第31話

 自我を殺しつつ、私のために働き続けてくれている春夏冬君の姿を見るたび、胸が締め付けられる。同時に、愛しさもどんどん募る。


 何度も、声を掛けにいって抱きしめたくなった。


「今まで本当にありがとう! もう無理しなくていいの! 大好き!」


 幾度となく、こう叫びながらありったけの力を込めて抱きつきたい衝動に駆られた。


 でも、そんな身勝手な行動が私なんかに許されるわけがない。私のような、人の心を捨てたケダモノが、いつでも純粋でまっすぐな春夏冬君にそんなことをする資格なんてない。


 春夏冬君の様子は日に日におかしくなっている。


 先日は、初めて二日間連続で休みを取った。

 精神的に限界が来ているのだと思う。


 それでも私は、今更何をどう切り出せばいいのかわからず、完全に自分を見失っていた。




 そんな救いようのない日々を重ねている頃。


「あの、今日の閉店後ってお時間ありますでしょうか……?」


 この世の終わりを告げにきたかのように真っ青な顔をした春夏冬君が、そこには居た。


 もちろん、用件はすぐに察しがついた。

 ついに、この時が来てしまった。


 でも、私に許されている選択肢は一つだけ。「為すがまま」、それのみ。


 引き留めるのは論外。

 今更綺麗ごとを宣って気持ちよく送り出すなんてことも許されない。


 ましてや、ケダモノと化した私が自分勝手な好意を伝えるなど、想像するだけで虫唾むしずが走る。


 流れに任せて、惰性で淡々と見送る。

 ここに至ってしまった以上、私に許されている選択肢はこれしか残されていなかった。




 閉店後、春夏冬君から切り出された話は、もちろん店を辞める話だった。


 辞めたい理由は、「接客業に向いていないから」というものだった。


 この期に及んで、まだ女の子をフリをしてくれている。

 その上、急に辞めてしまって申し訳ないから大学で私を見かけたら隠れる、とまで言わせてしまっている。


 私はどこまで罪深いのだろう。

 罪悪感は、すでに頂点を突き抜け、全身が震えてきた。


 でも、何か言わなければならない。何か……。


「せ……接客に向いてないって思いながら……こ……ここまで頑張ってくれて……ほん……本当に…………あり…………ありが…………」


 最後まで言い切れず、その場で泣き崩れてしまった。


 自他ともに認める天真爛漫な性格で、お店の経営問題を抱えるまでは物事に対して深刻に悩むなんて経験がなかったくらいで、今まで悲しさや悔しさで泣いた記憶もない。


 何事もポジティブに明るく、それがモットー。


 でも、今回ばかりは無理だった。

 何をどう都合よく捉えても、号泣を避けるための武器は手に入らなかった。


「ごめんなさいっ……。ごめんなさいっ……」


 気付けば、春夏冬君の手を取り、ただただ謝罪の言葉を口にしていた。春夏冬君も泣いていた。


 結局最後まで、なんら核心的な言葉を発することができなかったことで、私は再びお店を窮地に陥らせつつ、愛しいと思える男性とも疎遠にならざるを得ない状況を作り上げてしまった。


 過去に感じたことのない不快な気分で、動悸や眩暈めまきや吐き気はもちろん、今これが現実に起こっていることなのかどうかの判断すら曖昧になってきている。

 精神がかなりやられているのだろう。


 しかし自分の今の状態に、心のどこかで満足感のようなものがある。


 私のような人間にしっかりと天罰が下り、どん底の気分を味わわせることができたことを、まるで勧善懲悪の美しい物語をつむぎ出せたようで、歪んだカタルシスさえ感じていた。

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