無能力転生者は異世界でスーツを着こなす

ボン与太郎

第一章 始まりの物語

異世界へ

 が風にかすれる音に鳥の鳴き声、それに続くようにけものたちの遠吠えが森の奥からこだました。枝木えだぎで羽を休めていた鳥の群れが危険を察知して、一斉に飛び立つ。

 遠吠えから少し離れた森が開けた場所で、一人の若い男とオオカミと似た姿をした獣が対峙たいじしていた。


 男はかわの防具を身にまとい、左腕には小ぶりな盾をはめて、右手で短剣をかまえる。

 獣は四つ足の状態が男の背丈せたけと同じくらいで、雪山に生息する動物のようなシルバーの毛で覆われていた。引き裂かれた口からは二本の鋭い大きな牙が突出している。牙の間からはヨダレが垂れ落ちて、その下は水たまりになっていた。


 グゥゥ……という息遣いから興奮した状態だとわかる。ギョロっとした目で男を見て、様子をうかがっている。目の前にいる人間を獲物としか思っていないようだ。

 

 人間と獣。二体ふたりの間を、沈黙を破るように獣が吠えた。この遠吠えを聞いて覚悟したのか、男は恐怖を押し殺して獣に向かって走り出した。


 「うりゃぁぁぁぁぁぁ!」


 握りしめた短剣を振りかざし、相手の鼻先めがけてそれを振り下ろした。

 しかし、獣はそれを頭を振るようにしてかわすと、男の脇腹めがけて頭突きを喰らわした。男はそれを盾で受け止めようとするが、頭突きの力に押されて力無く数メートル後方に飛ばされた。


 「イテテテテ……」


 男は身体を地面に打ち付けられたが、巧い具合に受け身が取れたおかげで致命傷にはならなかった。男はゆっくりと上半身を起こした。

 獣は歯を食いしばるように力んで口を閉じていた。そして、口を大きく開けると、その周囲に眼ではっきりと見ることができるエネルギーの流れができ始めた。それが口の中で水色のエネルギーの塊になった。獣は一旦口を閉じた。すると、中のモノを押し出すように口を開けると、もの凄い速さで水の塊が発射された。


 男は腰を落とし、斜めに体を反らせながら、盾の角度も上に反らして構え、水の塊を盾の上で滑らせるように当て、勢いを逃がした。水の塊は軌道が変わったあと、後方の木のみきに当たって弾け飛ぶようにして爆発した。破裂音と共に広範囲に水しぶきが飛び散った。


 尻もちをついた男は、盾をかすっただけだが、体にはかなりの衝撃が残っていた。男は攻撃が当たった場所を振り返ると、水の塊が当たった幹がひどくエグれており、周りの木にも傷ができていた。


 まともに当たればひとたまりもないな……。


 男はヒヤヒヤしながら獣のほうを見ると、再び口の中にエネルギーを溜めていた。


 「クソッ、またか」


 男はそうつぶやきながら立ち上がった。そして、構わず再び獣に向かって走り出した。獣がまた水を放つ。水の塊が男めがけて飛んでくる。体の前に来た水の塊を男は頭をかがめながらスライディングする。水の塊は頭上のギリギリを通過した。髪の毛先をかすめた程度だが、その威力に頭が丸ごと持っていかれそうになった。後ろで水の塊が爆発した音が聞こえてくる。

 男はスライディングした勢いのまま立ち上がり、腰に付けてある袋をまさぐり、手まりサイズの玉を取り出した。それをモンスターの足元めがけてためらわずに投げつけた。玉はボン!という音を立てて破けると、たちまち深緑ふかみどり色の煙幕えんまくがモンスターをおおった。煙の中からモンスターが苦しそううなる声が聞こえてきた。


 男が投げた玉は、割れると煙幕と同時に周囲に激臭が襲い、嗅覚と視界を塞ぐ、臭いにおいだまだった。臭い玉は人間にとっては、激臭とまではいかないが、鼻の良い獣に対して、臭覚を刺激する戦闘アイテムだ。


 煙幕の中、悶絶もんぜつしている獣の背後に、男は鼻を抑えながら(人間でも臭いものは臭い)素早く回り込んだ。獣の後ろ姿を目視もくししてまだ苦しそうにしていることを確認すると、握っている短剣に力を込めた。力を込めた短剣は手元のの部分から徐々にオレンジ色のエネルギーを帯びてゆく。手元に体温以上の熱を感じる。男はその短剣をモンスターの胴体めがけて振り下ろした。


 ドサッ!


 身体を捉えた感触がした。


 やったか!?


 男は自身の短剣の刃を見た。しかし刃は胴体をエグることなく、血が少し垂れる程度で、短剣はすでにオレンジ色のエネルギーを帯びることなく、ただの短剣に戻っていた。


 「クソ、また失敗か」


 男は苦い顔をした。


 「……ガルルルルゥ」


 獣の呼吸に強さが戻った。今の一発で、正気に戻ってしまったようだ。獣は胴体を回転させると、その勢いで後ろ足を使って男を蹴り飛ばした。男は盾を構える余裕もなく、脇腹あたりにそれがもろに入った。


 「ぐはっ!」


 蹴られた場所から全身にダメージが走る。内臓がグシャグシャになってしまったような感覚。男は受け身を取ることもできずに、背中から倒れ込んだ。

 内臓までも吐き出してしまうような、吐き気。のどの奥から血の味がした。

 強度の弱い革の防具では、攻撃を真芯ましんで受けてしまうと、そのダメージは防具をしていないのとあまり変わらない。


 「ガルルル……ガルルル……」


 獣は静かに前脚で地面をきはじめた。その仕草は、獲物を目の前にして動きだそうとしている肉食動物の、それである。気味のわるい獣の息を吐く音だけが、耳に響いてくる。痛みで男の身体は思うように動きそうになく、弱々しく盾を構えるので精一杯だった。


 雄叫びをあげて、物凄い勢いで男に向けて突進してきた。裂けた口を大きくひらき、このまま捕食する気だった。

 身体が思うように動かないことを分かっている男は、獣の攻撃を一度避けたところで、再び攻撃されて終わりだと、直観的に理解していた。喰われる、以外の選択肢が頭に思い浮かばない。獣はこの間も絶えず迫ってくる。何か手を打たなければと考えるごとに最良の選択肢が失っていくゆく。すぐ目の前まで獣の牙が来ていた。


 獣の牙が1メートル前まで迫ってきた。身体が丸ごと入ってしまいそうな獣の口を前にして、男は覚悟を決めたのか、諦めたのか、不敵な笑みを浮かべた。

 男は大きく開いた獣の口に、構えていた盾を腕ごと押し込むようにして突っ込んだ。


 ガシャン!


 大きな音を立てて奥歯と盾がぶつかった。

 獣の脚は止まらず、男は後ろへ押される。男は懸命に自分の盾を抑えた。噛み砕かれぬよう、突っ張り棒ように盾を奥歯に当てて、顎が閉じれぬように懸命に抑えた。 

 獣の勢いに銀司の足が付いていかず、体が宙に浮くと、態勢そのまま男の背中が壁のようなものにぶつかった。獣の脚が止まった。背中の後ろからメリメリと音がする。どうやら壁ではなく、木の幹に当たったらしい。獣は盾ごと噛み砕く勢いで顎の力を強める。男は顎が閉じぬよう、浮き上がった体で必死で下顎に体重をかけた。男の腕は鋭い歯で傷だらけだ。獣のヨダレが男の顔面に垂れてきた。上半身が丸ごと口の中に入りかけていた。このまま盾が噛み砕かれれば、左腕だけではなく、顔ごと喰われてしまう。


 「コイツ……いい加減にしろ……」


 ……。


 グサッ!


 何かが切り落とされたような大きな音がした。獣はうめき声にすらならない、弱々しい鳴き声と共に顎の力が急激に弱くなった。


 !?


 男の腕は口から簡単に抜けたと思えば、獣は崩れるように倒れてしまった。口の中から男が顔を出すと、獣の胴体は横に真っ二つに切られていた。そして辺りは真っ赤な血で染まっていた。


 「大丈夫か?」


 声の主は獣のすぐ近くにいた。血まみれの服に、血まみれの大剣を持った金髪の青年が立っていた。男は金髪の青年を見ると、すぐに安心した顔に変わった。


 「ああ、何とか」


 男は即座に理解した。この金髪の青年が獣を切ったのだ。大剣で。それも一撃で。


 「遅くなったな」


 「助かったよ。お前が来なければ俺は今頃腹の中だ」


 男は自分の身の安全を実感したように笑いながら答えた。極限の緊張から解き放たれた身体は力が抜けてフラフラしていた。ぐったりと倒れそうになると、銀髪の青年が男の身体をささえて、ゆっくりと地面に座らせた。


 「大丈夫か?」


 「ああ、すまん、腹に蹴りを入れられてな……大丈夫そのうち良くなる。」


 獣に喰らった一発がぶり返してきたのだ。すると、金髪の青年は思いだしたかのように言った。


 「そういえばギンジ、お前と最初に出会った時も同じような状況だったな」


 と言った。 

 男はに来た最初の日の出来事を思い出した。

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