第21話─闘えなかった精霊、闘う少年

 エジンドーラの城下町の隣にある森の中。そこでミュゲは一人静かに暮らしていた。人など滅多に来なかった。来たとして、言葉が通じなかった。

 それでもミュゲは寂しくはなかった。何百年と独りでいたのだ。寂しいと言う感覚すら知らなかった。


 ある日、そんなミュゲの元に一人の少年が現れた。五歳かそこらの少年は、泣きべそをかいていた。


『どうしたの、ぼく。迷っちゃったの?』


 ミュゲは少年にそう声をかけた。すんすんと鼻を鳴らす少年は、うん、とくぐもった声で返した。

 おや、とミュゲは思った。話しかけてから気づいたが、エジンドーラに住む人たちの話す言語はエルドラーダで、エスパニャーダではないからだ。


『そう……森の外までなら送ってあげるよ、ついておいで』


 ミュゲは続けてそう声をかけた。基本精霊は自分の敷地外にはいけない。そのため、森の中でしかミュゲは動けなかった。

 少年はふるふると首を横に振った。


『しらないひとに、ついていってはいけないと、おかあさまがおっしゃっていたんです』


 その丁寧な口調から、ミュゲはその少年が貴族であることを悟った。もっとも、服装からして高貴なものであることは想像出来てはいたが。


『人じゃないから、大丈夫。精霊は君たちの味方だから』

『……せーれー?』

『ここは魔物も多いよ。襲われないうちに、ついておいで。僕がいるうちは近寄って来ないから』


 ミュゲがそう言うと、今度はきちんと少年が頷いた。それが、ミュゲと少年の出会いだった。


 少年の名は、ローダンと言った。ローダンは王族で、明るく真面目な子であった。

 ローダンは度々森を訪れて、ミュゲに話をしに来た。


『ミュゲ様、今暇ですか?』

『……また来たの?物好きだね』

『今日はいいものを持ってきたんです。ミュゲ様って飲食できたりします?』

『うん、まあ』


 その時にローダンが持ってきたものが、紅茶だった。ミュゲが美味しい、と零すと、ローダンはその日から度々紅茶を持ってくるようになった。


 ローダンがミュゲの元を訪れるようになって一年が経とうとしていた頃のことだった。その頃にはローダンの敬語も解けていて、すっかり仲のいい友人のような関係になっていた。

 しかしミュゲは、ローダンとそのような関係になることに疑問を感じてもいた。


『ねえ、なんでローダンはここに度々来るの?暇じゃないでしょ、王族なんだから』


 心底訳が分からないとでもいいたげな様子のミュゲに、ローダンは太陽のように眩しい笑顔で笑って見せた。


『だって、独りは寂しいだろ?』

『……さびしい?』


 さもそうであることが当然であるかのように言ったローダンに、ミュゲは首を傾げた。


『俺は独りは寂しいと思う。まあ、ミュゲがそう感じなくても、ミュゲと話をするのは楽しいからな。迷惑だったか?』

『そんなことないよ。迷惑なんて、そんな……ただ、僕に会いに来る人は珍しいから。人以外なら、たくさんいるんだけどね』


 ミュゲは人付き合いはもっぱら苦手だったが、動物や魔物、妖精にはよく好かれていた。それはオーキッドでも変わらずだ。

 基本穏やかでにこにことしているから他人からしてみれば真意が取りにくいのだろう、というのはテオドールの意見である。


 ミュゲはローダンが成長するにつれ、ミュゲにも飽きるだろうと思っていたが、存外そんなこともなかった。紅茶を持って現れる頻度は少なくはなかったが、それでも月に二回は必ず訪れていたし、時に婚約者や友人を連れてきたりもした。彼らもエスパニャーダを話せたことに、酷く驚いたことを、オーキッドはよく覚えている。


 そんな関係が、何年ほどだろうか。少なくとも、ミュゲの腰程の背丈だった少年が、彼の肩の位置にミュゲの頭がある程までに成長するくらいの年月は経っていただろう。

 何百年の時を過ごしたミュゲにとっては些細な移り変わりだったが、それだけの月が経てば、国が大きく変動することだってあるのだろう。

 否、変動していたのだ。ミュゲが気付かないうちに、物の見事に。

 森は静かだ。国の中にあっても、国とは完全に分離している。国で何かがあっても、森の中にいては気付けない。

 血と悪意の飛び交う革命に、気付くことが出来なかったのだ。


 ミュゲが何かがおかしいと気づき始めたのは、ぱったりとローダンが姿を表さなくなった時である。とうとう飽きたのかとも思ったが、それは無いだろうとも思った。


『次会う時は、俺の好きなものの話聞いてくれよ』


 そうローダンは言ったのだ。心底楽しみにしている様子で、去り際に。ミュゲはうん、楽しみにしてるね、と返したし、突然ローダンの気分が変わった、なんてことがあるとは考えにくかった。ローダンがそんな性格でないことは、ミュゲにもよく分かっていた。


 ミュゲが精霊たちに頼んで街の様子を探ってもらった時には、もう手遅れだった。革命が起きて、王族の人の首は一つ残らず飛んだ。言葉が出なかった。なぜ相談してくれなかったのだ、と叫びたかった。もっとも、今オーキッドが改めて考えると、純粋に知らなかったのだろうが。断言は出来ないが、当時のローダンは今のオーキッドと同い年かそこらのはずだ。平民が何をしようとしているか、など、察することは難しいだろう。もっとも、どのような政治をしていたかさえ、オーキッドは知らないのだが。


 ミュゲがさらに昏倒しそうになったのは、その革命家についてであった。革命家は魂を売った。誰に、と言われれば、もちろんのこと、悪魔にである。言うまでもないが、エジンドーラでの悪魔との契約は死罪だ。もっとも、王を失ったその時点で、悪魔との契約が罪に問われるかは怪しかったが。いや、問われなかったのだろう。そうでなければ、さらなる大惨事に国が襲われることはなかったはずである。


 オーキッドはミュゲの死因は寿命だと言ったが、それは半分正解で半分間違いである。ミュゲは心労で死んだのだ。死んだ時の記憶は無いため、恐らく眠っている時に死んだのだろう。


 ミュゲは死ぬまでに、精霊たちを使って革命について調べあげていた。革命家が契約した悪魔、ロベリオのことも、悪魔の囁きによってローダンの首が落とされたことも、全てを、使えるものを全て使って調べあげたのだ。

 最終的に国全てを、ロベリオが乗っ取ろうとしていることにも気がついた。

 森から出られない分、多少苦労もしたが、そこは年の功と言うべきか。悪魔の一時的封印に成功したのだ。一時的、というのは、ミュゲの精霊としての力がそこまで大きくなかったことを指しているのだが、今となってはどうでもいい話である。



 オーキッドは息をゆっくりと吐いて、剣を抜いた。ロベリオは目線をシレーネの死体にやって、目を見開く。


「もしかしてあんたっすかあ?ホフバであれだけの数の魔物を蹴散らしたバケモンの一人は……ま、魔法を使えるアイボー、がいない今、どれだけの力があんたにあるかなんて分かったもんじゃないっすけどね」


 ロベリオは浮き上がって、オーキッドを見下ろした。扉は全て閉められ、魔物がどこからか大量に現れる。

 あちこちで悲鳴が上がった。オーキッドは、テオドールに剣を寄越す。


『まずは魔物から、かな。魔法がなくても充分強いんだから、付き合ってよね』

「ああ……といっても、しばらくやってないせいで訛ってるが」

『いざとなったら守ってやるよ』


 オーキッドはシュベルを見やった。


『シュベル様、他の騎士への指示をお願いします!』

「任されたヨ」

『アン嬢、テオが守るからシレーネ嬢を遠ざけて!』

「俺が守るのかよ!?」

『僕は行動範囲広い方がいいでしょ!早く!』


 オーキッドは返事も聞かずに、魔物の心臓を貫いては剣を抜き、その場の人全員を守るように動き始めた。絶えずロベリオからの攻撃からも身を守っている。

 オーキッドはふと、彷徨う蟲達に目をやった。


『ねえ、妖精さん!』


 オーキッドの声に、蟲たちが振り向いた。


『そこの机の上にある料理、食べていいからさ。魔物を倒してくれると助かる!』


 蟲達はこそこそと話し合うと、それぞれ分かれて魔物を攻撃し始めた。

 シュベルに指示を出された騎士たちは、時に怪我を負いつつ、とはいえさすがはオーキッドに指名された騎士たちとでも言うべきか、明確に魔物の数を減らしていく。


 ロベリオは舌打ちをして、騎士たちに攻撃を仕掛けた。その度にオーキッドが攻撃を弾き返す。

 誰かが「悪魔の子」と呟いたのに、オーキッドは顔を顰める。

 テオドールは思い切り息を吸った。


「その悪魔の子に守って貰ってんだろうがよ!」


 ドスの効いた声に、会場が震えた。近くでその声を聞いたアンは、びくりと肩を震わせる。

 シュベルは呆れ顔を見せた。


「テオドール、落ち着きなヨ。気持ちは分かるケド」

「落ち着いてるが?ブチギレてるだけだ」

「それを落ち着いてないって言うんだヨ……」


 気付けば、シュベルも剣を握っていた。公爵子息だけあって、騎士に及ぶほどでは無いものの、心得はあるらしい。


 ロベリオは、次から次へと標的を変える。その動きは、殺すためというよりも、オーキッドを疲労させるためのものだ。同時に二人以上に攻撃できるにも関わらず、あえて一人にしか攻撃しないのも、そういった意図があるのだろう。会場の端から端まで走り回り剣を振るうオーキッドは、動きこそ鈍ってはいないが、汗を流し、息も荒くなっていた。

 しかし、魔物も無限に湧いて出てくる訳では無い。もう片手で数えられるほどになった魔物たちに、ほぼ全員が安堵していた。

 魔物さえ倒せば、悪魔はオーキッドが何とかしてくれる、誰もがそう疑わなかったのだ。テオドールが聞けばそれはそれで怒りそうな話である。


「キディちゃーん、そろそろ限界じゃないっすかあ?」

『そんなやわな鍛え方してない、よっ!』


 オーキッドが最後の魔物を討伐した。シュベルは別荘の建て壊しを頭の隅で考えながら、血にまみれたオーキッドを見つめる。


『もう魔物なんて姑息な手段はやめて、さ。正々堂々戦おうよ。ここにいる人に手出しはさせないよ』

「ちっ……バケモンが」

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