第3章【春夏冬の恋愛】

第32話

 凛夏さんの店を辞めてからの一週間は、ストレス解消のため、インスタントラーメンを爆食していた。


 辛さを忘れる為には、インスタントの『みそ』と『塩とんこつ』、これに限る。


 店を辞めた日は『みそ』を二袋、『塩とんこつ』を一袋。

 その翌日は、『みそ』を二袋、『塩とんこつ』を二袋。

 それ以降は、毎日『みそ』を三袋、『塩とんこつ』を三袋。


 それでも、心の中にできてしまった深い空洞が埋まることはなく、代わりに得たものは慢性的な胃もたれといくつかの吹き出物だった。


 経験上、どんな辛さであっても、これだけインスタントラーメンを食べれば間違いなくメンタルを回復できたのに、全く改善されない。今回の辛さは別格のようだ。


 大軍師である諸葛亮孔明も、こう言っていた。

 「人生とは、困難との戦いの連続である」と。


 僕の人生もまさにその通りだった。


 小学校から中学校にかけて、告白に告白を重ねてきたのに全敗。


 高校の頃には、凡人には及びもつかないであろう奇策を用いるも、またも失敗。


 幼い頃から一番に願い続けてきた「彼女を作る」という目標が、全く達成されないまま今に至っているのだ。


 しかし、今回の凛夏さんの件と比較すれば、どの失敗も実に些末なこと。

 あれほどまでに近しい関係を構築でき、僕にとってかけがえのない存在にまでのし上がられてからの断絶は、筆舌に尽くしがたい辛さなのだ。


 この一週間、胸の中には常に黒い霧が渦巻いているような感覚があり、気分が晴れることは一度としてなかった。




 そして引き籠り始めてから一週間が経った今日も、台所で『みそ』と『塩とんこつ』を一袋ずつ、二つの鍋を使って同時に作っていた。

 既に午後一時だけど、これが朝食だ。


 正直なところ、ラーメンを食べたいという気持ちなど微塵もない。

 一週間も毎日食べていれば、どんな好物だとしても嫌になるのが普通だろう。


 でも僕は、沈んだ気持ちから脱する方法としてはこれしか知らないので、愚直に繰り返すしかない。いつか効果が現れるだろうと信じて。


「あんた、大丈夫なの? そんなにラーメンばっかり食べて。ここのところ、家から一歩も出てないじゃない。大学はどうしたの?」


 何か話しかけられても、ほとんどの場合は生返事で済ませるか無視するかなので、両親が僕に声を掛けてくることは滅多にない。


 しかしさすがにいつもと様子が違い過ぎると思ったのか、珍しく母親が声を掛けてきた。


「別に。なんでもないよ」


 いつものようにそっけない返事をした。


「……あんまりちゃんと喋ってくれないのはわかるけどさ、本当に困ったことがあったら相談しなよ。母さんも父さんも、あんたの味方なんだからね。あんたに対して嫌なことをしちゃったかもしれないけど、それは心の底から反省してるし。本当にバカなことをしたなって」


「何度も言ってるけど、今更反省したとか言われても遅いよ。過去には戻れないんだからさ」


「そうだね……。とにかく、体にだけは気を付けなよ。インスタントラーメンをそんなに毎日大量に食べてたら、体壊すよ」


「いいから。もう向こうに行ってよ」


「……わかった。何か悩んでることがあるのはわかるから、少しでも気が向いたんなら、遠慮なく相談してきてね。全力で協力するから」


 僕からの返事を十秒ほど待っていたようだが、諦めたのか、そのままリビングの方へ歩いて行った。


 それにしても、万能だと信じていたインスタントラーメン療法だけど、さすがにこれ以上続けても意味がないのかもしれない。


 最後に今日一日試してみて、それで駄目だったなら、明日は無理やりにでも大学に行ってみよう。

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