第13話

 サークルの合同練習のたびに、凛夏さんとは毎回何かしらの会話はできていた。


 でも、一度の会話は長くても二~三分。

 短ければ数秒だ。


 凛夏さんの方から話しかけてくれるとはいえ、練習中は何かとやることがあるし、僕と喋っていても凛夏さんはすぐに誰かしらに捕まってしまう。


 練習の前後も、友達の多い凛夏さんは常にみんなに囲まれているので、そんなに長々と話せる機会がないのだ。


 合同練習中に会話する時間をトータルしても、せいぜい五分といったところ。

 そして、それが月に二回。


 だから、そんなに何十分もまとまって会話する機会は今までなかった。


 結果、大学に入って半年ほどの今現在、凛夏さんと総会話時間は、六十分ほどということになる。半年もあったのに、たったそれだけ。


 だから、ケーキバイキングの店に到着するまでの六十分という時間で、あっさりこれまでの総会話時間に追いついたことにはただただ驚きだ。


 さらには、ケーキバイキングで過ごした九十分という時間。これで一年生の後半で会話する予定だった時間もあっさり超えた。


 この事実にはもはや感動、いや、感動を通り越して、ケーキバイキング後半はなんだか呆けてしまった。

 凛夏さんに何度か「どうしたの? 大丈夫?」と聞かれてしまったほど。


 何を喋ったのかは、正直よく覚えていない。ほとんどが他愛もない事だったと思う。

 どのケーキが好きかとか、凛夏さんが飼ってる猫の話とか、サークルのこととか、単位は取れそうかとか、あの教授はカツラっぽいとか。


 でも、一つだけ印象に残っている話がある。あと十五分ほどでバイキングの制限時間に達してしまうという頃に出てきた、恋の話だ。




「あ、全然話変わるんだけど、春夏冬君って今は彼女いないって言ってたよね。今まではどうだったの?」


「え? 今までですか? まあ、いなかったと言いますか……意図的に作らなかったと言いますか……」


 凛夏さんに少しでもいい様に思ってもらいたい、でも明確な嘘はつきたくない。


 そんな思いから出てきた折衷案的せっちゅうあんてきな発言だったが、よく考えたら、意図的に彼女を作らなかったっていうのは明確な嘘だ。


 ちょっと後悔したけれど、凛夏さんに対しては、ほんの少しでもいいから印象ポイントを上げておきたかった。


 これくらいの嘘はぎりぎりセーフということで、自分で自分を許すことにした。


「へぇ、なるほどねぇ。そうなんだぁ。うん、うん」


 凛夏さんはそう言いながら、小刻みに何度も頷いていた。


 その後、「どうして意図的に作らなかったの?」という質問がくるだろうと身構えていたのだけれど、凛夏さんはすぐに話題を変えた。


「あ、そういえばさ――」


 そこからまた、他愛もない話が続いた。

 お笑い芸人の地位は昔と比べて飛躍的にアップしただとか、今や芸能界で女装家やニューハーフタレントが地位を確立しただとか、大御所タレントが退かないから若い才能あるタレントが出て来れずにテレビがつまらなくなっているとか。


 僕にはどれも興味ない話だったけれど、凛夏さんが楽しそうにニコニコしながら喋っている姿を見れるだけで幸せだ。


 僕は凛夏さんの話に頷きながら、まるで世界の名画を鑑賞しているような感覚で凛夏さんを眺めていた。


 本当に可愛く、美しい。

 可愛いと美しいのハーフとは、こういう顔を言うのだろうな。


 凛夏さんも、僕の事を何度も黙って見つめてくれた。

 これってもしかしたら……もしかしたら本当に……。


 でも、この神々しいまでの凛夏さんと付き合えるなんてことが実現する可能性など、ありえるのだろうか……?


 よく人からは「ポジティブだね」なんて言われるし、自分でも多少はそういう意識もあるけれど、今回ばかりはそう単純でもない。恋愛での成功体験がない悲しさは、こういう時に出るのかもしれない。




 結局何が起こるわけでもなく、このケーキバイキング会は終わった。


 でも、凛夏さんとたくさん喋れたし、顔もたっぷり見れたし、仲も深まった……と思うし、悔いはない。

 悔いがないどころか、僕の人生で一番楽しい日になったことは間違いない。


 恍惚感を身に纏いながら、帰りの電車に乗り込む。


 帰る方向が一緒だったので、凛夏さんが途中で降りるまでの間はまだ一緒にいられる。

 夢の時間の延長戦に心を躍らせていた。


 しかしなんだか、凛夏さんの様子が微妙だ。あまり機嫌がよくなさそう。言葉数も少ないし、ため息が多いし、窓の外を眺めている時間も多かった。


 ケーキバイキング中に僕が何かやらかしたのかと不安になったけど、いよいよ次の駅で凛夏さんが降りてしまう、という頃にはいつもの凛夏さんに戻っていた。


 そして電車から降りた後すぐに振り返り、いつもの屈託のない笑顔で僕に手を振ってくれた。


 恥ずかしさなど微塵も感じることなく、電車内から全力で手を振り返した。


 電車よ、発車するな……発車するな……。何なら故障しろ……。人的被害が出ない範囲の小規模な故障を起こしてもう三十分くらい……いや、一時間くらいこのままでいさせてくれ……。


 そう願いながら、両隣りに座っている乗客に手が当たるんじゃないかってくらいにブンブンと手を振り続けた。


 しかし無情にもすぐさま扉が閉まり、発車してしまった。


 このとろけそうな時間が終わってしまうと思うとやたら寂しかったが、電車が動き始めても、見えなくなるまで手を振り続けてくれていた凛夏さんの姿に、異常なまでに救われた。

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