。

 

 銀司はメールを開こうとしたが、後ろから他の就活生が来る気配がして、人の目から避けるように男性トイレの中に入った。空いていた奥の個室に入って勢いよく鍵を閉めた。バクバクと心臓が音を立てて動いている。個室の外からトイレに入って来た就活生らの話し声が聞こえてきた。銀司はメールの件名を見つめて、覚悟ができているか自分に問い聞かせた。

 何より選考を受けたこの会社に受かる自信はあった。この企業のために多くの時間を費やしてきた。他の企業の説明会や面接も何度も訪れたが、心のどこかでこの企業しかない、そう思っていた。

 銀司は心の整理が一旦付くと、メールボックスを開いて選考結果のメールをタップした。


『第二次選考結果のご連絡

 株式会社〇〇 採用担当 鈴木


沢村銀司様、この度は弊社の新卒採用選考にご応募いただき有難うございました。

また、お忙しい中、面接にお越し頂きまして有難うございました。

社内にて慎重に検討し、 誠に恐縮ではございますが、今回は採用を見送らせていただく結果となりました。

何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。


沢村銀司様のご活躍を今後とも祈っております。


 株式会社〇〇 採用担当 鈴木』


 目に飛び込んできた『今回は採用を見送らせていただく結果となりました。』の文字。この瞬間、銀司の中の時間が止まった。体が硬直こうちょくしたように動かない。画面に映る文章の意味と現実を噛み合わせるため必死に頭を回そうとするも、脳みそがそれを拒む。

 銀司はゆっくり理解しようと、無理に体の力を抜こうとした。数秒のあいだだろうか息をすることを忘れていた。苦しくなった。まるで悔しがり方を覚えてしまったようにりきみ、ぎこちない動きでしか体は動かなかった。


 少しだけ時間をおいて、平気なフリが出来そうになってから、ようやくトイレの個室のドアを開けた。洗面台に手をついて、鏡で自分の姿を見た。顔色がかんばしくない気がする。

 銀司はアツオに、いや、周りにいる他の就活生からもさとられまいと、気を落とした表情をしないよう顔に力を入れてトイレを出た。同じ立場にある就活生たちにコイツ落ちたと、一寸いっすんたりとも思われたくなかった。


 男子トイレを一歩出たところで、悲しさがよみがえってきた。銀司はこの行き場の感情をどうにかするために、ひとけのない通路を探した。周りに人がいないことを確認すると


 「俺、落ちたのかぁ」


 と、言葉にして口に出してみた。すると張り詰めていたものが少し和らいだ気がした。少し楽になった。

 銀司は普通の表情に戻せるようになってからアツオの元へ戻った。

 しかし、その後に参加した説明会もアツオとの会話も、後を振り返ると銀司は何も覚えていなかった。


 すべての説明会が終わり二人は会場を後にした。外はすでに日がかたむいていた。少しだけ冷めた空気を体に受けると、今までしばり付けていた苦しさが喪失感そうしつかんに変わった。アツオから「帰りに何か食べてかない?」と誘われたが、銀司がそれを断った。気を紛らわすためにも、まだ、アツオと一緒にいるべきとも思ったが、それ以上に他人と喋るとつい弱音を吐いてしまいそうで、だったら一人でいたい、そんな気分だった。

 それぞれ帰宅するのに使う電車が違うため、アツオとは駅で別れた。


 アツオと別れた後、一人になった銀司は他人の目線が外れて素直に孤独のむなしさを感じた。この虚無感きょむかんのような気持ちは銀司が恐れていたものだった。銀司は改札を通らずに駅から離れて、今まで歩いてきた道を引き返した。駅の前にある歩道橋にトボトボと登った。飲食店や人通り、目に飛び込んでくるひとのいとなみがにくく見える。


 歩道橋の上からの夕焼けはよく見えた。今の気分には悪くない景色だった。銀司は歩道橋の手すりに捕まり体を預けて、項垂うなだれてみた。一丁前にネクタイを緩め、ジャケットを脱いでむなしさを体で表現してみた。


 「はぁ〜〜〜あ」


 わざとらしく大きなため息をついてみた。夕焼けにショックで項垂れる人。あまりに良いロケーションだった。銀司は社会人を一足早く体感しているような気分だった。


 「しんどい……」


 そうつぶやいた。

 その時だった。目線の下の方から白い光が湧き上がってきたのだ。銀司は幻覚を見るほどショックだったのかと目を擦ったが、白い光が消える気配はない。

 これは眼の不具合ではなく現実だった。足元の光はまたたく間に体を覆うようにして広がり、そして周りが何も見えなくなった。足が地面から離れて、体が浮いた。経験したことのない無重力空間。

 助けを呼ぼうにも声が出せない。身体が言うことを聞かない。自分がこの場から消えてゆくのを感じた。ただ、意識だけはしっかり残っている。

 光が全身を覆った。銀司はギュッと目を閉じて、身構えることしかできなかった。

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