美桜とラブレター(その3) 2016/7/7(Tue)
返事は次の日の放課後することになった。
恋たちから「頑張ってね!」と見送られて一人、学校の屋上へ。
友人たちには先に帰ってもらった。そうじゃないと終わった後「どうだった!?」って根掘り葉掘り聞かれそうだし、下手したらのぞき見されそうだからだ。
小学生にはかなり重い扉を開くと澄んだ空気。
校舎の分だけ空が近く見える。
校庭ではクラブ活動が始まろうとしている。もう少しすると音楽室から楽器の音が聞こえてくるだろう。
元の世界で僕が通っていた小学校は屋上が開放されていなかった。
子供の身体で立つこの場所は実際のサイズ以上に広く見える。ちょっとした冒険をしている感覚もあって、マンガ等でよく屋上が登場する理由もよくわかった。
差出人の少年はまだ来ていない。
彼が来るまでの間、フェンス越しに街を眺めながら待つ。
美桜になってから約二か月。
暮らしてきた街の空気はすっかり肌に馴染んでいる。
けれど、美桜として上手くやれているかと言われるとよくわからない。
本来の彼女ならどうするんだろう。どっちにしても、僕は僕なりのやり方で少年に応えるしかない。
「……あ」
背中側から扉の音が響き、続いて声変わりしていない高い声。
振り返ると僕よりも身長の低い、いかにも大人しそうな男の子がじっと僕を見つめていた。
──いかにもな告白の場面。
まさか、初めての告白がされる側、しかも女の子としてになるとは。
不思議な気持ちになりつつ、「こんにちは」と彼に笑いかける。
「こ、こんにちは」
距離は約二メートル。
風の音、校庭からの声にかき消されそうな声に彼の緊張を察する。なんか初々しくて可愛いな、とか思ってしまうのは彼女がいないなりに高校生として人生経験を積んできたせいだと思う。
急かすべきかどうなのか。
迷いつつ、僅かな間を置いて「手紙、読んだよ」と切り出す。
「は、はい」
真っ赤な顔で俯く少年。手紙にはかなり素直な気持ちが綴られていた。僕はそれを全部知っているわけで、いたたまれない気持ちになるのも無理はない。
それでも告白してくれたのか。
同じ男子として彼の勇気を褒めてやりたい。成功するとは限らない。それどころか大失敗する可能性さえある。怖くてなかなかできることじゃない。
「あのね」
だからこそ、きちんと答えないといけない。
「わたし、あなたのこと全然知らない」
少年の肩が震える。
顎が少しだけ持ち上げられて上目遣いに視線が来る。
「それは、これから……。その、デートとか……っ」
「そうだね。それも楽しいかも」
情報によるとマンガ好きらしいから話も合うかもしれない。外に出ないおうちデート的なやつなら気も遣わなくて済む。
少なくとも湊と付き合うよりは相性が良さそうだ。
「じゃあ……!」
期待からか、彼はようやく真っすぐ僕を見てくれた。
純真な瞳。
たぶん、小学四年生の彼はまだエロい欲求とかそういうのを持っていない。純粋に僕のことを好きだと言ってくれているのなら猶更申し訳ないけれど。
「ごめんなさい」
僕が出せる答えは一つしかなかった。
深く頭を下げてから顔を上げて告げる。
「あなたとは付き合えません。わたしには好きな人がいるから」
「……っ」
返事を聞いてからそれを理解するまでの表情の変化は彼の気持ちを痛いほど僕に感じさせた。
瞳に涙を溢れさせながら彼は「……そうですか」と呟いて、
「好きな人って、誰なんですか?」
「ごめん。それは、言えない」
好きな人がいる。
告白を断る時の常套句を使わせてもらった。もちろん僕に想い人はいない。嘘をついた形にはなるけど、これなら相手としても「他に好きな人がいるんじゃ仕方ない」と諦めがつく。
きっぱりとした僕の答えに「本当に目がないんだ」と理解したのか、少年は「わかりました」と答えて、
「ありがとうございました……っ!」
それだけを言うとくるっと背を向けて、屋上から出て行った。
扉の閉まる音。
残されたのは何事もなかったような屋上の空気と周りの音だけ。
はあ。
吐き出したため息はほんのりと湿度を持っていて。
すぐに帰ると少年と鉢合わせしてしまいかねない。手持ち無沙汰になった僕はもう一度空を見上げて──。
屋上の入り口。
その向こう側からこっちに歩いてくる足音を聞いた。
◆ ◆ ◆
失敗したと思った。
入り口の裏で待機していたのは断られたあいつを慰めてやるため。
盗み聞きがしたかったわけじゃないし、香坂と話したかったわけでもない。なのに実際、屋上に残ったのはあいつをフった香坂のほうで、僕は二人の大事な話を勝手に聞いてしまったことになった。
「───」
香坂が帰るまで待っていようかとも思った。
でも、それは卑怯な気がして、僕は自分から顔を出した。
どこか寂しそうに空を見上げる香坂はいつもの自分勝手な雰囲気がまるでなくて、ただの可愛い女の子みたいで、やっぱりこいつ顔は物凄くいいんだな、とあらめて思う。
けれど、こっちに顔を向けた時にはもういつもの香坂に戻っていて、
「聞いてたんだ」
「たまたまだよ」
売り言葉に買い言葉。
僕はつい乱暴に答えてしまった。
話すつもりなんてなかったから何を言うか全然考えてない。慌てて言ったのはたまたま思いついただけの言葉で、
「本当に断ったんだな」
言ってから後悔。でも、言ってしまった以上は仕方ないと開き直る。
香坂は睨むようにして僕を見て、
「いけない?」
「別に。お前が誰を好きになったって関係ないし」
他の女子とならもう少し普通に話せるのに、どうしてこうなってしまうんだろう。きっと香坂がいけないんだ。こいつがこんなだから上手く話せなくなる。
「……好きな奴だって誰だよ」
僕じゃないのはわかる。
なら、僕の知らない誰かか。年上、というか大人の人かもしれない。それならあいつに勝ち目があるはずがない。だからって慰めになるかはわからないけど。
「燕条君には関係ないんじゃない?」
「ああ、そうだな」
冷たい声に同じ調子で答えてから、さすがに「しまった」と思う。
別に喧嘩したかったわけじゃない。
むしろ、
「悪かったな」
僕はこいつを褒めたかった。
「香坂のことだからもっとひどいことを言うかと思った。あいつに気を遣ってくれたんだろ?」
「別に、そんなの当たり前だよ。わたしだって振られたら辛いし」
目を逸らした香坂は少し頬を膨らませていた。
子供っぽい反応に少し安心する。最近のこいつは妙に大人っぽくて、なんだか遠くに行ってしまったような気がしていたから。
やっぱりこいつも子供なんだな。
ほっとした僕はふっと笑って香坂に言った。
「じゃあ、あいつを追いかけるから」
「うん」
光の加減か、香坂の顔は少し赤くなっているように見えた。
「早く行って。でないと帰れない」
本当にこいつは可愛くない。
でも、早く行かないとあいつが帰ってしまう。僕は「わかってるよ」と答えて屋上の入り口に歩き始めてから、
「そうだ。好きな奴がいるなら早く告白しろよ」
じゃないと付き合えるわけがない。
告白したあいつは本当にすごい。僕は恋愛なんてまだまだ考えられないのに、あいつは頑張って自分から動いたんだ。
だからこそ慰めてやらないと。
答えを聞かずドアを開けた僕の背中に小さく、香坂の声が届いて。
「余計なお世話だよ、ほんとに」
ドアのせいで香坂の顔が見えなくなった後、僕がまず思ったのは、
「あいつが本当に誰かと付き合い始めたら、どうすればいいんだろうな」
自分でも何が言いたいのか、何がしたいのかわからない。
よくわからない気持ちを吹き飛ばしたくなった僕はあいつを追いかけて階段を勢いよく降り始めた。
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