美桜とこれから 2016/8/5(Fri)

『急にいなくなったりしない?』


 恋からあんなふうに聞かれるなんて思わなかった。

 考えてみれば当たり前だ。

 恋も玲奈も、僕と同じ一人の人間。高校生と小学五年生じゃ生きてきた年月が違うけど、だからって馬鹿にはできない。

 毎日いろんなことを感じて、考えて、成長している。

 表向き明るくて無邪気に見えたとしたら、それは恋がそういう風に振る舞っているからだ。


 ──僕は、香坂美桜じゃない。


 それはこの世界で生きていく限り、抱え続けなくちゃいけない秘密だ。

 言ったところで意味はない。

 僕が逆の立場、打ち明けられる側だったとしたら。騙されていたことは不満だけど、だからって「騙していたから好きなだけ怒ってくれ」なんて言われても困る。そのまま騙し続けていてくれれば悩む必要なんてなかったのに、と。

 だから、恋たちには言わない。

 香坂美桜のフリをしてこれからも生きていく。その罪をあらためて自覚させられると同時に、僕にはもうひとつ、予想できないタイムリミットがあることもあらためて認識した。


 ある日突然、元の身体に戻るかもしれない。


 心臓発作で死ぬようなものだ。怖がっていても仕方ないんだろうけど、気軽に「ずっと一緒だよ」と言うのが怖くなった。

 本当に入れ替わりの原因が美桜のおまじないなら、もう一度同じことが起こらない保証はないわけだし。

 でも。

 恋の一生懸命な表情を見て、その後話した玲奈の優しい表情を見て、僕も覚悟を決めた。


 どうしようもない「終わり」が来るまではこの世界で頑張る。


 大切な親友たちと離れたりなんかしない。

 少なくとも自殺したり、僕のほうからおまじないを試したりは絶対にしないと。



   ◇    ◇    ◇



 海水浴を思う存分堪能して帰ってきて。

 僕は小学五年生の夏休みを本格的に始めた。

 普段の生活とはまったく違う自由な日々。普段、学校生活にどれだけ時間を取られているかがよくわかる。


 現に、モデルをしているお姉ちゃんはたまに学校を休んでるし。

 

 でも、だからってだらけてばかりはいられない。

 あとあと困らないように宿題を片付けて、ピアノ練習用のキーボードをカタログやネットで選んで、夏のファッション情報をチェックして、お姉ちゃんがあれこれと教えてくる美容法や健康法をひとつずつ試して。

 合間にマンガやラノベを読んだり、アニメを見たりしていたらあっという間に時間が過ぎていく。

 クラスメートと話を合わせるためにはドラマもチェックしないとだし、流行の曲にも触れておかないといけない。つぶやいたーやリンスタの更新もある。世のおしゃれ女子たち、華やかな見た目に反して忙しすぎじゃないだろうか。


「美桜ー? つぶやいたーとかリンスタチェックした?」


 そんなある日、キッチンへアイスティーを取りに行こうとしたところでお姉ちゃんに捕獲された。

 抱きついてくるのはもう諦めたけど夏場は暑苦しいので勘弁してほしい。


「今日はまだ。なにかあった?」

「うん。美桜の出た雑誌、プチバズってるよ。ほら」


 見せてくれたスマホ画面にはいわゆるエゴサーチの結果が映っている。

 僕が読モをした一回目の雑誌、そういえばつい先日発売日だった。僕のところにはほのかのお母さんがタダで送ってくれることになっていたので忘れていた。

 それにしてもプチバズとは。


『このmioって子可愛くない?』

『読モはじめての子だよね。オーラある~』

『白くて肌すべすべだし羨ましい』


 指で適当にスライドさせながら文面を読み上げた僕は「……ほんとに?」と硬直した。


「ドッキリとかじゃないよね?」

「こんな手の込んだドッキリしないよ。ま、こういうのはたまにあるから」

「あ、そうなんだ」

「たまにね。こうやって話題になった子は高確率で人気出るよ」


 またまた冗談ばっかり、と言いたいところだったけど、お姉ちゃんはこの手のことでは冗談を言わない。誇張はしてもだいたいは合ってる。

 mio、というのは相談して決めた芸名みたいなものだ。

 本名をそのまま使うよりは身バレもしづらいはず、と一応設定しておいたのが正解だったかもしれない。


「つぶやいたーとリンスタのアカウントも特定されてたよ」

「なんで!?」

「なんでって、そっちもmioじゃん」


 そうだけど、特定されるの早くないか。


「わたし、変なこと書いてないよね?」

「大丈夫。美桜はけっこう気を遣ってるから。特定に繋がるような映り込みもないし、どこかに行った系の投稿は日付とか時間ずらしてるし」

「だよね。顔出しもしてないし」

「ま、雑誌で思いっきり顔出ししたうえ紐づけられちゃったらあんまり変わんないけど」

「……お姉ちゃんはどうしてるの?」

「どうって、街で声かけられたら『ありがとうございますー』って愛想良くするだけだって」


 芸能人も大変だ。

 僕もこれから道で声かけられることが出てくるかもしれない。

 思ったより大ごとになったなあ、と思っていると、お姉ちゃんは上機嫌で、


「美桜もこれで本格的にこっち側だね。まずは読モ頑張ってもっと有名になりなよ」

「そんな簡単に有名になんてなれないよ」


 なった。



   ◇    ◇    ◇



 雑誌のプチバズを受けた公式アカウントが僕の紹介を投稿したからだ。

 今回読モデビューした期待の新人。北欧に縁のある小さな妖精。次号にも引き続き登場予定──。


「ちょっと褒め過ぎなんじゃ……?」


 出版社としては褒め過ぎなくらいでちょうど良かったらしい。

 これを受けて一部界隈でさらに『mio』の名前が広がり、注目を浴びるように。

 こうなったら自分から明かしても一緒だよね、と、つぶやいたーやリンスタのアカウントでも雑誌デビューを公表するとフォロワー数が一気に増えた。


 雑誌の公式アカウントや読モ仲間と相互フォローしたのも大きかったと思う。


 もちろん、バズったと言っても広い芸能界ではまだまだひよっこ、そのへんにいる雑魚レベル。それでもクラスメートからは「おめでとう!」とたくさん連絡が来た。

 数日後には三回目の読モ仕事もあり、その場でほのかのお母さんが他の雑誌の編集者さんを紹介してくれて「他の雑誌にも出てみないか」と話をくれた。

 早すぎるとも思ったけど、実際に撮影が行われて本になるには時間がかかる。今から動き始めて早いということはない、とのこと。


「わかりました。わたしでよければ、よろしくお願いします」


 人前に出るのが『香坂美桜』には合っていると思う。

 将来、芸能の道に足を踏み入れることになった時にも読モの経験は役に立つはず。せっかくなのでもらった仕事は積極的に受けていくことにした。


 さらに、少し後にはお兄さんの応募したマンガが新人賞に入賞。


 出版社から連絡を受けたお兄さんがいち早く教えてくれたので、僕は雑誌や公式サイトに結果が載るよりも早く「それ」を知ることができた。


『というわけで、美桜ちゃん。賞金は山分けだったよね?』


 原案として僕の名前を載せてもらうことにした、と電話越しに告げてきたお兄さん。


『名義は「mio」でいいのかな?』

「あ、はい。統一したほうが……って、そうじゃなくて! わたしが言ったのは賞金の話ですから、名前まで載せなくても」

『駄目だよ。知名度が上がるのだって立派な報酬じゃないか』


 というわけで、マンガ雑誌に『mio』の名前がばっちり載った。

 もちろん、読モの『mio』とすぐに結び付けられることはなかった。ごくごく一部で「この子じゃないよな?」と話題に挙がっても「まさか小学生の読モじゃないだろ」とあっさり切って捨てられたくらい。

 これにほっとしていたら、


『それでさ。連載化が決まったんだけど、編集さんが「原案の人も一緒に」って言うんだ。だから美桜ちゃん、一緒に行かない?』


 なんだか一気にいろんなことが僕のところへ舞い込んできた。


『美桜ちゃんが遠くに行っちゃったみたい』

『わたしはどこにも行かないってば。前にも言わなかったっけ?』

『うん、そうだよね。美桜ちゃんは美桜ちゃんだもん』


 忙しくなっても僕は僕だし、恋や玲奈とはもちろん、ほのかとも友達のままだ。

 ほのかとは相変わらず読者仲間で、たまに本の貸し借りをしている。ついでにお兄さんとマンガ談義やラノベ談義もできるのでとても充実した時間だ。


『そうだ。あのね、美桜ちゃん。実は私、小説を書いてるの』

『そうなんだ、初耳』

『うん。まだまだなんだけど、もし完成したら読んでくれる?』

『もちろん。約束だよ』


 僕がいつ、香坂美桜でなくなるかはわからない。

 でも、もし元の美桜が身体を取り戻そうとするのなら入れ替わり直後がいちばん危険だったはず。そう考えるとすぐには元に戻らない可能性が高い。


 きっとまだ、僕は美桜のまま。


 僕の『香坂美桜』としての生活はこれからも続いていく。

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