葉と新学期 2018/9/3(Mon)
今日から新学期。
今年の夏も充実していた。仕事もたくさん入っていたし、稽古もできた。美桜ちゃんと出会って同じ事務所になれたことで負けたくない、負けられない、お互いにいいところを吸収しあって成長していきたいという気持ちが強くなったのも良かったと思う。
大人は「夏休みなんて大してないのが普通」らしいけど、僕は一足早くそれを味わっているのもしれない。でも、大人にとっての仕事が僕にとっての役者なわけだから、学校に行きながら役者をやっている僕はむしろ大人より忙しのかもしれない。
お化けには学校も試験もない、なんていう歌があるけど、大人には夏休みの宿題はないわけで。
「よう、葉」
「おはよう、燕条君」
中学校の教室はとても平和だった。
男子しかいないクラスメートたちがわいわいと夏休みにあった出来事などを話し合っている。
小学校の頃は女の子に見つかってきゃあきゃあ騒がれるのが当たり前だったからほっとする。……女の子と話すのは嫌いじゃない、っていうか好きだけど、僕は彼女たちの話題に混ざりたいんであって気を引きたいわけじゃないから。結局、ある程度受け流さないといけなくてストレスが溜まっていた。
男子として話すなら男友達、特に燕条君と話すのが気楽だ。
「お前ぜんぜん日焼けしてねえな」
「下手に焼くと仕事に差し支えるからね。日焼け止めが欠かせないんだよ」
「うわ、面倒臭いなそれ」
燕条君とは夏休み中にも二回くらい会って一緒に遊んだ。
男同士で気兼ねなく遊ぶのもそれはそれで楽しいもので、良い息抜きになった。そのせいかお互い、あまり久しぶりという気はしない。
「相変わらず仕事ばっかしてたんだな」
「燕条君はけっこう遊んだみたいだね」
「ああ。彼女がいるからな。……彼女がいるからな!」
二回も言わなくても聞こえてるし知ってる。もう何回も聞いた。
彼女なんて作ろうと思えばいつでも作れるんだから自慢するほどのことでもないし。
「彼女さんも忙しかったんじゃない?」
「まあな。でも時間作って会ってくれるんだよ。めちゃくちゃいいよな、そういうの」
燕条君の初めての彼女はモデルの香坂美姫さん──美桜ちゃんのお姉さんだ。
二人の関係はなかなかうまく行っているようで、付き合いだしてからは定期的にのろけ話を聞かされている。
年上の彼女に手ほどきされていろいろ覚えた燕条君は男としての自信がついたのか、前よりも男らしくなってきた気がする。
筋肉とかの話じゃなくて頼りがいとかそっちの話。女子のこともあんまり鬱陶しがらなくなったように思う。
美姫さんとのあれこれについても聞かされている。
別に聞きたくもなかったけど、二人はもう何度もデートを重ねているらしい。
一緒にホテルに行ったことも何度も。関係を重ねるたびに燕条君も慣れてきていろんなことを試しているようだ。美姫さんも好奇心旺盛なタイプなのでそれに付き合っているし、むしろ積極的に燕条君に教えてもいる。
燕条君の部屋でしたこともあるとか。
……話を逸らそう。
「旅行のお土産ももらったんだ。北海道の限定キーホルダー」
「あ、僕ももらったよ、美桜ちゃんから」
キーホルダーの他に雪をモチーフにした可愛いヘアピンももらった。
花菱葉の分と一葉の分だって。海でのお土産もさらに別でもらったし、本当に律儀な子だ。それでいて下心とかいっさいないのが本当に嬉しい。
僕が美桜ちゃんのことを思い出していると燕条君はなんだか少し不機嫌になったようで「俺だって香坂からお土産もらったし」と言ってくる。
「美姫と被らないように話し合って別のキーホルダーくれたんだ」
いや、自慢げに言われても。
僕はちょっとジト目になりつつ尋ねた。
「いつもらったの?」
「夏休み中にたまたま会った時」
「友達なのは知ってるけど、気まずくない? 振られたんだよね?」
「あいつと縁が切れるほうが嫌なんだよ」
燕条君は美桜ちゃんに告白して振られた。
で、代わりに美姫さんと付き合いだした。これは美桜ちゃんからも聞いたので確かな話だ。
ちょっと当てつけ感が強すぎないか。
自分に告白した男があっさり姉と付き合いだしたのを間近で見せられる美桜ちゃんの気持ちにもなって欲しい。
「あいつ結局あれから『二人きりはやだ』とか言って来ねえし」
そりゃそうでしょ。
友達として付き合い続けているだけすごいと思う。もちろん、ここで付き合いを止めたら燕条君を意識してるみたいで気持ち悪い、っていうのはあるだろうけど。
……うん。どうしても僕は美桜ちゃんの肩を持ってしまう。
友達だからっていうのもあるし、できるだけ女の子の味方でいたいっていうのもある。
美桜ちゃんは「お姉ちゃんと燕条君のことは聞かないようにしてるの」って言ってた。燕条君とは本当にゲーム友達、マンガ好き同士としての関係でしかないって。
まったく気にしてないなら二人の話を聞いても平気なんじゃないか。
「お前は? 香坂と会ったのか?」
「会ったよ。僕は事務所も一緒だからね。時間が合えばお茶したりもする」
「……羨ましいな」
そういうことを聞こえるように呟かないで欲しい。
男子が二股かけるなんて普通だし、嫌だと思う女の子は別れればいいだけ。男子の側はいくらでも代わりを探せる。それが当たり前だけど、美桜ちゃんも、美姫さんだって、そんな簡単に扱っていいほどどこにでもいる女の子じゃない。
ああ、もう、友達相手にこんなこと考えたくないのに。
「美桜ちゃんのこと、まだ好きなの?」
「当たり前だろ。美姫と話してる時に香坂の顔思い出すことだってあるし」
美姫さんとそれ以上のことをしている時に思い出すことも、か。
気持ち悪い。
ああ、本当に。男の子の生々しい、獣のような欲望なんて理解したくない。
「嫌がってるのに無理やりしたら駄目だよ」
「わかってるよ。そんなことしたら一生チャンスがなくなるだろ」
好みの女の子を落とすためなら多少の演技も厭わない。
燕条君はいい意味でも悪い意味でも大人になったんだろう。男としての処世術を身に着けた。望む望まないはともかく、馴染んでしまったほうが楽に生きられるのは間違いない。
僕にはとてもできそうにないけど。
芸の肥やしとしては燕条君の話はとても役に立つ。好き嫌いはともかく、憶えておいて利用するべきだ。そうやって自分に言い聞かせると気分が楽になってくる。
「お前もそろそろ経験しとけよ。夏休み終わって童貞とかお前くらいだぞ、たぶん」
「そうかもね」
クラスメートたちもその手の話で盛り上がってるみたいだ。
僕は苦笑を浮かべて、
「初めてはドラマか映画の撮影になるかもね」
「マジかよ。ああいうのってフリだけじゃないのか?」
「現場によるんじゃないかな。もちろん無理強いはされないけど」
女性側が嫌だと言うことはほとんどない。そうなると男のほうも断りにくくなるってことはあるだろう。
その手のシーンの撮影はこれから増えてくるだろうし。
「少なくともキスシーンくらいなら本当にしたって話はけっこう聞くかな」
「すげえな。芸能人とそんなことできるのか」
美姫さんだって芸能人だし、芸能人だって普通の人間だし、その気になれば芸能人と付き合うくらい大したことじゃない。
はあ、と。
燕条君に気づかれないようにため息をついた僕は「美桜ちゃんと話したいな」と思った。
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