美桜と体育 2016/5/18(Wed)

 登校開始から二日後、僕は初めて「その時」を迎えた。


「美桜ちゃん。次、体育だよ。行こっ」


 明るく声をかけてくれる恋に「うん」と答え、体操着袋を手に立ち上がる。

 誘われたのは仲が良いからが半分。後の半分はたぶん、更衣室の場所も覚えてないと思われているから。

 通学路はともかく校内図までは覚えられなかった僕は一昨日、トイレの場所を恋に教えてもらった。あれからさすがに確認したけど、元はと言えば自業自得だ。

 ちなみに女子トイレは広くて綺麗だった。

 男子トイレの三倍くらいだろうか。広いだけじゃなくて設置箇所も多いみたいで女子の多さにいろいろと配慮されている。


「お二人とも、ご一緒してもよろしいですか?」

「もちろんっ」


 自然と玲奈も加わって三人で更衣室へ。

 移動中は当たり前のようにお喋りだ。


「今日は晴れていますしテニスの続きでしょうか」

「テニスかあ。汗いっぱいかきそう」


 女子は男子の何倍もよく喋る。

 廊下や通りがかった教室内にも仲良く話す女の子たちの姿がたくさんあった。さすがはほぼ女子校。男子は肩が狭そうだけど、彼らはだいたい女子に囲まれているので、むしろ「隅っこでいいから落ち着いて過ごさせてくれ」と思っているかもしれない。


「美桜さん。テニスの仕方は憶えていますか?」

「さすがに大丈夫だよ」


 僕も高校の体育でやったことがある。

 笑顔で答えつつ「どんなだったっけ」と記憶を探っていると、玲奈は「念のためおさらいしておきましょうか」と優しい声を出した。

 うん。「駄目だこいつ」と思われたっぽい。

 さすがに基本ルールくらい覚えてるのに。


「そういえば燕条君──っていうか、男子って体育どうするの?」

「本当にいろいろ忘れてるね美桜ちゃん……。男子は人数が少ないから女子と合同だよ」


 五年生の男子は二人。

 体育は二クラス合同なので男子二人は組んで練習することが多いらしい。


「体育は男の子に格好いいところ見せるチャンスなんだよ。頑張ろうねっ」


 意気込む恋に「怪我しないようにね」と返し、玲奈からテニスの説明を受けていると目的地に到着。

 「女子更衣室」とプレートのかかったドアを開けると白ベースの清らかな空間があった。

 先に着替え始めている子が何人かいる。

 早い子は制服を脱いで下着姿だ。どきっとしつつ「隠さないのが普通なのか?」と思った。小学五年生くらいだと人によるんだろうか。


「体操着、制服の下に着てくればよかったかな」


 入り口に近いロッカーを選び、制服に手をかけて。

 学校指定の体操着はわりとオーソドックスなタイプだ。下はハーフやクォーター丈のパンツで長さは好きな方を選べる。

 我が家はどっちも購入していたので僕はひとまず動きやすそうなクォーター丈をチョイス。


「私も今日はそうしましたが、これからの時期は考えものかもしれませんね」

「そっか。そろそろ衣替えだもんね」


 カレンダーは五月の後半。

 もう少ししたら夏服になる。薄着になった女の子は男子にとってけっこう目の毒だろう。

 僕は小学生の女の子に興味はないけど──。

 女子しかいない空間というのはなかなか心臓に悪い。クラスメートや隣のクラスの白い素肌を見ないように気をつけながら下着の上に体操着を羽織った。


 今日は朝からスポブラを着けてきたので下着は替えなくていい。


 美桜の身体で運動するのは初めてだけどうまく動けるだろうか。

 と。


「……うーん。やっぱり美桜ちゃん肌綺麗だなあ」

「そうですわね。北欧の血が上手く出ているようです」


 着替え中の恋と玲奈が挟み込むように視線を送ってくる。

 気付くと他の女子からもちらちらと視線が。なんだか恥ずかしい。


「ジャージも着ようかな」

「え、後で絶対暑いよ。やめなよ美桜ちゃん」

「ええ。教室には湊さんもいるのですから」


 妙に強く反対されたような気がしつつも「それもそうだね」と頷いて、僕は二人と共にテニスコートへと向かった。

 授業内容は予想通りテニス。

 先生からはまず準備運動を指示された。二人一組。恋か玲奈に声をかけようかと思ったら、


「あれ? 燕条君」


 湊少年が所在なさげに立っているのを発見。

 僕の呟きに隣のクラスの子が反応して、


「あ。今日、うちの男子休みなんだ。だから」

「二組の男の子一人になる──なっちゃうんだ」


 ざわっ。


 思い思いに散っていた女の子たちの動きが止まる。

 制止したまま耳を向けてくる子、さりげなく振り返る子、湊に近寄っていく子。なんともわかりやすく包囲網が敷かれていく。

 湊本人は気づいているのかいないのか、コート内を見渡して嫌そうな顔。誰でも頼めば組んでくれるだろうけど、この状況で女の子に話しかけるのは肉食獣に餌をやるようなものだ。

 まあ、僕には関係──。


「美桜ちゃん。これってチャンスなんじゃない?」

「恋。押して駄目なら引いてみよ作戦」

「でもここはぜったい押すところだよっ」


 僕の背中が恋に押された。

 二、三歩、前に踏み出す形になった僕に少年のものを含む視線が集まる。僕は心の中で恋を恨みつつ少年に微笑みかけた。

 しょうがないから助け船を出してやろう。


「燕条君。相手がいないなら?」


 敢えての上から目線。

 案の定、男子としては聞き捨てならなかったようで、彼は「はあ?」と眉間に皺を寄せた。

 軽く睨むように僕を見て、


「香坂には頼まない」


 ぷいっと顔を背けると、うちのクラスのあまり目立たない子に自分から寄って行った。


「おい橘。俺と組んでくれ」

「えっ。わ、私?」


 よし、OK。

 声をかけられた子はちょっと災難だけど、あの様子なら難を逃れただろう。

 僕はくるっと踵を返して二人のところに。


「振られちゃった」


 笑って言うと恋たちは「残念だったね」と慰めてくれた。


「ところで美桜さん。わたくしは恋さんと組もうと思っていたのですが──」

「じゃんけん。玲奈。じゃんけんにしよう?」


 心配だった運動は思ったよりもずっと快調。

 美桜の身体は運動神経まで良いらしい。元の身体との勝手の違いに慣れると面白いくらい思い通りに動いた。

 最終的にはクラスの運動得意な子とミニゲームを行うことになり、接戦の末、技術と経験の差を突かれて徐々に劣勢に。惜しくも負けてしまったものの、相手の子から「楽しかった」と言われ、図らずも気持ちの良い汗を流すことになった。

 ジャージを着なかったのは正解。

 汗を吸いやすい素材とはいえこれはスプレー必須だ。僕からすると女の子の汗の匂いは「気にするほどかな?」という感じ、むしろ「男子、汗臭い」と言われることが悪夢だったんだけど、だからこそ嗅がれる側になったら気をつけたい。

 更衣室に戻ってからぷしゅー、と振りかけていると恋が不思議そうに、


「あれ? 美桜ちゃんそれ無香料のやつ?」

「これは防臭メインのやつだから。制汗スプレーは運動する前にかけた方がいいんだよ」

「なにそれ、体育の前に言ってよ!」


 更衣室でもやっぱり恋や玲奈の汗の匂いは特に嫌だと感じなかった。

 むしろ、一人一人が色んなスプレーを使うせいで匂いが混ざるのが辛い。僕は手早く着替えを済ませると、人で混みあう更衣室内から逃げ出した。

 着替える場所を入り口の近くにしておいて正解だった。

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