美桜とバレンタイン 2017/2/14(Tue)
バレンタイン。
男子高校生だった頃はあまり関係のないイベントだった。クラスの女子が気まぐれにくれる小さいチョコや母さんからの市販の板チョコはありがたくいただいて食べたけど、恋愛っぽいイベントなんて発生しなかったし特に期待もしていなかった。
こっちだとどういうイベントになっているのか。
調べてみたところ向こうとそんなに変わらなかった。ただし、向こうよりも同性にあげるチョコ、いわゆる「友チョコ」が普及している。同性に本命をあげる女子もけっこういるとか。
ちなみに共学の男子は山のようにチョコをもらうのが定番らしい。
二月十四日が近づいてくると街のあちこちでそれっぽい看板や装飾を目にするようになった。
当然、クラスメートたちも浮かれていて、
『私、今年は去年より頑張るつもりだから! 期待しててねっ?』
『わたくしは少しお手伝いをするくらいで、ほとんど使用人任せなのですが、美桜さんと恋さんには特別なチョコをご用意いたしますね?』
バレンタイン数日前の恋たちとの会話である。
どうやら二人とも手作りらしく、これは少し意外だった。てっきり玲奈は高いのを買ってくるかと、ってまあ、オーダーメイドはむしろレベルが高いか。
さて、それじゃあ僕はどうするのかというと、
『ごめんね。わたしは普通に注文したやつなんだ』
『そうなのですか? てっきり今年も手作りに挑戦なさるのかと』
『玲奈ちゃん、去年のことを言うのは止めておこうよ』
玲奈をいさめる恋の目には「記憶喪失への配慮」以上に「あれは黒歴史だから」という意図がこめられていた。
僕も家族からは断片的に聞いたけど、普段料理なんか絶対しない美桜がチョコを作りたがったと思ったら案の定失敗して、失敗作しかない中から比較的マシなものを可愛いラッピングで誤魔化してみんなに渡したらしい。
お姉ちゃんは「失敗作の処分はもう嫌だから」と本気の表情で呟いていた。
当然、湊にも渡したんだろうけど、果たして食べてもらったのかどうか。こっそり捨てられたんじゃないだろうか。
ちらっと見るとなぜか当の少年と目が合った。
──今年も暴れるつもりじゃないだろうな。
そんな風に言われている気がしたのでふっと笑って、
『恋は料理できるからいいけど、わたしは初心者だし。自分で作るくらいなら買ったやつのほうが絶対美味しいでしょ?』
少し大きな声で彼にも聞こえるように告げたのだった。
その代わり、注文したチョコはちょっといいやつだ。親友やお世話になった人用のチョコは限定〇個のレアなのを早めに予約して確保した。
(あちこちのショップが限定品を出しているので、果たしてどの程度レアなのかはこの際考えないことにする)
◇ ◇ ◇
そうして迎えた二月十四日。
僕が準備を整えてリビングに行くと、お母さん、お姉ちゃん、美空が揃って僕を出迎えてくれて、
「ハッピーバレンタイン!」
それぞれに用意したチョコレートを手渡してくれる。
僕はそれを「ありがとう」と受け取って、一人ずつ自分のチョコを手渡した。
家族分だけでチョコが三つ。
女の子同士で渡しあうのが普通だからか一つ一つのサイズは少し控えめだけど、この時点で僕の生涯最多記録に迫る勢いだ。
スイミングの友達とは昨日交換を済ませているので、それも含めると既に記録更新中。
「これ、虫歯が心配になるね」
「賞味期限の早いやつから食べたほうがいいよ。じゃないと処分しきれないから」
「処分って」
ひどい言い方だなあと苦笑すると、お母さんとお姉ちゃんが「本当に気をつけてね?」と真顔になる。
二人とも仕事関係の人とも交換するので数がすごいことになるらしい。そして、僕も読モ仲間と郵送しあったりしているので他人事じゃない。
小さい美空はまだのほほんとしたもので、
「バレンタインはね、チョコレートをいっぱい食べていい日なんだよ」
「日っていうか、そのあと十日くらい続くけどね」
「お姉ちゃん、そこで夢を壊さないでよ」
抗議する美空と一緒にジト目で見るとお姉ちゃんは「ごめんなさい」と素直に謝ってくれた。
今日は登校するという妹と一緒に家を出て、手をつなぎながら登校。
道中、道行く男性が女性、あるいは女の子から「受け取ってください!」とチョコを渡される姿を何度か見かける。
ああいうチョコには連絡先がついているんだろう。
知り合いだけじゃなくて知らない人からももらえるなんて、僕からしたら天国だ。
でも。
「毎年これだったらバレンタインだけ休みたくなるかもなあ」
「? お姉ちゃん、チョコ好きだよね?」
「もちろん、大好きだよ」
美空は自分が好きだと言われたみたいに嬉しそうに「よかった」と笑った。
「おはよう美桜ちゃん、はいこれ、本命だよっ!」
「ありがとう、恋。……もう、でも、教室まで待ってくれればいいのに」
「えへへ、ごめんね。待ちきれなくなっちゃって」
こんなこともあろうかと、僕は自分のチョコを入れる用ともらったチョコを入れる用で二つのトートバッグを持参している。
お返しに恋用の特別なチョコを手渡すと「本命?」と尋ねられる。
「……もう。そんな恥ずかしいこと言えないよ」
「え。……あの、えっと、美桜ちゃん。もしかしてほんとに本命なの?」
「違う! 違います!」
せっかく恋の「本命」発言をスルーしたのに結局からかわれるなんて……。
そんな僕の隣で美空はにこにこしていた。
「あ、美空ちゃんにもあげるね。はい、どうぞ」
「ありがとうございます、恋お姉ちゃん。私からもチョコレートです」
「わ、ありがとう! 大切に食べるねっ!」
と、そんなところで校門前に車が停まって、
「おはようございます、美桜さん、恋さん。ちょうど良かった。こちら、わたくしと小百合からのバレンタインチョコレートです」
優雅に現れた玲奈が市販品と間違えそうなくらい丁寧にラッピングされたチョコを差し出してくれる。
車のウィンドウが少し下がったかと思うと小百合さんも会釈をしてくれる。僕たちも目でお礼を言って、小百合さんへのお返しは玲奈にまとめて渡すことに。
教室ではチョコレートの大交換会。
これはもうチェックリストが必要なんじゃないかと思うくらいの大騒ぎで、渡す分のチョコがあっという間に減っていく。
親しいクラスメートと交換し終えたあとは普段あまり交流のない子たちのところへ行って、
「はい、橘さん。これからも仲良くしてね?」
「……ありがとう、香坂さん。あの、私からもお返し」
「ありがとう。大事に食べるね」
ほのかとは教室であまり話せないのであっさりと済ませた。
お兄さんの分は郵送してあるのでここでは渡さない。ちなみにそっちのチョコには「ほのかと二人で食べてください」とメッセージカードを入れてある。
これでだいたい学校の分は配り終わったか。
……と、思っていたら遠慮がちに教室のドアがノックされて、他クラスの女の子が複数人、こっちを覗いていた。
「あの、香坂さん。私たちもチョコ持ってきたんだけど……」
「ありがとう。お返しはまだあるから交換しよう」
「っ! やった……!」
これがモテている気分というやつなんだろうか。
初めての充実感を味わいながら、僕は「チョコを多めに持ってきて良かった」と心から思った。
ちなみに、普段早めに登校してくる湊は今日に限ってギリギリだった。
友チョコ交換を終えて本命の登校待ちをしていた女子たちがここぞとばかりに群がったものの、直後、担任の先生の「はい、席についてー」という号令が響いてキャンセル。
メインイベントを妨害された彼女たちは腹いせとばかりに先生へ次々にチョコを渡していった。
「もう、これじゃHRにならないでしょう」
なんて言いながら先生もしっかり袋を用意していて、ああ、毎年恒例なんだなと妙に納得。
結局、僕が湊に渡したのは放課後。
「はい、燕条君。いちおうわたしからもバレンタイン」
授業中以外ずっと女子に囲まれっぱなしだった彼が比較的手すきになったところで机の上にぽん、と包みを置いた。
一瞬びくっとした湊は危険物を取り扱うみたいにリボンを解いて中を確認し、
「……柿の種?」
「ちゃんと柿の種チョコとセットだから」
チョコを渡すノルマも達成している。
市販品だから日持ちもするし、甘いものに飽きたところで使ってくれればいい。
言うだけ言って去ろうとしたら「待てよ」と呼び留められて、なんだか爽やかな笑顔を向けられた。
「ありがとな、香坂」
こいつにしては珍しいこともあるものだ。
別世界の自分自身とラブコメっぽいことをしてどうするのかと思いつつ、僕は「うん」とだけ彼に答えたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます