第7話「ノアハ:〈力の勇者〉あるいは〈魔王〉」
「発――」
勇者は手に込めた殺意とともに加護の力を誘う言霊を発しようとした。
しかし、勇者の力は発揮される前にゼファーの絶命によって遮られる。
「っ」
ゼファーの喉元を鋭いものが貫いた。
剣。
シエラが身の丈に合わない巨大な剣を、横からゼファーの首元に差し込んでいた。
「……憎しみが勝って、って感じじゃなさそうだね」
勇者はシエラの顔を見てそう思った。
彼女はひどく怯えた顔をしていた。
ほぼ死にかけだったとはいえ、人の命を奪うことに並々ならぬ覚悟と決断を要したのだろう。
案の定シエラは剣を差し込んだ状態でその手を力なく放し、膝から崩れ落ちた。
「……あなたは今、なにかとてつもなく大きなものを背負い込んだような気がしました。そしてたぶん、それを背負ったままどこまでも行くのだろうと、あなたの背中を見て思いました。でも、それを見たときにこうも思ったんです」
シエラは泣きそうな顔で勇者を見上げた。
「一人で行かせてはならないって。一人で背負わせては……ならないって」
「……俺は大丈夫だよ」
「いいえ、それも嘘です。だって、あなたも泣いていました。まだ出会って少ししか経ってませんが、私にもあなたのことでわかることがあります」
シエラはそういってまた、あの勇者を元気づけるような笑みを浮かべた。今にも泣きそうな顔のまま、それでも、しっかりと。
「あなたは嘘つきです」
「……ああ、そういえばそうだったね」
そう、最初に会ったときも、彼女にそう言われた。
「だから、私にも背負わせてください」
シエラはそこで自分の剣を支えにして立ち上がる。
「あなたが勇者にとっての魔王に、そして勇者を利用する者たちにとっての魔王になるというのなら、私も傍においてください。たいして役には立たないかもしれませんが、努力します」
「――いや」
「頑張りますから!」
「そうじゃなくて」
食い下がるシエラを勇者は苦笑で制する。
――もう十分、役に立ってるよ。
勇者は後ろを振り向いてさりげなく目元をぬぐう。
封印した人としての感情が、次々に胸の内に湧き出てくる。
その大半は負の感情ではあったが、その中で唯一温かく輝いているものがあった。
「あなたは独りじゃありませんからね!」
「……ああ、わかったよ」
「というか、いつまでもあなたと呼ぶのはやっぱり不便ですね! 早急に名前を考えないといけませんっ!」
状況が状況なだけに彼女も少し興奮しているのだろう。
さきほどまでの恐怖が転じてこんなテンションになっているのかもしれない。
「とりあえずこんな状況で名付けられるのは俺も嫌だから、ひとまずこいつらが乗ってきた船を探して乗り込もうか」
「はい! そうしましょう魔王様!」
「それもやめてくれ……」
そういってシエラは足早に踵を返した。
おそらく彼女の体もこの場をいち早く離れたがっているのだろう。
勇者もそれについていこうとして、ふと最後に地面に伏したゼファーの亡骸を見る。
ゼファーの顔は驚愕のまま固まっていた。
「……ロクな世話にはならなかったけど」
勇者はゼファーのまぶたをそっと閉じる。
恩義もなにもあったものではないが、そうできる余裕があるうちは、なぜだかそうしておこうと思った。
◆◆◆
勇者の予想どおり、近くにはゼファーたちが乗ってきたであろう中型の船が三隻ほど停泊していた。
敵が潜んでいないかを確認しながらそのうちのひとつに乗り込むと、ふとシエラが言った。
「ところで、なにげなくここまで来てしまいましたがさきほどあなたを撃った崖上の兵士たちは――」
「力を使ったときにまとめて薙ぎ払ったけど、まあ、何人かは生き残っているかもしれない」
勇者は肩に積もった雪を払いながらなにげなく答える。
「それはその……大丈夫なのでしょうか」
「何人か生き残ってくれたほうがいい。別にこれは慈悲とかじゃなくて、国家に反逆する勇者がいたということを証明してほしいから」
「ですが、そのとおりに伝わるでしょうか」
「伝わらないだろうね」
その点について勇者にはいくらか予想がある。
「そもそもとして、今回の事態を誰が誰に報告するかで言い方も捉え方もずいぶんと変わってくる。なぜなら市井ではまだ魔王は存在することになっているはずだから」
勇者が必要な世の中。少なくとも勇者召喚を大っぴらにしている国においては、勇者が必要な理由をなにかしらでっち上げているに違いない。
今の勇者の在り方は当事者であることを抜きにしてもあまりに人道から外れている。蚊帳の外にいる民衆を納得させる、ないし、見て見ぬふりを自分に許せるような理由がなければ、人道主義に
――まあ、完全に一部の人間しか知らないというケースも考えられないことはないけど。
それでも人の口には戸を立てられない。
ある国がその方法を取ったとして、他国――シエラを呼び出したウィンブルームのような国が別にあれば、そこに生まれた勇者の話はいずれ流れてくる。
――そのあたりが実際のところどうなっているのかも確かめていく必要があるな。
「いずれにしても、事実そのまま勇者が召喚国に逆らい逃亡した、とは大っぴらには伝わらないだろう。それが別の勇者の耳に入りでもしたら、その勇者たちの疑念を招くことになる」
勇者がなぜ国家に逆らったのか。
逆らうに値するなにかがあるのか。
「では、なんと伝わるでしょうか」
「『本当に魔王がいた』とでも喧伝してくれるのが一番だけど、それはさすがに都合が良すぎるかな。俺の顔は祖国に割れているわけだし。まあ、昔話に言われる魔王の加護が俺の加護と一致してることから『あれは勇者ではなく魔王の生まれ変わりだった』とか言ってくれてもいいんだけど」
それもないだろう。仮に現場にいた者がそう思ったところで、報告を受けた上層部はバカげた話だと一蹴する。
「いずれにしても勇者として生まれた俺たちが、召喚国に逆らったという事実は市井には広まらない。でも、実情を知る上層部には伝わって、彼らや、その同盟国に多少なりともプレッシャーは与えられるだろう。……まあ、俺の召喚国はそれすら隠すかもしれないけど」
「それはまた、なぜ?」
「俺の加護が貴重だから」
最後にゼファーはそう口に乗せた。
「勇者召喚を行う国々も一枚岩ではない、とゼファーは言った。同盟を結んでいるとは言っても、考え方が同じであれば競合するということでもある。俺の加護が本当は〈力の加護〉であることが露見すれば、ほかの国が俺を狙うかもしれない。だからもしかしたら俺の召喚国はこの加護のことを黙っているかもって」
いや、黙っているに違いない。勇者はすぐに思いなおす。
――このあたりはだいぶ底が深そうだなぁ。
「とにかく、今回の騒動だけですぐに表立ってなにかが変わることはないと思う。俺たちもある程度今の世界の情勢を知ってからどう動いていくかを練りたいから、今のところは都合がいい。まあ、俺の祖国には追われるだろうけど」
そこまで話しながら船の中ほどにあった階段を下ると、そこそこ整った客室を発見した。中に入るなり勇者はフードを取っ払い、あらわになった黒い髪を何度か手で払う。
「大変な旅路になりそうですね」
同じようにフードを脱いだシエラが対照的な白い長髪を揺らして苦笑した。
「まあ、やれるだけやってみるさ。捨てられた勇者として」
部屋の中にあった机の上に紙束と羽根ペンが置いてあったので、勇者はローブを脱ぎながらそのペンと取って椅子に腰かける。
さらに、乱雑に置かれていた紙束から一枚の白紙を引き抜き、そこに『勇者』『魔王』『国家』と文字を描く。
「文字が書けるのですか?」
「ああ、なんでか知らないけどね」
勇者として召喚されてから文字を教わったことはない。
というより、最初から書くことができた。
それがどういう理由でそうなるのかは、やはり知らない。
今回のことでいろいろな事実を知ったが、自分のことが一番わからないかもしれない。
「では、私と同じですね。もしかしたら私たちはすごく昔にこの世界に住んでいたのかもしれません。ほら、あなたの字も私と同じで少し古めかしい字体です」
「そうだったら、少しおもしろいね」
「前の人生で出会っていたりしたら……なんて考えるといろいろ想像がはかどります」
シエラはなかなかの空想家かもしれない。
今はまだ考えづらいことだが、もしすべての事が終わって、平穏な日常を得るに至ったら、彼女は作家にでもなればいい。
ふと勇者がそんなことを考えたとき、シエラの時が止まった。
同じようにローブを脱ぎかけていたところで、次の瞬間勇者から羽根ペンを取り上げると、無言のまま紙に文字を書いていく。
たしかに彼女の描く文字は自分と似た字体だった。
「――〈ノアハ〉」
「え?」
「あなたの名前は、ノアハです」
急にどうしたのかと訊ねる前に、次の変化が起こる。
ふと、彼女の描いた紙の上に小さな美しい青の花が咲いた。
それは不思議な光景だった。
次々に咲いていく青い花が、彼女の描いた文字を彩っていく。
「意味は古い言葉で『希望』。どうしてそうであるかはわかりませんが、あなたが笑っている未来で、たしかにそう呼ばれている気がしました」
ノアハ。
改めてそう告げられると、その名前は勇者にも妙にしっくりと馴染んだ。
「笑っている未来、か。本当にそうできるかはわからないけど、もしそうだったらいいね」
だから勇者――ノアハはその名を受け入れる。
ずっと空白だった心の隙間に、その名前はぴったりと収まった気がした。
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