第18話
「わ、私が経営するニューハーフスナックのキャストとして働いて欲しいのっ!」
…………………………。
大げさじゃなく、リアルに十秒ぐらいフリーズしてしまった。
なんとか十秒でフリーズは解除できたけど、言っている意味は未だに理解できない。
今、凛夏さんは異国語を喋ったのだろうか。
「うん、わかる。そうなるよね。いきなりこんなこと言われたら。順を追って話すね」
かろうじて、ジュンヲオッテハナスネ、の部分だけ理解できた。
パニクった脳が、徐々に機能を取り戻している。
よかった、今何が起こったのかの種明かしをしてくれるようだ。
「確か、春夏冬君をサークルに勧誘したのは私だって言ってたよね。正直その時の記憶はあんまりないんだけど、レインボーとの初めての合同練習の時かな? そこでわかっちゃったんだ」
「……」
「本人からのカミングアウトがないのにこんなこと言うのは、本当に
「……」
口をあんぐりと開けたまま目を見開き、凛夏さんをまじまじと見てしまった。僕は何を聞かされているのだろう。
「なんでバレたんだって顔してるね……。ごめんね、勝手に見破って……。でもね、私、わかっちゃうんだ。これ、大学の人たちには誰にも言ってないんだけど、私、いろいろ事情があって、ニューハーフスナックを経営してるのね。すごく格好よく言うと学生起業家っていうのになるのかな?」
「……」
「春夏冬君のその動きとか喋り方とか、無理やり男っぽくしてるでしょ。本来自分がしたい動きとは違うよね。小さい頃から繰り返してきた動きだったり、本能的な動きだったりっていうのは、完全には隠し切れないんだよね。私、訳あってそういうのがわかるようになったんだ。だから、春夏冬君の心が女性だっていうことにも気付いちゃって」
「……」
「最初は、ただ気付いただけで、それについて触れるつもりもなかったの。でもね……。あの……。ここからは私の勝手な都合なんだけど――」
それから凛夏さんは、ここに至るまでの経緯を事細かに解説してくれた。
要約すると、経営するニューハーフスナックの人気ナンバーワンの子が店を抜けてしまって売り上げがまずいことになったので、代わりのキャストとして僕に入って欲しいとのことだった。
僕にはナンバーワンのキャストになれる素質があるし、女性の心を持つ僕にとっても、そういう居場所ができることはプラスになるんじゃないか、と。
ゆっくりと丁寧に説明してくれたおかげで、ようやくすべての事情を把握した。なるほど、凛夏さんは僕の事をそう見ていたわけか……。やっぱり、そううまくはいかないものだ。
でも、凛夏さんの言ってることは、半分正解で半分間違い。
無理やり動きを矯正しているというのは事実だし、それが小さい頃から繰り返してきた動きであることも事実。
でもそれは、好きでそうなったんじゃない。本能的にやっている動きじゃない。そこは間違っている。
何より、僕の心はバリバリ男だ。
女性である凛夏さんが好きで好きでしょうがないのだ。
すべての説明を終えた後、しばらく黙り込んでいた凛夏さんが、意を決したようにこう言った。
「やっぱり……駄目……かな……? あの、無理だったら無理で全然いいからね! 無茶苦茶なこと言ってるのは私なんだから! 春夏冬君はただの被害者だから!」
僕は、目の前にある食べかけのケーキを見つめながら考え込んだ。
もちろん普通ならば即断即決で拒否なのだけれど、ここは一考の余地ありだ。
もしこの依頼を断ったら、おそらく凛夏さんは今まで通りには僕と接してくれないだろう。
これは、ある種の告白だ。
現に、誰にも言っていないというニューハーフスナック経営のことを話してくれた。
そこまでの秘密を暴露した上、渾身の依頼を断られたとあっては、悪気はなくとも今後は僕との密な関係は避けようとするはず。
つまり、その時点で凛夏さんとの関係はほぼ終わることになる。
それは、僕にとって何よりも耐え難いこと。
かと言って、性別的にノーマルである僕がこの依頼を受けることも、それはそれで耐え難い。
ニューハーフスナックという場所に行ったことがないからわからないけれど、多分、女装して化粧して、男性客をもてなすのだろう。
無理だ。考えるだけで寒気がする。
おじさん客に「かわいいね~」なんて言われながら愛想笑いを振りまく。
普通の男である僕にとって、それは拷問に近い……いや、拷問だ。
悩んだ。
死ぬほど悩んだ。
この判断をミスるかどうかで利益が百億円ぐらい変わってくる、というくらいの経営判断くらいに悩んだ。
もちろんそんな判断なんてしたことはないけれど。
でも僕にとっては、冗談抜きで、それくらい規模の大きい決断なのだ。
「やっぱり……駄目……だよね? 大学の勉強とかサークル活動とかに費やす時間が減っちゃうかもしれないし……」
そんなことはどうだっていいんだ。
確かにこれまで皆勤レベルで授業もサークルも参加してるけど、そんなものは凛夏さんの魅力となら比べるべくもない。いくらでも放り投げてやる。
でも、放り投げた後に行くその先が……ニューハーフスナックというのが……。
「あの……ごめんなさい凛夏さん、少しだけ考えていいですか……?」
「も、もちろん! 少しと言わないで、じっくり考えて! あ、返事は今日じゃなくたっていいんだよ? 大事な決断だと思うし!」
凛夏さんは凄く焦っていた。
ごめんなさい、僕の決断が遅いから、凛夏さんをそんなに焦らせてしまって。
決断力のある男に生まれたかった。
でも今はそんなことを悔やむより、まずは一刻も早く結論を出さなければいけない。
しかし次の瞬間、気付いてしまった。
よく考えたら、悩むことでもなんでもなかったということに。
「凛夏さん、答えが出ました。言ってもいいですか?」
「えっ? も、もう……?」
しまった。
少し考えていいか、と断りを入れておきながら、まだ一分も経っていなかった。
でもしょうがない、よくよく考えたら別に悩むことでもなかったのだから。
「やらせてください」
僕にとって一番辛いのは、凛夏さんとの関係が終わってしまうこと。
それを避けるのが至上命題。
だったら、それ以外の苦悶など些末なこと。
カツラ被って化粧して女のフリ? やってやる!
おじさん客の接待? どんと来い!
肉弾接待? 任せ……いや、それだけはちょっと無理かも……。
とにかく、腹は決まった。
いや、考えるまでもなく、もとから決まっていたのだ。
ニューハーフのふりをして出勤するくらいなら、やり抜いてやる。
「本当にっ? いいのっ?」
「はい、大丈夫です! 明日から出勤できます!」
「え? あ、明日から? 本当に? 本当に?」
こんなに笑顔ではしゃいでいる凛夏さんは初めて見た。
この姿を見れただけでも、僕の了承は値千金。一片の悔いなしだ。
しかしここで一つ、気を付けないといけないことができた。
それは、僕が女の心を持っていることにしないといけないこと。
もし僕が普通の男だとわかれば、凛夏さんは途端に依頼を取り下げるだろう。
それはそうだ。
普通の男にそんなことをさせるのは、心苦しいに決まっている。
あの心優しい凛夏さんが、そんな無茶なことを平気でさせられるわけがないのだから。
そんな余計な気苦労を抱えさせるわけにはいかない。
ただでさえ、主力の従業員が抜けてヤバいっていう状況に追い詰められているのだろうから、僕がその支えにならないと。
こうして僕は、ニューハーフとして凛夏さんの店に出勤し、凛夏さんを支えることを大真面目に決意した。
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