第29話

 うなぎちゃんが入店してから約二週間。

 売上は、早くも回復の兆しを見せた。


 新人の子が入ると、物珍しさに一旦客足が戻るという傾向はあるけど、その新人が期待外れなら当然人気は出ず、すぐにまた客足が落ちてしまう。


 しかしうなぎちゃんは、期待した通りすぐに人気を獲得した。


 また来るね、と言って帰っていくお客さんたちが、本当にまたすぐに来店してうなぎちゃんを指名してくれる。


 うなぎちゃんが入店する二週間前とは比べ物にならないくらい、店内は活気で溢れた。


 ルール違反を犯したことに変わりないけど、思い切ってうなぎちゃんを誘ってみて本当に良かった。

 あの子も、ここを自分の居場所として生きがいややりがいを感じてくれているかもしれない。

 キャストのみんなとも仲良くやれているし。




 レイさんが辞めると決まってからこれまでの間、毎日が本当に辛くて、精神的にどんどん追い詰められていて、心から笑える日なんてほとんどなかった。


 でも、うなぎちゃんのおかげで救われた。


 これでまた頑張れる。

 みんなの居場所を守れる。


 私は、ここしばらく味わっていなかった安堵感に包まれながら、仕事に打ち込めていた。



*****



「凛夏、ちょっといい?」


 うなぎちゃんが入店してから一か月近くが経った頃、急にエリナから控え室に呼び出された。


 高校時代からの付き合いだからわかる。この表情は、何か深刻な話がある時だ。


「どうしたのエリナ?」


「今、二人だけだから話すけど……。うなぎちゃん、大丈夫なの?」


「だ、大丈夫って、何が?」


「ずっと疑ってたけど、今日確信したわ。あの子、ノーマルよ? 普通の男の子」


「はっ……? えっ……?」


「凛夏には、確かに私たちのような人間を見抜く力があると思う。私が鍛えたしね。でも、結局は本物じゃない。あなたは結局どこまでいこうとノーマル。私たちとは違うの。だから、きわどい人は見分けられないと思う」


「……」


「理由はわからないけど、あの子は確かに女性っぽい立ち居振る舞いが染みついてる。でも、それは人工的なもの。本能からくるものじゃないわ」


「そ、そんな……。だ、だって……うなぎちゃんは……え……?」


「無理してるのがすごく伝わってくる。この前、ジルバ姉さんも同じことを言ってたわ」


 ジルバ姉さん。

 この道二十年の、『輝』で一番のベテランだ。


「そんなことって……」


 私は、ただ茫然とするしかなかった。


 理解が追い付かない。


 あのうなぎちゃんが……ノーマル? 普通の男子ってこと? そんなバカな。


 でも、エリナの目は私よりも遥かに確か。

 じゃあ、なんで。


「なんか店の中が騒がしいわね」


 そう言ってエリナは、控え室の扉を開けた。


「あ、うなぎちゃんが馬場に絡まれてる! あいつのセクハラは度が過ぎてるわよねぇ。ちょっと止めてくるわ。ここは、触尻エリナ必殺のデカ尻アタックしかないわね」


 エリナは勢いよく控え室から飛び出していったけど、私はその場に立ち尽くしたままだった。


 どういうこと? うなぎちゃんは普通の男の子? そんなことって……。


 じゃあ、なんでこの店で働くことを了承してくれたの?


 ……。


 ……。


 ……。


 もしかして……私を異性として見た上で……私のために……?


 頭が混乱し、しばらく茫然自失となっていたところに、誰かが控え室に飛び込んできた。

 うなぎちゃん、いや、春夏冬君だ。


 泣いている。膝に顔をうずめて、さめざめと……。


 私は、しばらくの間うずくまって泣いている春夏冬君をやるせない気持ちで見つめていた。


 知ったようなつもりで勝手に春夏冬君を女の心を持つ人だと決めつけ、ひどい精神的苦痛を強いてしまったことが、慚愧ざんきに堪えなかった。


 人の気配に気付いたのか、春夏冬君はふと顔を上げて、私の方を見た。


 慌てて涙を拭いている。

 私を気遣ってくれているのだろう。


 春夏冬君が普通の男の子で、私のために必死で頑張ってくれていることを考えると、その行動一つ一つがいじらしく、愛おしく思えた。


 本来なら、すぐにでも謝罪して償いの方法を提示しなければいけないのに、まだすべてを整理しきれていない私は、無難な言葉しか掛けられなかった。


「あきな……うなぎちゃん……。見てたよ。ごめんね、辛かったよね」


「あ……あの……。済みません……。こんなことで控え室に戻ってきちゃって」


「ううん、こっちこそ。まだ働き始めて一か月なんだから、馬場さんの担当は外すべきだったね。あの人、会社やっててお金は持ってるんだけど、酔っ払うと時々行き過ぎたことを要求するんだよね。できれば出禁にしたいんだけど、いつもすごくお金遣ってくれる上客だから、なかなかそうもいかなくて……」


 今言うべきことはこんなことじゃないと頭では理解しつつも、まだ、春夏冬君を女の子として、キャストのうなぎちゃんとして扱おうとしてしまっている。


 ここで急に態度を変えたら春夏冬君の立場がない、というのもあるけど、心のどこかで、まだ認めたくない私がいるのだと思う。


 様々な感情が絡み合い、思わず涙が出そうになったけど、必死で堪えた。


「わ、わかります! 凛夏さんは間違ってないです! 店の事を考えたら、絶対そうするべきだと思います!」


 春夏冬君のこの言葉で、私の中で何かがぷっつりと切れてしまい、結局堪えきれずその場でボロボロと泣き出してしまった。


「ありがとう……。本当に……本当にごめんね…………。ごめんね…………」


 春夏冬君は、そんな私を勇気付けるかのように、再び元気よくお店に飛び出そうとしていった。


 私は慌てて、


「え? あ、うなぎちゃん! あのっ……」


 と一旦は止めたんだけど、結局は、


「……ううん、頑張ってね!」


 それしか言えなかった。


 春夏冬君をうなぎちゃんとして再び送り出してしまった後、私はそのままへたり込み、しばらく動くことが出来なかった。

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