【番外編】メイドの密かな楽しみ
私──
時代錯誤な職業とも言われるけれど、私の性には合っている。
大学卒業と同時に勤め始めて以来、辞めようと本気で思ったことはないし、これからもきっとそうだと思う。
やりがいを感じる大きな理由の一つは玲奈お嬢様だ。
『初めまして、西園寺玲奈と申します。これからよろしくお願いしますね』
初めて出会った時、私は運命を感じた。
名家の生まれでありながら必要以上に偉ぶることも驕ることもなく、使用人にも柔らかい物腰で接してくれる西園寺家のご令嬢。
私にとっては玲奈様が理想のお嬢様であり、一生かけてお仕えしたいと思える相手だった。
だから、お嬢様のお世話ができるのは何よりの幸せ。
お嬢様とご友人二人による海水浴に同行を命じられた時も感じたのは喜びだった。
もちろん、メイドの仕事は楽ではない。
長距離の運転、家事全般、しっかりしているとはいえまだ子供であるお嬢様方を危険から遠ざけること、ありとあらゆることを一人で行う。
気の抜けない重要な役割だったけれど、私にはその分だけ「ご褒美」もあった。
「……ああ、玲奈様はいつ見てもお美しい」
深夜。
静まり返ったヴィラの一階リビングにて恍惚の息を吐く。
テーブルの上には一台のノートPC。
本日、撮影したお嬢様方の画像の編集作業だ。到着してから三人は海で遊ばれていたので水着の写真が多い。その他にも料理に興じる恋様の姿や、ご一緒に空を眺める玲奈様と美桜様の姿なども収められている。
日々成長していく玲奈様は今なお美しい。
大人になったお嬢様はさぞかし美人だろう。今から待ち遠しいような、できるだけゆっくりと成長していただきたいような複雑な気持ち。
「けれど、美桜様と恋様もとても可愛らしい」
香坂美桜様と嬬恋恋様は玲奈様の親友だ。
以前から送り迎えの際などに顔をお見掛けすることはあったし、玲奈様からも話は聞いていた。家が独自に調べた情報も私の耳には入っている。
私にとっての一番が玲奈様なのは変わらないものの、お二人もまた美少女と言っていい容姿の持ち主だ。
天真爛漫な恋様は表情がころころと変わって微笑ましく、なんにでも挑戦しようとする姿勢も好感が持てる。
美桜様は玲奈様とはまた違った意味で落ち着いていらっしゃるけれど、時折年齢相応な顔を見せてくださる。玲奈様と恋様を心から慈しんでいることが伝わってきて私も嬉しくなった。
「少し心配もしていたけれど、杞憂だったのかも」
安堵と共に小さく呟くと、
「心配、ですか?」
意外にも背後から応じる声があった。
振り返ると、日本人にしては色白で、かつ繊細な顔立ちをした少女──美桜様が立っていた。可愛らしいパジャマ姿で、瞼が少し重そうだ。
「美桜様、トイレですか?」
「はい、もう済ませてました。そうしたら、明かりが見えたので……」
失敗してしまった。
夢中になりすぎて注意が散漫になっていた。
「恥ずかしいところをお見せいたしました」
私は苦笑すると、美桜様にホットミルクを勧めた。
微笑んで受け入れてくださったので、鍋でミルクを温め始める。
美桜様は興味ぶかそうに近づいて覗き込んでくる。ノートPCではなく、鍋の方を。
「あの、美桜様。できれば誰にも言わないでくださいますか?」
少女はこくんと頷くと私を見上げて、
「小百合さんは玲奈のことが大好きなんですね」
「……はい、お慕いしております」
やっぱり、美桜様はどこか大人びている。
全て見透かした上で穏便な言葉を選んでくれているような気がして、私はつい頬を染めた。
そう。私は玲奈様を愛している。
もちろん、それは敬愛であり、愛おしいものを大切にしたい気持ちでもある。けれど同時に恋愛的な感情が含まれていることも間違いない。
「私、物心ついた頃から男性に興味がないんです」
美桜様は驚かなかった。
「今の時代、珍しくもないですよね」
「そうですね。同性婚も認められていますし、同僚にもそういう子がいます。私もきっと、ゆくゆくは誰かと一緒になるでしょう」
だからといってお嬢様への想いは変わらない。
メイドの仕事を続けられないのなら、そんな相手とは結婚しない。
「……そっか。そういう人生もあるんですね」
鍋の中のミルクを見つめながら呟く美桜様を見て、私は「情報とはだいぶ違うな」と思うと同時に「情報通りだ」とも思った。
数か月前まで、彼女は素行不良の目立つ子供だった。
不良と言っても西園寺家の基準で見ての話だ。教師の話はきちんと聞くし勉強もする。ただ、恋愛に積極的すぎて友人関係を疎かにし過ぎていた。
玲奈様にそれとなく話をしても困ったように微笑むだけ。
──そんな性格が、記憶喪失を機になりをひそめた。
クラスメートの燕条湊に対するアプローチを止め、代わりに玲奈様や恋様と過ごす時間が増えた。
こうして直に接して見てもなお、彼女への印象は「優しく聡明な子」だ。
「どうか、美桜様はそのままでいてくださいませ」
「え?」
不思議そうな顔をする少女に「申し訳ありません」と謝ってから、私は火を止めた。
ホットミルクを二人分注いで、テーブルに置く。
「蜂蜜もありますが、どうなさいますか?」
「……そんな罪深い飲み物があっていいんでしょうか」
真剣な顔で呟くものだから私はついくすりと笑ってしまった。
温かくて甘いハニーホットミルクは確かに罪の味だった。だからこそ、たまらなく美味しい。
じわりと染みこむ温かさを楽しんでいると、
「わたしの写真もあるんですよね?」
私は危うくミルクを噴き出しそうになった。
「いえ、それは、まあ。皆様の写真を撮るのも私の役目ですので」
「大丈夫ですよ。全部、秘密にしますから」
悪戯っぽく笑う美桜様。本当に、この方は底が知れない。
「美桜様は、人に使われるのではなく人を使う側の方なのでしょうね。お嬢様と同じように」
「そう、なんでしょうか?」
「ええ、きっとそうです」
香坂美桜という少女に対する警戒を弱めることにする。
西園寺家にはまた別の考えがあるかもしれないけれど、私としてはこの方にお嬢様の傍にいて欲しいと思う。
今日を含め、最近のお嬢様を見ていると特にそう思う。
あるいは、この方とお嬢様が友人以上の関係になることも──。
「ちなみに、美桜様はどちらがお好きなのでしょうか?」
「っ!? わ、わたしは普通です! 変なこと言わないでください!」
美桜様は堪えきれなかったらしく盛大にむせてしまわれた。私は「申し訳ございません」と謝りつつ彼女の背中をさする。
果たして「普通」とはいったいどちらなのか、それは敢えて尋ねないことにした。
恋愛嗜好は変わることもある。これから先、お嬢様や美桜様、恋様がどのような恋をするのか、それはまだわからないのだ。
落ち着いた美桜様はなおもほんのり頬を染めながら「そうだ」と顔を上げて、
「わたしが写真撮影をサポートしましょうか? 良い写真が撮りやすいように玲奈たちを誘導──」
「お、お気持ちだけありがたく受け取らせていただきます!」
大人びていて、勘が鋭くて、けれどどこか抜けていて、お茶目なところも持ち合わせている。
一番はお嬢様で変わらないけれど、これからは香坂美桜様のことも密かに応援したい。
お嬢様と話を合わせるためにも、美桜様の写真が掲載されている雑誌は購入しておきたい。
もちろんこれは職務上必要だからであって、着飾った美桜様が見たいから、という理由では決してない。
けれど。
もしお嬢様が美桜様と一緒に読者モデルをしたら、きっとそれは至福の光景だろうと、私はそんなことも思ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます