美桜と習い事(その1) 2016/7/12(Tue)

「ねえお母さん? わたし、習い事とかしなくていいの?」


 プールに遊びに行った二日後の夕食時。

 何気なくその話題を口に出すと、母と姉と妹が箸を止めてこっちを見た。


「美桜(お姉ちゃん)が」

「自分から」

「習い事の話を!?」

「え、そんなに変なこと言ったかな……?」


 戸惑いながら笑みを浮かべると、お姉ちゃんが「変でしょ」ときっぱり言って、


「あんた、前に薦めた時『面倒臭いからやりたくない』ってすぐ断ったんだから」

「お姉ちゃん『絶対やらない』って言ってたよ?」

「あー……」


 なんか目に浮かぶような光景だった。

 恋愛強者を気取りつつも持ち前の容姿にあぐらをかいてターゲットに合わせる努力もせず、家では少女マンガ読んでポテチを食べていた美桜ぼく

 遊ぶのに忙しくて習い事とかやりたいとは思わなかったんだろう。まあ実際、礼儀作法さえできてたらもっと早く読モに誘われていたらしいし。可愛さだけでも十分なポテンシャルはあるし。


「でも、どうして急に習い事?」

「うん、ほら、玲奈はいろいろやってるっていうから。わたしはやらなくていいのかなーって」

「西園寺さんのところはいろいろ特殊だけれど……そうね。美桜もなにかやっておいたほうが将来のためかもね」


 お母さんが頷く。

 この世界だと男子に養ってもらえる女子は少数。男の方が専業主夫になるケースも多いらしい。なので生活費は自分で稼がないといけない。

 小さいうちからなにかしら趣味や特技を身に着けておいたほうがあとあとを考えたら得だ。

 もちろん、そこまでの余裕がない家も多いだろうけど、うちは幸いそこそこ裕福。子供を習い事に通わせるお金はある。


「でも、お姉ちゃんは何もやってないよね?」

「私も小学校の頃はやってたよ。バレエと水泳。でも今はモデルのレッスンとかあるから」

「あ、そっか」


 既に仕事をしているわけだからそっちが優先。ある意味、お金をもらって手に職をつけている状態とも言える。


「じゃあ、わたしもなにか始めてもいいかな?」

「美桜がこんなこと言うようになるなんて……ね、美桜? 今のあんたのいいところはこれからも忘れないでね?」

「お、お姉ちゃん、大袈裟」


 暴走気味な姉の言動に若干引いていると、妹の美空がふわりと笑って、


「いいと思うよ。お姉ちゃんが楽しそうにしてると私も嬉しい」

「ありがとう、美空」


 我が家の末妹は本当に天使だ。

 そういえば、美空は塾だか幼稚園・保育園の延長だかでいろいろ習っているんだっけ。


「美空は普段ゲームとかしてるんだっけ」

「そうだよ。あ、そうだ。お姉ちゃんも一緒に行ってみる?」

「わたしも? 小さい子向けのところじゃないの?」

「そんなことないよ。高学年の子もいるもん」


 そうだったのか。

 だとすると、なんだろう。不登校だったり事情のある子を世話する施設みたいな感じなのか?

 僕が感心したり不思議に思ったりしているとお姉ちゃんが、


「美桜。たぶん勘違いしてると思うけど、美空は思ったよりずっと遊んでないから」

「?」

「美空、最近はどんなゲームをしているの?」

「今はチェスが多いよ」

「チェス」


 確かにボードの一種だけど、世界的にプレイされていて歴史も古いゲームだ。プロもたくさんいて大会なんかでは賞金も出る。元の世界ではEスポーツなんていうのが広まりつつあったけど、そういうのよりよっぽど歴史のある頭脳系スポーツだ。

 僕はネットで暇つぶしにプレイしたことがある程度。

 当然、そのへんのコンピューターにもぜんぜん勝てなかった。


「それって、人とやるの?」

「人ともやるし、コンピューターともやるよ。コンピューターはね、どんどん強くなるからいろいろ考えないといけなくて大変なの」

「そうなんだ。……なんか、わりと本格的だね?」

「美空の通っている『塾』は限られた子しか入れない特殊なところだから」


 それ、習い事っていうか天才養成機関的じゃないか。


「止めておいたほうがいいよ、美桜。私も一回行ってみたことあるけど年下の子にボコボコにされたし」

「美姫お姉ちゃんは得意分野じゃなかったからだよ」


 お姉ちゃんの得意分野はモデル。だけどそれはさすがに人と比べづらいうえに育成方法も特殊なので無理だったらしい。

 お母さんも苦笑いをして、


「無理に『塾』にしなくてもいいんじゃない? 美桜、なにかやりたいことはないの?」

「うーん。泳ぐのも楽しいかなって思うんだけど、やるならやっぱり音楽関係かなあ」


 歌ったり踊ったりするのは楽しい。

 ガワが美少女になって声も綺麗になっただけでここまで印象が変わるとは思わなかった。

 これには美空も「楽しそう」と言ってくれる。


「じゃあお姉ちゃん、ピアノはどう?」

「ピアノ? わたし、ぜんぜん弾けないよ?」

「なに言ってるの。弾けないから習うんでしょ?」

「そうだよね」


 元の僕だったら絶対出て来なかったチョイス。でも、悪くない。歌とかダンスと違って万が一、入れ替わりが元に戻っても経験が活かしやすそうだし。

 問題は家にはピアノがないことか。

 習う時は先生の家に行くとか教室に通うとかでなんとかなるけど、家で自主練ができないのは辛い。上達速度が遅くなりそうだし、もう少し練習したい! とかフラストレーションが溜まりそうだ。


「ピアノかあ。お母さん、いっそのこと買っちゃう?」

「そうね。それもいいかも」

「え、ちょっと待って。高いし、そもそも置くところがないよ!?」

「あはは、そりゃそうだよ。買うとしたらキーボード」


 ああ、なるほど。それなら値段もお手頃だし置き場にも困らない。


「家にピアノがあるの、私も夢だったから、ゆくゆくはグランドピアノとか欲しいんだけどね」

「お母さん、いくらするのそれ……!?」

「美姫ちゃんも本格的に芸能のお仕事続けていくなら練習室が要るし、そうなったら家を建てるところからね」

「急にスケールが大きすぎるよ?」


 遠くを見てしまう僕。

 ひょっとして美桜ぼくは思った以上にお嬢様なんじゃ? ……って心の中で呟いたら仮想の恋が「だからお嬢様だって言ってるじゃん!」とツッコミを入れてきた。

 これにお姉ちゃんとお母さんがふっと笑って、


「さすがにすぐ引っ越しとか無理だよ? 私がもうちょっと稼げるようにならないと」

「そうね。美桜が本格的にお仕事できるようになったら実現が見えて来るかも?」

「なんか、わたしより美空のほうが期待できるかも」

「わ、私なんか無理だよ。お姉ちゃんたちと違って身体は弱いし」


 チェスとか将棋とかの子供向け大会とかならわりといい線行けそうな気がするけど。


「それで美桜、ピアノでいいの? ピアノなら私も弾いてみたいから嬉しいけど」

「待って。さすがにすぐには決められないよ」


 というか、すぐに習い事を始めようとすると夏休みが潰れてしまう。

 既に入っている予定もあるので、始めるとしても二学期からにしたい。

 なにを習うかも含めてもう少し考えることにして、翌日恋たちにも相談してみた。すると、


「なら泳ごうよ美桜ちゃん! 私も一緒にやるから!」

「ピアノは良いですよ、美桜さん。我が家にはグランドピアノがありますから、弾きに来ていただいても構いませんし、ゆくゆくは連弾ですとか──」


 二人がきらきらした目でそれぞれの希望を全開にしてきた。

 その場では曖昧に濁したものの、後から「いっそ両方じゃだめなのかな?」と思った。

 お母さんに相談してみると意外にも(?)あっさりOK。


「じゃあとりあえずキーボードを早めに買っちゃいましょうか」

「賛成!」


 元の美桜の短絡的なところは意外と血筋なのかもしれない。

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