5-21 紅



「――全部、全部お前のせいなんだよ! ウィリアム・ルーク・オースティン!」


 顔を上げたシナモン様の紫色の瞳が――徐々に赤みを帯びていった。


 剣先をこちらに向けたシナモン様の挙動に反応し、私の横でオースティン伯爵が剣を抜く構えに入る。

 すでに結界を解き、何かの魔法を詠唱し始めているようだ。


 私はどう動くべきかわからず、魔女の顔を見た。

 魔女は私と目が合うと、悲しそうに首をふるふると横に振るだけ。


 ――そうだ、脅威はまだ、全く去っていない。

 伯爵がウィル様のサポートに入り、他の騎士たちは噴火から館を守っている。

 つまり私の役目は、魔女と、結界を張る騎士たちを、あらゆる脅威から守ることなのだ。

 私は、魔女と騎士たちのすぐ前に移動した。


 私の決意が伝わったのか、オルとルト、ブランも、私のそばで、いつでも戦闘に入れるように構えている。私は、ひとまずこのまま、結界を維持することに決めたのだった。


 そんな緊迫した状況の中、ウィル様とシナモン様は、会話を続けている。


「――俺のせい? どうして?」


 シナモン様は、剣先を再び下げると、ウィル様を見据えたまま、話し始めた。


「私は、幼い頃から神童と呼ばれてきた。武人一家であるキャンベル侯爵家の中でも、特に優れた身体能力と戦闘センスに恵まれていてな。大人に交じって戦闘訓練を行い、五歳の時には、初めて大人の魔法騎士と戦って勝利を収めた」


 過去を思い返すシナモン様の表情は、先ほどよりも穏やかになっていた。落ち着いた声で、彼女は続ける。


「私はそれから、ずっと腕を磨き続けてきた。同年代どころか、一回り年嵩の男にも、負けなかった。そうして私は、ずっと首位を独走してきたんだ。周りも皆、私を英雄視してくれた」


 彼女は口角をゆるく上げる。赤みを帯びた紫色の瞳は、鋭くウィル様を見据えたまま。


「――私は、戦えない者を、弱い者を、哀れだと思った。魔獣や野盗、暴漢に襲われても、彼らは、震えて縮こまるばかり。私が障害を払ってやると、皆が私に頭を下げ、感謝する。それは愉快なことであり、私の存在意義を肯定した。けれど、私が守ってやらねば、何も出来ない有象無象なのだと、そう思い、心の中では見下した」


 シナモン様は、そこですうっと目を閉じる。

 続く彼女の声色は、落ち着いていたが――その奥底には、隠しきれない激情が、忍んでいた。


「それなのに。私は、当然首席合格をするのだと信じ切っていた魔法騎士団の入団試験で、初めて敗北を味わった」


 その感情は、悔しさ。絶望。そして、憤怒。

 彼女は、そのとき、初めて大きな障害にぶつかり、初めて挫折を経験したのだろう。

 シナモン様は、顔をうつむかせたまま、ゆっくりと目を開いていく。


「戦闘力では、私が勝っていた。なのに、私は次席合格。――頭脳? 経験値? そりゃあそうだろうよ、蓋を開けてみれば、お前は魔法騎士団に所属していた経験があったというんだからな!」


 ウィル様は、魔女の禁術で時を遡っている。

 逆行前に、彼はすでに二年半もの間、魔法騎士として戦いの最前線に立ってきたのだ。

 経験で勝っていたのは、当然といえる。

 ――ただし、それはウィル様のたゆまぬ努力があってこそだ。


「入団してからも、お前はメキメキと頭角を現していった。お得意の頭脳労働はもちろん、二周目の経験を生かして、どんどん功績を上げた。その上、ミア嬢と心を通わせ、聖剣技を身につけたお前は、戦闘力でも私を抜かしてしまった」


 ウィル様は、王国が闇の勢力に呑まれないように、必死で立ち回っただけ。逆行前と違って、今回の彼は、功を焦っていたわけではない。

 けれど、確かに、彼は功績を積み上げていた。


 聖剣技に関しても、ウィル様の力を底上げすることができたのは、運良く加護のイレギュラーが発現したためだ。

 それを使いこなすことができたのは、彼自身の努力や魔法への知見の深さ。そして逆行後から根気強く私に深い愛情を注ぎ、私との絆を確かなものにしてきたからだ。

 シナモン様の言ったことは全て、ウィル様が辛酸を舐めながらも自らの手で、その努力で、覚悟をもって成してきたことなのである。


 それでも――シナモン様の立場になって考えてみれば、彼女が「ずるい」と感じるのも、理解できた。


「――私は悔しかった。聖剣技を完全修得することも叶わなかった私は、ただ愚直に鍛錬を積んだ。お前よりも、強くなるために。……だが、それでもお前には届かない」


 シナモン様は、顔をゆっくりと上げる。

 その瞳は、すでに血のような真紅に染まっていた。


「私は、誰よりも強く、誰しもに敬われる英雄でありたかった。私の夢を、お前が! お前が阻んだんだよ!」


 ――筋違いにも程がある。

 魔法騎士団には、ウィル様以上の強者もたくさんいる。

 団長であるオースティン伯爵をはじめ、各部隊の隊長たちは、他の団員たちとは一線を画した能力を持っているという。


 それなのに、彼女の憎悪や憤怒は、ウィル様に全て向いている。

 以前シナモン様がウィル様に向けていた好戦的な表情には、そんな負の感情など見受けられなかったように思うのだが……やはり、魔族の呪力が、彼女の負の感情を増幅させているのだろうか。


 前に立つウィル様の表情は、私の方からは見ることができない。

 しかし、彼は剣を正眼に構えたまま、静かに、一言も発することなく、憎悪のこもった強い視線を受け止めている。


「そうして迎えた今日、この日――玄関扉で一人待機していた私に、囁きかけるものがあった」


 ぞわり。

 シナモン様の、気配が変わる。


「奴は私に、こう言った。『我を受け入れ、我と同化すれば、更なる力を得られる。憎くて憎くてたまらない、あの男にも勝てるだろう』と」


 肌をチリチリと灼くような、濃厚な殺気。

 彼女の身から、黒い靄が滲み出る。


「私は、魔を受け入れた。自ら受け入れた魔は、私の身体を蝕むことなく、死の門をくぐることもなく、人の身のまま魔を宿した」


 シナモン様の身体から滲み出た黒い靄は、濃度を増して、彼女の持つ剣へと収束していく。

 剣は禍々しい黒を纏い、形を変える。

 剣身はねじれ、鋭く長くなり、鍔には幾本もの尖った装飾が絡み合う。

 魔法騎士団のエンブレムが描かれた宝玉の嵌っている部分は、髑髏の装飾へと変化した。


「そうして私は、魔と同化した。人の鎧を得たには、もはや忌まわしき聖女の結界など効かぬ」


 ――シナモン様の声が二重になり、口調が変わる。

 彼女に入り込んだ、魔族の影響が強まっているようだ。


 ウィル様は、沈黙を保ったまま、自らの剣に聖魔法の力を込めていく。

 彼は、神々しく光り輝く、白い聖剣をシナモン様に向けた。

 シナモン様も、黒き魔剣の切先をウィル様に向ける。


「私は、今度こそお前を倒す。そして、は、この世の王となるのだ!」


 魔を宿したシナモン様が、二つに重なった声で口上を終える。

 ――白と黒、二つの気迫が膨れ上がり、激しくぶつかり合った。


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