美桜と習い事(その4) 2017/1/27(Fri)
「今日も泳いだねー」
「うん。泳ぐの速くなったよね?」
「美桜ちゃんだって。やっぱり練習してると違うのかな?」
週二回のスイミングスクール通いもすっかり恒例になった。
終わった後、スクールに置かれているアイスの自販機でちょっとした買い食いをするのも密かな楽しみだ。なんかスイミングスクールっていうと「=アイスの自販機」のイメージがあるんだけどなんでだろう。カロリー補給のためとか?
今日は無難にバニラをチョイス。恋はストロベリー。
運動した後の甘い物は格別だ。傍に置かれているソファに座って二人でアイスを味わっていると、
「あ、いた!」
女の子の声がフロアに響いた。
振り返ると、僕たちと同い歳くらいの子が睨みながらこっちに歩いてきていた。
恋と目配せして「知り合い?」「ううん」と無言で共有。
知り合いではないけど、スクール内で見たことはある。別のコースの利用者だろう。
睨まれているのは気のせい、というパターンを期待したけれどあいにく彼女は僕たちの前でしっかりと止まった。
「ねえ」
よく見るとけっこう可愛い子だ。
だいぶ気の強そうな顔立ちをしているのが好みの分かれるところだけど、着ている服もそこそこ高いブランドものだ。
お嬢様なのかもしれない。レベルとしては僕と玲奈の間くらい。
それにしても、こういうシチュエーションはわりと珍しい。
うちのクラスはなんだかんだ仲がいいというか本気の喧嘩っぽいことはほとんどない。
「ねえ、あなた香坂美桜?」
「そうだけど」
暗に「なんの用?」と意思表示をすると恋が僕の脇をつついて、
「あれだよ美桜ちゃん。サインが欲しいんじゃない?」
「わたし、芸能人じゃないんだけど……」
と言いつつも、実は最近、たまに知らない人からサインを求められる。
読モをしている雑誌も二誌になり三誌になり、同世代からわりと認知されるようになった。
普通の人にとっては読モもモデルも有名人には違いないようで、僕は大して上手くもないサインを何度か書かされている。
もちろん応援してくれるのはありがたい。
にっこり笑って「下手なサインでよかったら」と告げると、
「違うわ! 私は話があって来ただけ!」
なんだ、違うのか。
ほっとしつつ本題を待つと、彼女は僕を睨んで、
「なんで本気で泳がないの?」
「え?」
予想とはだいぶ違うことを言ってきた。
◇ ◇ ◇
「私は
「特別コース……」
「いちばん上のやつだね。すっごく厳しそうなやつ」
水泳部志望とか、本気でうまくなりたい子向けのコースだ。
「そうよ。私は厳しい指導に耐えてでも上手くなりたいの。なのに、あんたはいつまであんなお遊びみたいなコースにいるのよ!?」
「つまり、わたしに上のコースに来て欲しいってこと?」
叶音はふんと鼻を鳴らすと「そうよ」と腰に手を当てる。
「あんたならもっと上でもやっていけるでしょ。……そっちの子は今のコースがお似合いかもしれないけど」
「えへへ。うん。私はみんなとお喋りしながらやる方がいいかな」
「褒めてないわよ!? 向上心がないって言っているの!」
意外と悪い子じゃないのかもしれない。
嫌味を言う叶音と全然効いてない恋のやり取りを聞きながら僕は場違いなことを思った。
女の子の嫌がらせは陰湿だ。
有名になったせいか、僕もたまに陰口を叩かれたりする。聞こえるか聞こえないかの声でひそひそ言って、咎めようものなら「えー? なにも言ってないけど?」とかとぼけたりするやつだ。
今のところスルーしてるけど、別の子が過剰反応した結果、逆に「きもい」とか悪者にされているところを見たこともある。
それに比べたら面と向かってある意味正論を言っているんだからすごくいい子だ。
「ごめんね。わたし、水泳は健康のためにやってるから」
でも、受け入れられないこともある。
笑って謝ると彼女はさらに食い下がって、
「本気でやったほうがダイエットにもなるんじゃない? ……必要そうには見えないけど」
「あはは。あんまり負担をかけすぎるのも身体には良くないよ。むしろ継続が大事かな」
水泳は有酸素運動だから効果も高い。
「私は食べ過ぎちゃう時あるんだよね。もしかして泳ぐの効いてる?」
「効いてる効いてる。適度に筋肉つけといたほうがカロリー燃やしやすくなるってお姉ちゃんも言ってた」
「そっか。運動していっぱい食べるのがいいんだね!」
「って、真面目に聞きなさいよ!」
急な大声に少しびくっとした。
周りからも注目されているのでできればやめて欲しい。
「どうしてそんなにわたしを頑張らせたいの?」
穏便な話に持っていこう。小首を傾げて尋ねると、彼女は少しテンションを下げて、
「……みんなすぐに止めちゃうからよ」
「そっか。友達が少なくて寂しいんだ」
「誰もそんなこと言ってないでしょう!?」
あ、駄目だ。マイペースな恋とは相性が悪いっぽい。
僕はこほん、と咳ばらいをして、
「わたしもそんなに根気はないよ? ピアノもやってるから習い事も増やせないし」
「週二回でもいいわよ。どうせやるなら本気を出しなさい」
「今も本気のつもりだよ? ただ目的が違うだけで」
と言ってもわかってはくれないんだろうな、と、言い終わる前にわかった。
「相原さんは本気なんだね? 水泳の選手になりたいの?」
「違うわ。私はやる以上は全力でやるだけ。……私のやりたいことは別にあるもの」
「なになに、叶音ちゃんはなにがやりたいのっ?」
恋が思った以上にぐいぐい行く。
この二人、ある意味相性がいいのかもしれない。
苦手なタイプからの攻めに相原さんはぐっと息を詰まらせて、小さく、
「……よ」
「え、なに?」
「アイドルよ! 私はアイドルになりたいの!」
本人も大声を出してからしまった、という顔をする。
口を押さえて真っ赤になりぷるぷる震え出す彼女。正直、かなり可愛い。
なるほど、アイドルになれる素質はあるかもしれない。
恋は「すごーい!」と大喜びで、
「頑張ってね、きっとなれるよ、アイドル!」
「え、ええ。……ありがとう?」
相原さんの手をぎゅっと握って応援し始めた。
それにしても水泳にアイドル、か。
「そっか。肺活量とかも鍛えられるもんね」
「そ。……だから、あなたもそうなのかと思ったのに。このまま読モ続けるつもりなの?」
「ううん。まだ考え中」
僕が本当にやりたいことはまだ形になっていない。
なんとなく方向性は見えてきているんだけど、具体的にどれが一番僕に合っているのか突き詰めるにはもうしばらくかかりそうだ。
答えを聞くと相原さんは「そう……」と肩を落とした。
「無理を言ってごめんなさい。あなたなりに考えがあるのね」
「ごめんね。でも、わたしも応援するよ、アイドル」
心の中で頑張れって思ってる、くらいのノリで言ったらぴくっと反応されて、
「応援って、具体的には?」
「え」
そこはあんまり突き詰めなくてもいいんじゃないだろうか。
僕は愛想笑いを浮かべつつ必死に頭を巡らせて、ひとつ、案を思いつく。
「じゃあ、一緒にカラオケに行かない?」
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