美桜と少年マンガ(その2) 2017/2/3(Fri)

「せーのっ、連載開始おめでとう!」


 橘家のリビングにぱん、ぱん、とクラッカーの音が鳴り響いた。

 テーブルの上にはちょっとしたご馳走とケーキ。

 席についているのは僕、ほのか、ほのかのお母さん、そして主役であるほのかのお兄さんだ。

 お兄さんたちは僕たちからのお祝いの言葉に照れたような笑みを浮かべて「ありがとう」と言った。


「なんか恥ずかしいな、こういうの」

「なに言ってるの、初めての連載開始よ? 一生に一度しかないんだから、しっかり思い出に残しなさい。ね、美桜ちゃん?」

「はい。お兄さん、諦めて祝われてください」

「はは。美桜ちゃんに言われたら仕方ないな」


 ほのかのお母さんは料理があまり得意じゃないらしく、メインは某有名チェーン店のフライドチキンだ。その他にほかほかのご飯と山盛りのキャベツ、レトルトのコーンポタージュ、デザートには丸ごとのみかん。

 ケーキがあるんだから別にデザートは要らないんじゃないかとか、白米がお茶碗に盛られているのはチキンとの相性的にどうなのかとか、いろいろとちょっとちぐはぐなところが一般家庭のパーティって感じでほっとする。


「ごめんね美桜ちゃん。うちのご飯はあんまりお洒落じゃなくて……」

「ううん。うちとは違って新鮮で楽しいよ」


 我が家の食事は身体の弱い妹、体型維持が必須な姉のためにお洒落かつ栄養バランスを考えられたメニューが中心なので、こういう「ファーストフードがどーん!」みたいなのはほぼない。本来の僕の家は橘家に近い感じだったのでむしろ懐かしかった。

 みんなで「いただきます」をして、箸でチキンと白米を食べながら、


「でも、けっこう連載までに時間がかかりましたね」

「そんなもんだよ。担当さんも言ってただろ。最初の準備が肝心だって」


 マンガの連載は一度始めてしまうと休載でもしない限りえんえんと続く。

 描くことに追われるのでじっくりアイデアを出す時間はなくなるし、体力的・精神的にも追い詰められやすくなる。

 なので先々の方向性や大まかなストーリー、今後登場予定のキャラクターなどしっかり練りに練ってから始めたほうがいいのだ。

 もちろんボツもばんばん出るので時間がかかる。

 僕もお兄さんと一緒に何度も編集部に行って話をした。まあ、ついでに読モの件の話し合いもあったのでちょうど良かったんだけど。


「本当にお疲れ様です、お兄さん。夢が一つ叶いましたね」

「美桜ちゃんのおかげだよ。本当にありがとう」

「そんな、わたしなんて大したことは。むしろほのかにお礼を言ってください」

「え? わ、私こそ別になにも」


 わたわたするほのかだけど、そんなことはない。


「お兄さんの相談にも乗ってくれてたし、アシスタントも頑張ってたんでしょ? 偉いよ、ほのか」

「……う、うん」


 ほんのりと頬を染めて俯く彼女。

 他の三人が全員、微笑ましいものを見る表情になった。


「わたし、あれはできればたまに手伝うくらいにしたいよ……」

「うん、まあ、俺もさっさとデジタル環境が欲しくなったよ」


 マンガを作るのはとても労力がかかる。

 メインの絵は本人にしか描けないので、その他の部分はできるだけ他の人が手伝って苦労を減らさないといけない。

 例えばベタと呼ばれる同じ色を指定範囲に塗るだけの作業とか、スクリーントーンという効果素材みたいなものを貼りつける作業とか。

 大事だけど地道なうえに「失敗したら」というプレッシャーがすごい。

 僕は手が足りない、とお兄さんに泣きつかれてほんのちょっと手伝っただけだけど、けっこう大変だった。アシスタント代わりにほぼ最初から最後まで手伝っていたほのかのことは本当に尊敬する。


 ほのかはこくんと頷いて、


「美桜ちゃんの手は汚れたり、カッターで傷ついたりしたら大変だもんね」

「あはは。読モだし、そこまで気をつけなくても大丈夫だけどね」


 フライドチキンも美味しい。

 この病みつきになる味わいは本当なんなんだろう。僕は特に皮の部分が好きだ。白いご飯にもよく合うし、もちろんパンでも美味しい。


「原稿料が溜まったらパソコン買ってアシスタント雇うのも考えなさいよ。もしあれならうちの編集部からも紹介してもらえるから」

「ありがとう、母さん。こういう時編集者が母親だと助かるな」

「担当さんが自分だけで面倒見られるならそれが一番だけどね」


 アシスタントに関してはマンガ家本人のコネや伝手で見つける場合もけっこうある。

 マンガ家が給料を払って雇うんだから当たり前といえば当たり前だ。家族に手伝ってもらうのは自営業の人が家族を使って人件費を浮かせるようなもの。

 クオリティを考えても、できれば早いうちにプロを雇ったほうがいい。


「アシスタントかあ。美桜ちゃん、誰かいい人知らない?」

「さすがにいないですよ……。アイドル志望の友達ならできましたけど」

「その子には頼めないな、間違いなく」


 やるとなったら全力でやる子だからうまくおだてれば……いやいや、さすがに相原さんに悪い。


「まあ、美桜ちゃんはこれからも原案として頼りにさせてもらうよ」

「お兄さんの作品なんですから、好きなようにやってもいいんですよ? わたしは最初にけっこう口出ししちゃいましたし」

「まあ、そこはおいおいかな。ほのかと一緒に、一番近い読者目線でいろいろ意見をくれればいいよ」

「そういうことなら喜んで」


 ゆくゆくはお兄さんひとりで連載できるようになってほしい。

 そうでないと僕が操ってるみたいでなんか落ち着かないし。


「目指すは長期連載、そしてアニメ化ですね」

「気が早いなあ。まだまだ先の話だよ、そんなの」

「でも、そういうの考えるの楽しいよね?」

「そうそう。このキャラにはこの声優さんがいい、とか」


 実際にアニメ化が決定した時に配役を見て「イメージと違う」と言い合ったり、アニメになったのを見て「……ぴったりだ」と愕然とするのも楽しい。


「作者も声優さんと会えるらしいわよ。会いたい子を今から考えておけば?」

「母さんまで……。俺はそういう不純な動機では描かないよ。それに、声優って女だろ」

「あ、そっか。男の声優さんって少ないんですよね」


 例によって例の如くだ。

 男性キャラの声はその数少ない男性声優さんが充てられるのでほとんどひっぱりだこ。少年役や優男役は女性声優さんが務めることも多いけれど、それでも万年人手不足だ。

 男の数が年々減っている以上、この状況はますます深刻化していく。


 マンガ。アニメ。声優。


 それらのワードが、このところずっと考えていた僕の進路の話と合わさって、ある一つの答えを導きだした。


「そうだ。ねえ、ほのか。今度、ちょっとした遊びに付き合ってくれない?」

「遊び? いいけど、なにをするの?」


 急な提案に本好きの親友は首を傾げながら尋ねてくる。

 僕は「大したことじゃないんだけどね」と前置きしてから答えて、


「マンガの読み合わせ。劇みたいなことができないかなって」

「? 美桜ちゃん、声優ごっこでもするつもり?」


 お兄さんが「また面白いこと言いだした」とでも言いたげな表情で見てくるのに「はい」と答えて、


「わたしの将来の夢、声優にしようかなって」

「……ええ!?」


 意外なことに、一番驚いたのはほのかのお母さんだった。


「読モはもうやめるってこと!?」

「やめませんよ。なりたいと思ってすぐなれるわけじゃないですし。……もし本当になれたらやめないといけなくなるかもしれませんけど」

「そっか……。でも、どうして声優? 美桜ちゃん可愛いんだから、それこそアイドルとかでもいいと思うけど」

「今の時代、声優も可愛くないとやっていけないですよ」


 アイドルアニメの声優やって、そのままリアルでもライブする声優もいる。

 歌って踊れてアニメやマンガ、ラノベの知識も生かせる。これこそ今の「香坂美桜」に向いてる仕事じゃないだろうか。


「わたし、だめでもともと挑戦してみたいんです」

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