章間
【番外編】湊くん(?)になったわたし
目が覚めると、わたしは知らない部屋にいた。
素っ気ないグレーの掛け布団とベッドシーツ。黒いケース入りのスマホ。見たこともないマンガの数々に、ちょっと皺が寄ったままハンガーにかかった制服。
半分眠っている頭で「あれ……?」と思ったすぐあと、わたしは全部思い出した。
自分が何に挑戦していたのか。
「成功した……っ!?」
がばっと起きる。
低い男の声。元のわたしよりずっと太い腕。固くて平らな胸。口元を指で撫でると少しざらっとしているし、手足にもうっすらとだけど毛が生えている。
あそこには女の子にはないものの感覚。
──入れ替わってる。
どこからどう見てもわたしじゃない、男の子の身体。
でも、それなのに。
「湊君じゃない……! これ誰の身体!?」
わたしは
クラスメートの
儀式は成功したはず。
なのに入れ替わった先は、可愛くて格好良くてわたしの大好きな湊君じゃなかった。
「もしかして失敗なの……? でも、こんなの聞いてない! こんな誰だかわからない人になるなんて……!」
枕をつかんで壁に叩きつける。
軽い音を立てて落ちる枕。これじゃぜんぜんストレス解消にならない。ぬいぐるみでもあれば叩けるのに、と思っていると誰かが部屋に近づいてくる気配がした。
びくっとして、どうしようかと思っているうちにノックもなくドアが開いて、知らないおばさんが入ってくる。
「湊、何騒いでるの!? 起きたんなら早く支度しなさい!」
この人が今のわたしのお母さんなのはなんとなくわかった。
きっと、適当に答えればこの場は誤魔化せる。でも、わたしはおばさんの言った「あること」のせいでそれどこじゃなくなった。
「湊くん? 誰が?」
「あんた何言ってるの? ふざけてないで顔洗ったら?」
呆れたような声はとても冗談を言っているようには見えなくて、
「どういうこと……?」
わたしはベッドの上に座りこんだまま呆然と呟いた。
足はぜんぜん開かなくて、いつもみたいにぺたん、と座ることもうまくできなかった。
◇ ◇ ◇
「……湊くん?」
洗面所で鏡を見ると、顔には湊君の面影があった。
彼が高校生くらいになったらこんな感じかもっていう顔。スポーツはやっていないのか筋肉は少なめ。でも、どこからどう見ても男の子。
五年生の湊君の可愛い感じもちょっとだけ残っている。
成長した分だけ格好良さが強くなってて、これはこれで好みかもしれない。
──もしかして未来に来ちゃったとか……?
それならそれでいいかもしれない。
思ったわたしは、予想が外れだとすぐに気づいた。
トイレから水が流れる音がして、大人の男の人がこっちに歩いてきたからだ。
「ああ、おはよう湊」
「え、誰?」
「……はあ?」
男の人は湊君のお父さんだった。
「ちょっと待ってよ、意味わかんない! なんなのこれ!? なんで湊君にお父さんがいるの!?」
わたしの知ってる湊君にお父さんはいない。
彼はお母さんと二人暮らしだ。別に珍しくはない。うちだって四人家族だけどお父さんはいなかった。
だって、男は数が少ない。
女の子は人工授精で子供を産むか、男の子にお願いして子供だけ作らせてもらうのが普通。だから結婚できる女の子はすごい勝ち組のはずなのに、
「こんな普通のおばさんが結婚してるとかありえなくない!?」
「一体どうしたんだ湊。言ってることがおかしいぞ」
「さっきからこんな調子なの。ふざけてるのかと思ったんだけど……」
お父さん(仮)とお母さん(仮)に宥められてもすぐに落ち着けなかったわたしは無理やり病院に連れて行かれた。
◇ ◇ ◇
「検査の結果、息子さんの脳に異常は見られませんでした」
白衣を着た中年の男性医師が当たり前みたいに話している。
病院の中にも男の人が多くて「ここは天国なのかな?」と思った。
「じゃあ、どうしてこの子は急におかしくなったんですか?」
「それが、脳波を調べたところ女性的な反応が多く見られました。息子さんが『自分は女だ』と主張されているのは正しいというか、なにか理由、あるいは原因があるのかもしれません」
「だからそう言ってるでしょ!? わたしは香坂美桜、女の子なの!」
当たり前のことを言ってるだけなのにお医者さんは「困りましたね」と腕組みをして、お母さん(仮)はこの世の終わりみたいな顔をした。
わたしはさらに別の大きな病院に連れていかれて入院になった。
「つまり、君はおまじないで別の世界から来て、燕条湊君と入れ替わったと」
「そう! わたしがいたのはこんな変な世界じゃなかった!」
この世界の男女比は1:1らしい。
こっちには男の子がいくらでもいる。だから別に大事にはされないし、むしろ、どこか投げやりに扱われているように感じた。
さらにショックだったのは、湊君より格好いい男の子が普通にいることだ。
湊君だけじゃなくて男の子はみんな格好いい。でも一番は湊君。そんな風に思ってたけど、男の子が珍しいからそう思えただけで、たくさんの男の子と比べたら湊君も他の男の子も大してイケメンじゃなかったのかもしれない。
そんなの、知りたくなかった。
それに、もしその通りだとしたら入れ替わりは完全に失敗だ。
わたしは湊君になりたかった。わたしになった湊君と恋愛するか、他の女の子と付き合って幸せに暮らす予定だったのに、これじゃわたしのままでいたほうがマシだった。
もしかしたらと思って女の看護師さんに「君、可愛いね」って口説いてみたりもしたけど失敗。わたしのいた世界なら「男の誘いを断る」なんて相当自分に自信がないとできない。
「じゃあ、燕条さん──もとい、美桜ちゃんはどうしたい?」
「もちろん、元の身体に戻りたい!」
わたしが使った本のタイトルは憶えてる。
病院の先生にお願いして探してもらったけど、本は見つからなかった。
記憶を頼りに再現するのも無理。だって、一回失敗してるんだから。憶えている通りにやったらきっと失敗して、また別の人と入れ替わっちゃう。
元の身体に戻れないことを知ったわたしは泣いた。先生や看護師さんからは変な生き物みたいに見られた。
それから子供を相手にするみたいに優しく、
「美桜ちゃん。落ち着くまでこの病院にいようか。大丈夫、きっと良くなるよ」
「……はい」
わたしは「頭がおかしくなった人」扱いされた。
◇ ◇ ◇
「本当にお世話になりました」
一か月後、わたしはようやく退院した。
精神病棟で何日も過ごしていればさすがに「おかしいのはわたしのほうだ」とわかった。どこかおかしくなった人たちと同じ空間で過ごすのは(精神的には)どこもおかしくないわたしにはけっこう辛くて、自然と今の自分を受け入れようと思うようになった。
身体が高校生の男の子なんだから嫌でも「今はこれがわたしなんだ」ってわかる。
お風呂で適当に身体を洗っても平気だし、トイレの仕方が違うし、ご飯をたくさん食べないとお腹がすくし、なんか味の濃い物が欲しくなるし、栄養バランスに気をつけなくても「男の子だからね」で済まされるし、なんかよく話しかけてくるおじさんは当たり前のように「女の子の胸が」とか「尻が」とか言っていた。
男の子と女の子はぜんぜん違う。
この一か月で深く思い知った。
わたしはこの世界で『燕条湊』として生きるしかない。
「湊、本当にもう大丈夫なの?」
「大丈夫だよ、母さん。……前のことは全然思い出せないから迷惑かけるかもしれないけど」
男っぽく振る舞うとお母さん──母さんも少しはほっとしたのか笑顔を見せてくれた。
僕も微笑み返そうとして、別にそんなことしなくてもいいんだと気付いてそっぽを向く。男子はこれくらいでも感じ悪いとか思われない。
男子の生活は女子に比べてぜんぜん楽だ。
ポテチもアイスも思いっきり食べられそうだし、最近若い看護師さんを見ると「触ってみたいな」って思う。女の子同士で恋愛するなんて考えたこともなかったけど、けっこういいかもしれない。
しょうがないからしばらく男の子を演じてやろう。
──もちろん、元に戻るのは諦めない。
おまじないの本をもう一回自分で探す。
どうしても見つからなかったら記憶を頼りに試す。失敗して別の人に入れ替わったらもう一回。成功するまで繰り返せばいい。
どうしてそこまでするのかって?
そんなの決まってる。わたしの身体を男の子が使ってる。そんな気持ち悪いこと許しておけない。
「待ってなさいよ、燕条湊」
いつか絶対に思い知らせてやる。
わたしは「もう一人の湊君」に身の程を思い知らせるために新しい挑戦を始めた。
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