美桜と女装少年(その1) 2017/5/3(Wed)
僕が香坂美桜になってからほぼ一年が経った。
病院にも通わなくてよくなり、最近は日常生活で戸惑うことも少ない。
不意の横やりが入らない限りはこのまま美桜として暮らしていける。そんな想いが僕の中で強くなっている。
いつまで美桜でいられるかはわからない。
でも、こうしていられる限りは楽しみたい。
さしあたっては声優になる夢のために頑張る。
決意を新たに、僕はゴールデンウイークの二日目、映画館に映画を見に行くことにした。
わざわざ映画館で見る機会というのは意外と少ない。普通に見る分にはテレビでやっているのを録画したりサブスクで十分だったりするけど、
『演技の道を志すなら映画館で見る経験も必要よ。コアなファンの気持ちを少しでも体験するためにもね』
奏先生からのアドバイスもあって「見に行ってみようか」ということになったのだ。
選んだのは少し前に始まった邦画サスペンス。
今話題の美少年子役が出演、ということで話題になっているやつだ。男の子で役者で格好いいとかどれだけ勝ち組なのか。
羨ましいけど、今、注目すべきはその子の演技のほう。
声優と役者という違いはあれど、参考になるところは多いだろう。
「恋たちも誘った方が良かったかなあ……」
お姉ちゃんから借りた服で普段とはちょっと違うコーデを決めた僕は映画館の建物を眺めつつ少し後悔。
友達と来ると遊ぶほうに気持ちが行ってしまうので誰も誘わずに来たものの、読モの『mio』だとバレないために変装するのは若干めんどくさい。
友達と一緒なら声をかけられる頻度は減るので、普通に恋たちと来ればよかったんじゃ……? という気もしてきた。
「まあ、言ってもしょうがないか。来ちゃったし」
スマホでオンライン予約を済ませてあるので発券作業はスムーズ。
食物繊維は健康にもいいし、とポップコーン(塩&キャラメル)+ジンジャーエールを購入して席についた。お茶やジュースは利尿作用があるので今回は避けている。
女子小学生一人とか浮くかとも思ったけど、周りも女子ばっかりなのでそこまで違和感はない。他にも同い年っぽい子が一人で座っているのが遠目に見えた。
映画館に来るのも久しぶりだ。
せっかくだから楽しみたい。
まがりなりにもレッスンを受けている身としても取り込めるところは取り込む。ポップコーンを味わいつつ上映開始を迎えて──。
◇ ◇ ◇
エンドロールを眺めながら僕は息を吐いた。
始まったら後はもうあっという間。
夢中になっているうちに映画が終わっていた。
「
「ほんと。もうちょっと大きくなったら絶対素敵になるよ」
「そしたら抱いて欲しい」
「私もー」
ちょっと待て他にも褒めるところいっぱいあっただろ。
聞こえてきた他のお客さんの声に「女優にしか興味ないおっさんか」と心の中でツッコミを入れつつ、最後までエンドロールを見つめた。
館内はもう明るくなっていて出ていくお客さんもいるけど、この余韻も含めて映画だと思う。たまにエンドロール後になにかあったりするし。
いつの間にかポップコーンとドリンクも空になっている。
完全に映画が終わったのを確認したところで席を立って出口に向かった。ゴミを捨てて、その後はさすがにトイレか。でも映画が終わった直後だと混んでるだろうし──。
「きゃっ」
「わっ」
考えごとをしていたのがよくなかったのか、同じように出口に向かっていた女の子とぶつかってしまう。
僕が下、彼女が上で重なり合うように倒れる。
周りの人が「大丈夫ですか?」と助け起こしてくれたものの、幸い頭を打ったりとかはなかった。
むしろ問題は。
「……あれ? もしかして前にプールで会むぐぅっ!?」
「ちょっ、ちょっと一緒にお話しようよ! ねっ!?」
相手の子と至近距離で目が合って、下手したらキスできそうな状況だったことと。
相手が前にも一度会ったことのある少女、もとい少年だったことだ。
「なんか最近カラオケに縁がある気がする……」
「二人きりで話しやすい場所がここくらいだったんだよ……」
映画館の近くにあるカラオケ店の一室。
料金は彼女もとい彼が払ってくれた。こっちの世界にはカップル割とかレディース割とかがない(前者は判別が難しいし、後者はそもそもメインの客層だからだろう)ので何回も利用しているとそれなりに痛い。これは素直に助かった。
トイレだけ先に行かせてもらって腰を落ち着けた僕たち。
「男の子と狭い部屋で二人きり──」
「そういうことしに来たんじゃないから! 本当だから!」
それにしても、こうして見てもやっぱり女の子にしか見えない。
素がイケメンだからだろう。
細身で繊細な顔立ちが女の子の格好にマッチしている。ショッピングやスイーツの好きなお嬢様、といった雰囲気だろうか。
それでいて素の声色がほんのり低めなのがミスマッチと言うべきか、アクセントになっていてむしろ効果的と言うべきか。
僕は「冗談だよ」と笑って、
「女装してまで女の子を襲おうとした、なんてバレたら大変だもんね」
「ほんとに勘弁してくださいお願いします。色んな意味で人生終わっちゃうから」
ちょうどお昼時だったのでついでにご飯を済ませてしまうことに。
彼が「なんでも好きなものをお食べくださいお嬢様」と言ってくれたのでここは素直に甘えておく。
……なんか僕、相手の弱みにつけこんで貢がせる悪女みたいだけど。
「まさか、こんなところでmioちゃんに会うとは思わなかったよ」
「あれ? わたしのこと知ってるの?」
「たまたま雑誌でね。初めて見たときは驚いたよ。あれから大活躍だよね」
そっか、僕もそれなりに名前の知られた存在だったっけ。
こうやって女の子のファッションに興味あるような子なら知っていてもおかしくない。
「mioちゃんはどうして映画館にいたの?」
「うん。
「っ」
答えるとなぜか硬直する女装少年。
心なしか顔まで赤くなっているんだけど、あれ、というかひょっとして、
「……ご本人?」
「そうだよ! なんの嫌がらせかと思ったよ!」
「いや、うん。そっちこそどうして自分の出てる映画をわざわざ」
「見た人の反応が気になったし、記念とお布施で一回は自分で視るようにしてるんだよ」
なんと、謎の女装少年の正体は今をときめく人気少年俳優、花菱葉君だった。
「その様子だと気付いてなかったんだね」
「うん、全然。でも、どうして女装なんか? あ、変装のため?」
「それもあるけど……まあ、半分は趣味かな」
趣味か。
向こうの世界だと変態扱いだったけど、
「引かない?」
「引かないよ」
似合ってるし、こっちの世界だといろいろ事情も違うはず。
すると彼は胸に手を当てて、
「良かった。……あれからずっと心に引っかかってたんだよ」
「わたしがバラすんじゃないかって?」
「うん。実際は僕の正体はバレてなかったんだけど」
それは余計な心配をかけてしまった。
「でも、一人で女装外出なんて危ないよ? 世の中には変な人もいるし」
何しろこっちだと変態さんも女子なので「実は男でした」と言われても「むしろ大当たりだ!」って襲われかねない。
「そうはそうだね。でも……こんなこと誰にも相談できなくて」
「それでもしたかったんだ、女装」
「だって女の子のほうが可愛いから」
それはすごくわかる。
なんだか妙に彼に共感してしまった僕だった。
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