第2話「シエラ:〈花の勇者〉」
「あなたが、魔王……?」
白髪の少女は涙のあとが残る顔を勇者に向ける。
「――そうだ」
勇者はうなずく。
「――ふふ」
すると、少しの間を置いたあと少女が目元に涙を浮かべたまま困ったように笑った。
その表情を、勇者はとても美しいと思った。
「あなたが魔王だというのなら、どうして今の隕石を止めたのですか?」
「……」
少女は目元をぬぐったあと、今度はいたずらっぽく笑った。
「あなたがあの隕石を止めなければ、わたしは今ごろ死んでいました。あなたがあの悪名高き魔王だというのなら、わざわざわたしを助けるような真似はしなかったでしょう」
たしかに、話に聞く魔王であれば、そうはしなかっただろう。
「あなたは、嘘つきです」
そう、自分は嘘つきだ。
「そして――とてもやさしい人です」
彼女は言った。
「ありがとう。わたしは今、あなたに救われました」
ふと彼女が明るい笑みを浮かべた。
花が咲いたかのように、美しくまぶしい笑み。
ほんの少し前まで涙を流して絶望していた少女が、まるで、こちらを元気づけるかのように。
――どうして。
「どうして、そんなふうに笑える?」
たぶん彼女は自分と同じなのだろう。
そのことを勇者はなんとなく察していた。
だから、彼女がそんな笑みを浮かべることができる理由が、思い当たらなかった。
「私を救ってくれたあなたが、とても悲しそうな顔をしているからです」
彼女の目は、ただまっすぐにこちらを見ていた。
「あなたも勇者なのでしょう?」
「……そうだよ」
自分が魔王ではないことはとっくにバレている。いまさらぶっきらぼうな口調を取り繕う必要もないだろう。
「……やはりそうですか。もう気づいているかもしれませんが、わたしも勇者です」
少女はそう言って胸元につけていた花型のコサージュを手に取る。
「わたしは〈花の勇者〉。名をシエラといいます。姓はありません」
彼女には名前があった。
「あなたの名前を、聞いてもいいですか」
勇者は問われ、一瞬悩んだ。
――いや、いまさら隠したところで意味はない。
そしてなにより、自分のためにあんな笑みを向けてきた彼女に、これ以上嘘をつきたくなかった。
「俺は〈力の勇者〉。名はない。ただの――勇者だ」
◆◆◆
勇者には名前がない。
勇者召喚陣によってこの世界へ呼ばれた当初、脳裏には自分に関する記憶がなにもなかった。
自分がだれで、どこから呼ばれて、これからなにをするのか、なにもわからない。
それなのに人として二足で歩き、言葉を話し、挙句、むなしさを覚えることすらできた。
自分という存在をうまく定義できないまま過ごした三か月の間、勇者は自分が何者かを知るために周りをよく観察した。
自分と関わった他者の表情、言葉、その声音。
関わる人間はさほど多くはなかったが、それでもある日、勇者は気づいた。
自分は飼われているのだと。
それも、愛着を持って名前をつけるような
だから勇者は、自分の加護について問われたとき、こう答えた。
〈腕力の勇者〉である、と。
そう答えたときの世話役の表情はわかりやすかった。
落胆、次に無関心。
自分の予想に確信を抱くにはそれで十分だった。
それからしばらくして、国から魔王討伐の旅に出るよう促された。
自分の加護がたいして使いものにならないことを知って厄介払いすることにしたのだろう。
そしてこのとき勇者は一つの仮説を立てた。
まだその仮説に確信は得られてはいないが、その仮説を頭の片隅にとっておいたからこそ、今の状況を思った以上にすんなりと受け入れることができている。
――この、倒すべき魔王が存在しないというおかしな状況を。
◆◆◆
「名前が……ない?」
「そうだよ」
勇者は少女に自嘲気味な笑みを返す。
少女の表情をうかがうと、まるで自分のことのように、どこかが痛そうな顔をしていた。
――十分だよ。
勇者は心の中で彼女に礼を言った。
自分も今少し、救われたと。
「では、わたしがあなたに名前をつけてもいいでしょうか」
「えっ?」
しかし、これで終わりでいいと思っていた勇者に対し、少女はおもいのほか力強く、歩み寄ってきていた。
「ず、ずうずうしいでしょうか……?」
勇者の反応を見た少女は、一転して少し申し訳なさそうに眉尻を下げる。
その容姿こそ人を寄せつけない超俗的な美しさを宿しているが、こうしてみると純朴な、それこそまさしく無垢な少女のようだと思った。
「え、い、いや……別……に」
勇者はたじろいでいる自分に気づきつつも、それをどうすることもできなかった。
「そうですか! では、あなたの名前を考えるのに少し時間をください。それと――あなたの話を、もっと聞かせてください」
少女がうれしそうに笑った。
本当に、うれしそうに。
その顔を見て、勇者は自分の心が
気づくと少女――シエラの足元に、きれいな青い花が咲いていた。
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