美桜とほのか 2017/4/20(Thu)
美桜ちゃんとは今も月に一回くらい、クラスの子には秘密で会っている。
お兄ちゃんの原稿を手伝ったり、本の話をしたり、一緒に本を読んだり。そんな二人だけの時間に少し前からひとつ、新しい遊びが加わった。
「わ、私の物にならないなら、いっそのこと私のてで──」
「っ! お願い、アニス! 元の優しいあなたに戻って!」
私の部屋の中、二人だけの空間。
私の手にはとあるライトノベル。開かれているのは魔法少女のヒロインが悪に染まってしまった仲間に攻撃されながら必死で説得するところだ。
このシーンは私も大好き。新刊が発売された時はすぐに買って、衝撃の展開にドキドキしながら読んだ。
でも、
「ティア、あなたはいつもそう。いつもいつもみんなのことばかり考えて。もっとわがままになってよ。もっと自分のことだけを」
「そんなことできないよ! だってわたしは、アニスのことも大好きなんだから!」
読み合わせがしばらく続いて、掛け合いが佳境に入ったところで私は「も、もう無理」と音を上げた。
近所迷惑にならないように声は控えめにしているし、台本代わりのラノベは手元にあるけど、それより前に恥ずかしすぎる。
「私にはこういう作品は無理だよ、美桜ちゃん」
「うーん、そっか。ごめんねほのか、付き合わせちゃって」
読み合わせのために立っていた私たちはベッドの上に腰を落ち着けた。
「でも、他のなら大丈夫だと思う。その、恋愛とかないやつなら」
この遊びは美桜ちゃんが声優になるための練習の一環だ。
雰囲気を掴むために実際に声をあててみるというもの。
声優志望なだけあって美桜ちゃんは上手い。その点、私はほとんど棒読みなんだけど、それでも「付き合ってくれるだけで嬉しい」と美桜ちゃんは言ってくれる。
こういう練習はやっぱり恥ずかしいから頼める人が少ないんだって。
「うーん。って言ってもだいたいラブコメっぽい感じはあるんだよねえ」
「そっか。そうだよね……。ぜんぜん恋愛っぽくない作品は怖かったり変態だったりするし」
最初、練習に使っていたのはお兄ちゃんのマンガだった。
最近連載が始まったばかりだからもちろんアニメ化なんてされていないし、キャラクターも他人とは思えないところがある。
私も美桜ちゃんも楽しく声あてをしていたんだけど、作者であるお兄ちゃん本人から苦情が入った。
『頼む。めちゃくちゃ恥ずかしいから止めてくれ』
私たちが練習する声が聞こえてくるのはいいけど、自分の描いた作品だと晒されてる気分になって落ち着かないらしい。
連載に支障が出ても困るので残念だけど断念した。
「今日は読み合わせはこれくらいにしない?」
期待をこめてお願いすると美桜ちゃんも「そうだね」と頷いてくれる。
「そうだ。美桜ちゃんがこの前言ってた本、買ったよ」
「本当?」
本棚からその本を取り出すと、美桜ちゃんが身を乗り出すようにして覗き込んできた。
さらさらの髪が肩に触れてどきっとする。
いい匂い。本の内容が内容だけについつい意識してしまう。
「百合小説って、独特だけど素敵だね」
百合というジャンルを知ったのは美桜ちゃんとのグループチャットがきっかけだった。
あまりメジャーなジャンルではない。
むしろ一部の人に根強い人気があるという感じだけど、読んでみるとその繊細さが心に刺さった。
女の子同士の恋愛なんてある意味普通のことなのに。
「女の子同士だからこそ、こんなに綺麗で優しい世界が描けるんだなって感動した」
「よかった。ほのかがわかってくれて」
ふわりと微笑む美桜ちゃん。
何冊もの雑誌に読モとして出ていて人気もある、私なんかとは住む世界の違う子。でも、こうやって本の話をしている時は私だけの美桜ちゃんでいてくれる。
私は「わかるよ」と笑って、
「私は本の趣味で人を馬鹿にしたりしないよ。それに」
「それに?」
首を傾げる美桜ちゃん。私は慌てて「なんでもない」と誤魔化した。
──それに、主人公の気持ちもよくわかるから、なんて言えない。
私の美桜ちゃんへの気持ちは恋じゃない。
でも、百合小説で描かれる恋もはっきり恋とわかるようなそれとは少し違う。
憧れ。保護欲。信頼。期待。友情。
色んなものが混ざりあっていて、そのせいで自分でもはっきりわからなくなって、迷って、苦しんでしまう。
例えば、友達と一緒にいたいと思う気持ち。
大切な人を手離したくないと思う気持ちはすごく恋に近いんじゃないかと思う。
「私、百合にはまっちゃうかも」
共感できるところが多いから読んでいて楽しい。
読み進めるたびに心が揺れ動いて、まるで自分が主人公になったような気分になる。
美桜ちゃんは少し驚いたような顔になった後で笑って、
「ほのかはすごく感受性が強いんだね」
「そう、なのかな?」
自分ではよくわからない。むしろ人と話すのは苦手で、愛想がないほうだと思っていた。
「ほのかはめちゃくちゃ感情豊かだよ」
「お兄ちゃん」
部屋がノックされてお兄ちゃんが顔を出した。
「すみません、お兄さん。邪魔しちゃいましたか?」
「いや。自分の作品じゃないと読み合わせもなかなか興味深いよ。それに息抜きも必要だから」
連載が決まってから、お兄ちゃんはほとんど毎日学校から直帰して作業に耽っている。
全部を一人でやるのはそれだけ大変だってことだけど、賞に応募する内容が決まらなかった頃とは比べ物にならないくらい生き生きしてる。
お母さんはそんなお兄ちゃんを見て「遺伝なんだろうなあ」って言っていた。
「それで、お兄さん? ほのかの話なんですけど」
「ああ。こいつ、こう見えて小さい頃はけっこうやんちゃなところがあってさ。俺も叩かれたり髪引っ張られたりして大変──」
「お兄ちゃん?」
「ごめん。今もわりと変わってないかもしれない」
ちょっと睨んだだけなのにそんなことを言われてしまった。
おかげで美桜ちゃんにくすくす笑われてしまう。
「ほのかもたまには言いたいこと言ったほうがいいよ。ストレス解消に」
「美桜ちゃん、あんまり焚きつけないでくれよ。被害は俺に来るんだから」
お兄ちゃんはちょっとくらい痛い目見ても構わないと思う。
「ところで、ほのか。小説はどうなんだ? そろそろ完成しそうとか言ってただろ」
「え、そうなの?」
「お、お兄ちゃん! どうして言っちゃうの!?」
やっぱり少し仕返しした方がいいかもしれない。
私はお兄ちゃんを睨みつけてから「まだできてないよ」と答えた。
「最初のところから手直ししてるから、まだかかると思う」
「え、なんで」
「今のままじゃ私の書きたいものが書けてないと思ったから」
そういう意味でも百合小説は私に大きな影響を与えた。
あんな風に書きたい。
あんな風に表現していいんだ。
思ったら手直しせずにはいられなくなってしまった。なかなか完成しないけど、それでもいい。完成させることより、書きたいものをちゃんと書くことのほうが私には大事だった。
それくらい、今書いている物語は私にとって大切。
「ほんとだ。ほのかって実はすごく熱血なのかも」
「だよね」
笑い合う二人。
そんなことないはずなのに、意気投合しないでほしい。
不満に思った私はとうとう美桜ちゃんのこともまとめて睨んだ。
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