第2話 ココハドコ

 朝。最悪な状況で目が覚める。


 ふと見る、見たことのないサイドテーブル。

 見たことのないスエット。

 綺麗な薄いグリーンのカーテンが光を優しく透過し、ワタシを包み込む。

 アンニュイな気分。


 それをぶち壊す、吐き気。

「ぐっ」

 それっぽい扉を見つけ、戸を開ける。

 そこには、先客がいて、きょとんとこちらを見上げる。おそらくは、保育園の黄色い帽子をかぶり。

「おばちゃんだれ? ちょっと待ってね」

 私は口を押さえながら、頷く。


 その子はきちんと、便器から降りた後。水を流して。私に席を譲る。

「どうぞ」

 そう言って、トタトタと走って行く。

「おとーさん。おトイレに、変なおばちゃんがいたー」

 報告をしている声が聞こえた。


 いえ、それどころではない。

 口から手を離し、便器に向かう。

 だが、えずくだけで、何も出ない。


 そして、少し吐き気は治まる。

 ふと、廊下にいる。かわいい女の子と目が合う。

 指をくわえて、こっちをじっと見ている。

 何とかニコッと笑ってみる。

 途端に、悲しそうな顔をして、とてとてと走って行く。

 今の私って、そんなの悲惨な状態?


 そうして、便器から離れられないまま、考える。

 このトイレも知らない。

 2~3歳くらいの子供。

 最初にいた子は、男の子。かわいいのが付いていた。

 後の子は、雰囲気からして。女の子かな?

 親族の甥っ子姪っ子?

 いや、それ以前に、ココハドコ?


 思いだそう。

 一次会は、皆が付き合ってくれて、二次会では佳代と庄司君が付き合ってくれた。

 そこで、ショット数杯飲んだけれど、大したことはない。

 2人を送って、私は。そうよ、家では奴と半同棲だったから、帰りたくなくて。飛び込みで、ショットバーへ行ってまた数杯。

 

 私は彼を愛していたと言うより。依存をしていた。

 いなくなってしまえば、私はこれからどうすればいい。

 今までは、何も考えず。従っていれば良かった。


 バーで、おごってくれた男に、セクハラされそうになって、走って逃げて。


 いえ、電車に乗ったのは、記憶がある。

 でもどこへ。ひょっとして、終点まで行った? じゃあ此処はどこ?


「「おとうさん。いってきましゅ」」

「行ってらっしゃい。頼んだよ」

「毎日だから大丈夫」

 年上の女の人? 聞いたことのある声。なんだか、懐かしい?


 足音が近付いてくる。どうすればいいの? 泊めていただいたなら、やはりきっちりとご挨拶よね。


「よう。へんなおばちゃん。起きたか。その様子なら。まだ復活できていないな。ぬるいスポーツ飲料を持ってくるから、トイレで飲め。きっと、5分くらいで吐くから」

 トイレで苦しみ。這いつくばっている女性に、そんな言葉を投げかけるのは、誰? 記憶が無い。私は一体、どなたにご迷惑をおかけしたの?


 もうパニック。だが、差し出されたグラスの、二杯目を飲み掛かったときに、やらかし、鼻からも逆流をした。


「馬鹿だろおまえ。もう。トイレトレーニングも出来ていないような奴は、風呂へ行け」

 そう言って、またスエットが出てきた。下着は、なぜかお風呂場にぶら下がっていた。


「ぎゃあぁー。わたしのなんで」

「何でもかんでも、雨の中道に倒れて、寝ているからだろ。下着までぐっしょりで着替えさせたんだ。ああ、安心しろ。したのは家の母さんだ」

 そう聞いて、ちょっとだけ安心した。だが、見ず知らずの人の世話。悪いがちょっと気持ち悪い。


「まぁと言うことだ。さっさと、風呂へ入れ。濡れたままだと。うん?」

 いきなり手が、私の額に伸びてくる。

 とっさに、手でガードをする。

「ああ、ごめん。つい昔のくせで。悪いな。後で、体温を測ってみてくれ。顔が赤い」


 浴室の中に干してある。服は乾いていた。

 浴室乾燥機いいなあ。それに、今気がついたけれど。真新しい家。


 さっき彼が押したボタンで、お湯がすでに溜まり始めている。

 脱衣所へスーツなどを出して、濡れたスエットを脱ぐ。

 ブラは無し。当然よね。

 パンツは、ちょっと緩め。


 髪は濡らすと面倒だし、まとめて体だけを流す。

 そして、ゆっくり浸かっていると、徐々に胃の辺りも楽になってきた。

 気がする。

 体を拭いて、下着を着ける。

 だけど、いま体を締め付けるとキツいかも。でもブラは、垂れるし。ええい付けよう。でも、今から会社は無理。

 新しいスエットを、借りて素直に着る。


 ふと見ると、私の鞄も逆さまになって干されていた。

 靴も乾燥機に刺さっている。

 中身も几帳面に分けられ、下にタオルが敷かれ、ざるに入れられていた。

 中で、スマホが、点滅している。


 見ると、佳代と庄司から、それぞれ心配の文章が来ていた。

 『ご心配をおかけしました。無事です』

 それだけ返信を返す。ついでに佳代へ向け、休暇願をお願いと文章を送る。

 すぐに返信があり『やさぐれて二日酔いと言う理由で、出しておきます』そんな文章が来るが、奴ならそんなことはしない。多分。


 さて、鞄の中を確認をして、物を詰め直す。

 一応財布も確認するが、そもそもいくら残っていたのか、覚えていない。

「靴は、もう少しかな」

 革だから、急に乾かすのは良くない。だから、じわっと乾燥させてくれているのだろう。普通なら、紙を詰めて日陰で陰干しだもの。


 洗面所に、違和感。あんな子がいるのに、女っ気がない。

 歯ブラシも3本。

 そのうち2本は、かわいいのが刺さっている。


 鏡に映る私は、目の下に隈。

 あの子の言う。疲れたおばちゃんが、映っていた。

 そう、もう。29歳。

 5年付き合い。そろそろ結婚でもと思ったら、若い女に逃げやがった。あの馬鹿野郎。私より、3つ上のはずなのに。

 まあ。どうでも良いけどさ。

 こんなやさぐれた、おばちゃんじゃあ。


 ――嫌われるよね。――

 つい鏡を見ながら、涙を流す。

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