第26話

 六月の第三土曜日。


 この日は、私が所属するテニスサークル『アルファ』と、友好団体である『レインボー』というテニスサークルとの合同練習をする日。


 実はレインボーの中に一人、気になっている男の子がいる。

 春夏冬あきない君という男の子だ。


 初めての合同練習の時に見て、すぐにピンときた。


 頑張って男子の振る舞いをしようとしているけど、私の目は誤魔化せない。

 普通の人にはまずわからないだろうけど、エリナに鍛えられ、免許皆伝までもらった私にはわかる。


 春夏冬君はきっと、女の子の心を持っている。


 しかも、化粧をすればかなり映える顔をしているから、もしうちの店に来てくれたら、即戦力になってくれる可能性が高い。


 でも……。


 あれだけ頑張って男のフリをしているということは、カミングアウトする気がないということ。


 そういう人に無理やりアプローチして、この世界に引きずり込むというのはルール違反。

 それは、この世界で二年商売をしてきた私にはよくわかっているつもり。

 ルールを破るわけにはいかない。


 そんなことを考えながら春夏冬君を見つめていると、一緒に練習していた亜希子が、


「やーん、今のボールくらいだったら今まで取れてたのに~! ねぇ? 春夏冬君がサークルに入った三ヵ月くらい前の私だったら取れてたよね?」


 春夏冬君にそんなことを問いかけていた。


 すると春夏冬君は、


「そうですねぇ! あの頃はもっとスリムで動きが今よりも良かったから、絶対取れてたと思いますよ!」


 思わず笑ってしまった。


 亜希子、彼氏にフラれたとかでここ最近やけ食いしてたんだよね。

 確かに、ちょっとぽっちゃりしてきてた。


 とはいえ、アルファもレインボーもわりと厳しい縦社会なのに、先輩にあんなこと言うなんてなかなか勇気あるなぁ。


「ちょっと、聞いた凛夏? なんなのアイツ」


 春夏冬君から皮肉を言われた亜希子が私のところにきて、ボヤき始めた。


「春夏冬、腹立つわぁ。レインボーで、しかも一年生のくせに、アルファの三年生の私にあんな口きくなんて。あいつ、最初からずっとあんな感じなんだよね。空気読まないっていうかさ」


「そうなんだ。確かにちょっと変わってるところはあるけど、悪い子じゃないじゃん」


「でもさぁ、いちいちイラっとすること言ってきたりするんだよね。麻衣とか友梨佳は、ああいうのはアスペルガーっていうからしょうがないんだよ、我慢しなよとか言ってたけどさぁ。でもムカつくもんはムカつくじゃんね? だからあいつ、いっつも一人でいるじゃん。あいつの周りに人がいる時って、代返頼まれるかノート借りに来られるかくらいじゃない?」


「……亜希子さぁ、そんな言い方はよくないんじゃないかな」


「え?」


「気持ちはわかるけど、すぐ感情的になるのはやめようよ。アスペルガーって、確か発達障害の一つだよね。知能は問題ないけど、コミュニケーションが苦手な人が多い、みたいな。でも、本当にそうなのかなんてわからないし、もし本当にそうだったとしても、そんな言い方しないで、むしろ理解してあげようよ」


「あ、う、うん……まあ……」


「しかもアスペの人って、知能は人よりも高かったり、他の能力にすごい優れてたりすることも多いんじゃなかったっけ。実際どうなのか知らないけど、東大生はアスペが多い、なんて話も聞いたことがあるし。要は、単なる個性なんだよ。誰だって、得意なことと苦手なことがあるでしょ? 私だって苦手なこと、たくさんあるし。だから、そんなこと言わないでみんなで仲良くしよ? 亜希子ならわかってくれるでしょ?」


「まあ……そ、そうだね! 凛夏がそう言うなら」


「さっすが亜希子! いきなり上から目線で偉そうなこと言い出した私にも寛容! やっぱり優しいね! ちょっと短気だけど」


「あはは……」


 亜希子は、照れ笑いを浮かべながらも喜んでくれている様子だった。


 確かに春夏冬君は、ちょっと変わってるなとは思ってた。

 私の場合は、いい意味でだけど。

 なんだかかわいいし、面白いし。


 そういえばレインボーとの初めての合同練習の時も、面白かったっけ。


「こ、こんにちは凛夏さん!」


「ん……?」


「あの……レインボーの春夏冬っていいます!」


「……ああ! 春夏秋冬で秋だけないから『あきない』って読む、春夏冬君ね。思い出した! 久しぶり~! サークル勧誘の時以来だね~」


「はい! お久しぶりです! あ、凛夏さんって、三国志だと誰が好きですか?」


 こんなの、絶対笑っちゃうでしょ! ほぼ初対面なのに、私が三国志を知ってる前提で全力で聞いてくるんだもん。読んだこともないのに。


 しかも、私が笑っている姿を不思議そうに見てるの。それもまたツボ。


 それでいて凄く優しい子で、私が転んだりするとダッシュで絆創膏と消毒液を持ってきてくれたりするの。「大丈夫? 女子っぽさが出ちゃってるよ?」って思わず言いそうになっちゃった。常に絆創膏と消毒液を携帯している男子なんて見たことないもん。


 でも、エリナとの最初の頃を思い出して、ちょっとジーンとしちゃったなぁ。

 エリナもそんな感じだったから。


 そういったことが色々あって、春夏冬君はエリナ同様、気の合う友達になれそうだなぁ、なんて思ってた。




「凛夏、今日も行かないの?」


 合同練習が終わり、亜希子と麻衣が打ち上げのお誘いに来てくれた。


 合同練習のあとは毎回必ず打ち上げ飲みが開催されているんだけど、私は長らく参加していない。

 行きたいのは山々だけど、これから店の準備をしないといけないから参加は無理。


 特に今はそれどころじゃない。レイさんが辞めた後どうするか、という大きな課題があるのだから。


「ごめんね亜希子、今日もちょっと用事があって……」


「ええ~? 最近ほとんど凛夏と飲めてないし、久々飲みたいな~」


「本当にごめんね。今度ご飯オゴるから許して。亜希子の好きな豚もつのお店で!」


「ちょっ……大きな声で言わないでよ凛夏! 二十一の女が豚もつ好きってなんか嫌じゃん! せっかく隠してるんだから!」


 私と麻衣は、亜希子の慌てぶりを見ながらケラケラと笑った。


 思えば、久しぶりに自然に笑えたような気がする。


 最近笑えていない理由、それはもちろんレイさんの件だ。

 本当にどうしよう。

 レイさんが抜ける穴は、中途半端な営業努力じゃ埋まらない。


 唯一考えられるとすれば、レイさんに匹敵するキャストに入店してもらうこと。


 でも、都合よくそんな人が入ってきてくれるわけもない。


 レイさんが辞めるとわかってから、早速募集もかけているし、知り合いの伝手で探したりもしてるけど、今のところ有望な人は見つかっていない。


 新宿は激戦区だから、求人募集をしてもなかなか厳しい。


 だからといって、弱音を吐いているだけではどうにもならない。


 なんとかしないと……。なんとか……。

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