まんげつがゆるしてくれない。

ヲトブソラ

まんげつがゆるしてくれない。

まんげつがゆるしてくれない。


 絵本を持っている事を彼女に笑われた。一人暮らしの部屋にある本棚にしては背の高い何十冊のなかの一冊だ。それだけあれば、絵本の一冊や二冊あったっておかしくはないだろう。


「なに?これ?こんなの読んでいるなんて似合わないねーっ」


 そうヘラヘラと彼女が笑ったから別れた。


 人間には簡単に踏み入っちゃいけない領域みたいなのがあると思う。ぼくも、すぐにへらへらと茶化しては、人を小馬鹿にして遊んでしまう。それから飲み物やお菓子を持って、謝りに行くふりをして、顔色を伺いに行くのだ。そんな小心者のぼくだから知っている、人には簡単に踏み入っちゃいけない領域がある。


 職場の廊下。壁にぼくと上司、二人してもたれ掛かり缶コーヒーを飲んでいた。あろう事か、隣にいる紺色の猫にいのちを助けられたと豪語する上司の話題でふざけ過ぎた。同僚達が食堂で話していた、少々、度の過ぎた噂話に乗っかってしまったから、こうなった。


「君、嫌なやつだって言われない?」

「言われますよ。いつもふざけるから」


 いつもの反応と、いつもの言葉。不真面目に反応するふりをして、相手の本心を探る悪い子のふり、ぼく。内心は相当、びくついているんだ。


「いや、そうじゃなくてさ」

「……なんです?」




「小心者が強気がってふざけて、その上“実は良い人なんですよ〜”なんてふりをするのが腹立つ……っていうか可哀想」


 少し考えて、目元を隠した。きみはここにいたのか。ぼくはずっと探していたよ。


────先輩は……っ、本当は!いつも、びくびくしているでしょう!?


 その目は蛇口かな?と思う程に、顔を真っ赤にして、涙をぼろぼろと流しながら叫んだ彼女がいた。名前すら忘れたくせに、酷くその声と笑顔だけが脳裏にびったりとこびりついている後輩ちゃん。彼女は、ぼくが“ちょろそうだから付き合った”と笑い話にしていたことに激怒した。本当に弱々しい、何にもならない力で頰をぶたれ、それ以来、言葉を交わす事も、顔を合わせる事もなかった。


 ────あなたの行いは……っ、あなた自身に可哀想だ!


 そんなきみが、初めてぼくの部屋に来たときに置いていった絵本がある。


「ほらほら、歩け、歩け〜。いち、に、いち、に」

「聞いてないすよ、どんだけ酒に強いんすか?」


がこん。


 ほれ、と、上司が投げた何かしらが溶けて身体に良いと謳うペットボトルの水。一時間ほど前の居酒屋で、がぶがぶと酒を飲む上司に呆気を取られていたら終電を逃してしまった。最悪な気分のぼくを尻目に、きょろきょろと何かを探す上司がフタを開け、その細い首から身体の中に、なんとかが溶けて身体に良い水が取り込まれていく。大きく息を吐き、見上げた空に呟いた。


「今夜は満月か〜」


 紺色の空に浮かぶ、銀の円、ひとつ。


 ────先輩は空を見て歩く人。とくにお月さまをよく見ていますよね。


「……君、大丈夫かい?」

「大丈夫じゃないです………全く、その健脚は何です?」


「いや〜そうじゃなくてさ〜、




 泣いてるじゃんよ?」


 仕方がないでしょう。こんな日に限って想い出したのが、未だふざける人間を辞めていないぼくに笑顔で言った、あの日のきみのこえだったのだから。


「許されませんね」

「わたし……そんなに粘着質じゃナイよ」


「月が綺麗ですね」





「……………っえ?」

「そっちの意味じゃないっすよ。ナニ、考えました?」


 こうやって、また人を揶揄う。

 こんな、悪い子ぼくを、


 お月さまがゆるしてくれない。


おわり

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まんげつがゆるしてくれない。 ヲトブソラ @sola_wotv

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