【閑話】夏休み中の湊

「母さん。この雑誌知ってる?」


 僕がスマホ画面に映った表紙を見せると、母さんは少し眺めてから「ああ」と笑った。


「小学生向けのファッション誌でしょ? 私が子供の頃もあったっけ」


 昔を懐かしむような表情。

 誰々が出てた、とか言われてもほとんどわからない。僕が少し呆れていると「それがどうしたの?」と首を傾げる。


「興味あるの?」

「違うよ。香坂が読者モデルで載ったって言うから」

「そう。あ、香坂さんってあの可愛い子でしょ?」


 母さんは香坂を「可愛い子」と認識している。

 去年か一昨年の授業参観で顔を見て以来ずっとだ。僕が普段、香坂がいかに鬱陶しいかを説明してもぜんぜん直らない。

 確かにあいつは可愛いから余計に納得いかない。


「あの子なら読者モデルも納得ね。たしかお姉さんもモデルなんだっけ。やっぱり家系?」

「知らないよ」


 僕はなんとなく聞いてみただけで、別に雑誌が欲しいわけでもない。

 うちは母さんと二人暮らし。

 男の子がいる家はアパートやマンションだと危険、なんて迷信(?)を信じて一軒家を買った結果、二人目を育てる余裕がなくなったとか。そう言われると申し訳ない気持ちになるけれど「女の子二人だったらもっと無理」って母さんはよく言っている。


「ねえ湊。その子、あんたのこと好きなんでしょ? 付き合っちゃえば?」

「嫌だ」


 勿体ない、という母さんの声を聴きながら僕は自分の部屋に戻ってマンガを読み始めた。

 夏休みは自由でいい。

 時間がたっぷりあるからマンガもゲームもやり放題だ。本当は仲間と泳ぎに行きたいところだけど、プールは女がいっぱいなのであまり気が進まない。一人でのんびり過ごすか、誰かの家に集まってごろごろするのが楽な遊び方だ。

 集中し始めるとそれきり香坂のことも雑誌のことも頭からなくなった。


「はあ……楽しかった」


 楽しみにとっておいたマンガを一気読みするのは快感だ。

 もっと読みたいけど小遣いが続かない。時間があるのに金がないなんて、とため息をつきながら風呂に入って、晩御飯のためにリビングへ行くと、


「母さん、どうしたのこれ?」

「ああ、それ? 買っちゃった」


 香坂が出ているというファッション誌がテーブルの上に置かれていた。

 夕方「買い物に行ってくる」という声に「ああ」と答えた記憶はあるけど、まさかわざわざこんなものを買いに行っていたとは。

 女向けの雑誌だから僕が見ても仕方ないし、母さんだって歳が合わない。


「久しぶりに読んだらわくわくしちゃった。美桜ちゃんも可愛く映ってたから見てみなさい」


 あいつの呼び方が「香坂さん」から「美桜ちゃん」になっている。

 なにもそんなにはしゃがなくても、と思いつつ、夕飯のから揚げを頬張るついでにぺらぺらとめくる。

 相変わらず女子のファッションはよくわからない。

 赤とかの派手な色合いもリボンもスカートも僕には縁がない。女子はこういうのを見て「可愛い~」とか言ってるけど何がいいのか、


「あ」


 別に探すつもりもなかったのに香坂が映っているのを見つけてしまった。

 私服姿のあいつを見ることはほぼない。

 制服じゃないとまるで別人みたいだ。知らない女子と一緒にいるから余計にそう思うのかもしれない。でも、間違いなく香坂だった。

 お洒落らしい服を着て、こっちに向けて笑っている。

 読者モデルも女子の服もよくわからない僕が見ても、他の女子に負けてないのはわかる。

 というか、


「……っ」


 頭に浮かんだことを慌てて忘れようとしながら雑誌を閉じる。

 母さんの「乱暴にしないでよ」という声もあんまり耳に入らなかった。

 だって。

 他の読者モデルと比べても香坂が一番可愛いとか、いくらなんでも恥ずかしすぎる。


 まあ、もしそうだったとしても性格で減点されて最下位なんだけど。



   ◇    ◇    ◇



「謎だよな、mio」


 突然の話に僕は飲んでいた麦茶を噴き出しそうになった。

 今日は六年生の先輩(もちろん男子だ)が家に遊びに来ている。

 先輩は持ってきたマンガ雑誌をぺらぺらめくっていて、まるで雑談みたいに言った。いや、別にいいんだけど。


「先輩。女子を下の名前で呼ぶとかやばいですよ。しかもあいつの名前とか」


 絶対調子に乗って変なことをしでかす。

 僕が経験からそう言うと、先輩は「いや、違うって」と手を振った。


「香坂じゃなくて。ほら、これ」


 差し出されたページにはマンガ大賞の受賞作が載っていた。

 受賞作はこの号に掲載されていて、そっちはもう読ませてもらった。僕としては銀賞を取った空賊の話が好みだ。連載として始まるらしいので今から待ち遠しい。

 先輩が指したのはちょうどその銀賞受賞作の作者名。

 ……じゃなくて、正確には作者名と一緒に書かれた謎の名前だった。


『原案:mio』


 なんだこれ。


「原案ってなんですか?」

「話のアイデアは別のやつが考えたってことじゃね? 原作じゃないからあくまでアイデアだろうけど」

「そういうのって投稿作品でもあるんですか?」

「いや、珍しいと思う」


 連載作品なら原作と作画が別とかけっこうある。

 実は最初から連載が決まってたプロの作品とか? いや、そういう不正みたいなことはしないはず。っていうか、だとしたらわざわざ証拠を残してるようなものだ。


「……確かに謎ですね」

「謎だろ?」


 mioってなんだ。

 普通に考えたら名前なんだろうけど。


「男子でmioってなかなかいないですよね?」

「まあ、いないなあ。お前の湊もわりと珍しいけど」

「放っておいてください」


 mio、と言われるとやっぱり思い出してしまうのは香坂美桜あいつだ。


「……そういえば」


 僕は母さんが「持って行っていい」と押し付けてきた例のファッション誌を引っ張り出してきて、「お前それ……」とドン引きする先輩に「違います」ときっぱり言ってから目的のページを開いて見せた。

 着飾って笑うあいつの横には「mio」の文字。

 ニックネームとか芸名とかそういうやつなんだろうけど、


「一緒だな」

「一緒ですね」


 僕と先輩は顔を見合わせて、気づいてはいけない真相にたどり着いたようなプレッシャーを覚えて──同時に「ないない」と考えを放棄した。


「あの香坂美桜が少年マンガのアイデア出すとかありえないだろ」

「ですよね。……まあ、最近あいつ少年マンガ読んでるんですけど」

「おい待て本当かよそれ」


 あるわけない、で終わらせようとしたらもう一つ状況証拠が揃ってしまった。


「最近マンガ読み始めただけで原案出して賞取らせるとか、天才か?」

「いや、まだそうと決まったわけじゃ」

「でも、読モしてるなら出版社とコネはあるわけだろ? あ、ファッション誌こっちの出版社って──」


 マンガ雑誌とファッション誌は別の出版社だった。

 僕たちはもう一度「なんだ」とほっとした。


「ただの偶然ですよ、偶然。自分の考えた話をマンガ家に描いてもらえるとか僕がやりたいです」

「本当だよな。俺だってあるぜ。とっておきのアイデア」


 僕たちはそれから「俺の考えた最強のマンガ」について熱く語り合った。

 女子が見たら冷めた目で「くだらない」って言うだろう。この面白さがわからないなんてもったいない。最近、妙に冷めている香坂にももちろんわかるはずがない。

 先輩と男同士、趣味のことで話し合う時間はものすごく楽しかった。

 夕方、母さんに「ご飯食べて行く?」と聞かれた先輩はそれを丁重に断って、タクシーを呼んで帰っていった。


「お前の家は広くていいよな。また遊びに来ていいか?」

「もちろん。また来てください」


 やっぱり男は男同士で遊ぶのが一番楽しい。

 新学期が始まって香坂美桜と顔を合わせるのはまだもう少し先のことだった。

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