第16話─最強のコンビ、最悪のコンビ

「お、俺が先か」


 テオドールがそう言って、船着場近くのベンチに腰掛けた。澱んだ空気はとてもじゃないが綺麗とは言いがたく、立ち込める血の匂いに、潮の匂いが混ざって吐き気が催す。テオドールは眉をひそめながらも、血のべっとりとついたナイフを見つめた。O.Fと柄に刻まれたそのナイフは、テオドールのものではない。


『テオ、これ使いなよ。ちょっと切れ味は悪いけど、まあ、魔力切れした時のために、ね。どのくらい魔物がいて、どのくらい人が倒れてるのかわかんないし』


 テオドールはナイフの血を軽く地面に落とした。滴り落ちる血を見て、ふと街の方を見る。

 暫しそうして固まったあと、テオドールは立ち上がった。ナイフをくるくると回しながら、街の方へ向かう。


「ま、助けなんていらないだろうけども」



 オーキッドはふー、と息をついた。顔を顰めながら汗を拭い、辺りを見渡す。


『さすがにこの数を対処するのはしんどいね。早く帰ってゆっくり紅茶でも飲みたいよ。気分も悪くなってきたし』


 オーキッドは口で手を抑える素振りを見せた。手にもべったりとついた返り血故か、本当に抑えはしなかったが。

 サイクロプスはゼェゼェと息を切らしながら、オーキッドを睨めつけている。

 先程からオーキッドは、サイクロプスの攻撃を避けつつも魔物を倒していた。サイクロプスに何か攻撃をけしかけるわけでもなく、ただひたすらに神経を研ぎ澄ませて、己の運動能力を信じきってかわし続けたのである。

 サイクロプスからしてみれば、ただ体力と部下を減らしただけである。オーキッド自身も疲労は蓄積しているようではあったが、それでもまだ余裕があった。


『貴様、何者だ』


 サイクロプスは改めてオーキッドに問うた。オーキッドはゆらりと首を傾げて見せる。


『知ってどうするの?今更逃げれるとでも?』

『ただの人間じゃないな』

『こっちの質問に答えてくれるなら答えてあげてもいいよ』


 双方共に、まともに会話をする気はなかった。ただボールをお互いに相手コートに打ち込んでいるだけだ。ラリーなどするつもりもないらしい。


『悪魔と契約した?』

『答えるなんて言ってないがな』

『そう。じゃあ交渉は不成立、ということで』


 オーキッドはサイクロプスの方を向いたまま、何歩か後ずさった。サイクロプスは鼻で笑う。


『ふん。貴様のその身体で俺の心臓が刺せるとでも思っているのかと思ったら、さすがに無理だと自覚していたよ』


 オーキッドが手を前に掲げると同時に、バチン、と大きな音が鳴った。オーキッドにはもう見慣れた雷だ。呆気なく黒い塊となったそれをオーキッドは見つめて、塊の向こうにいる青年を見上げた。


「イイネ!」


 オーキッドはカタコトなエルドラーダでそう言って、親指を立てた。テオドールは塊を跨ぎながら、辺り一体を見渡してうげぇ、と声に出す。


「終わったから来てみたら……」

『さすがにぼくもきもちわるい』

「処理他の人に任せて一旦ここでないか?さすがに匂いが」


 オーキッドは頷いた。剣に着いた血を軽く落として、鞘に収める。


『船の近くに騎士団の建物があるんだよね。そこで着替えてから行こう』

「着替え持ってないが」

『騎士団長の息子だし、融通きくでしょ。貸してくれるって』

「こういう時だけ権力に物言わせるのかよ」

『僕の親友で通してもいいよ。実際戦ってくれたしね』


 まあ、そもそも人がいるのかっていう疑問があるけど、とオーキッドは続けた。先程から、倒れている人こそ見つけられるが、歩いている人が見当たらないのだ。家も魔物に気づかれないようにか明かりが消えているため、中に人がいるのかどうか確認できない。


「街の人が居ないのはともかく、騎士団の一人や二人はいるべきじゃないか?」

『他の場所に駆り出されてるのかも。ホフバだけが魔物襲撃があった、とは考えにくいし……どう考えても悪魔が絡んでるしね』

「いや、だとしてもだろ」


 本来テオドールには戦う義務はない。騎士団長の息子とは言え騎士団に所属していないし、そもそも学生であるからだ。ただたまたまオーキッドといたからオーキッドについてきた、というだけの話である。否、オーキッドは仕事であったため、テオドールといることは上は知っていたのだろうが、それにしたって、ついてくる保証などないに等しい。

 ということは、元々騎士団の方は、被害がどれほどのものであれ、オーキッド一人に任せるつもりであったということだ。テオドールはけっ、と悪態をついた。


「気に食わないな。というか、学生一人に任せて恥って言葉を知らないのか?上は」

『まあちゃんと騎士団員だしそもそも上は君の父親だけど』

「完全に記憶から抹消してた」


 オーキッドの言い草に、テオドールがくすくすと笑った。


「嫌がらせか?いや、謎にあの人お前のこと気に入ってるしな」

『魔法団の方は駆り出されてないのかな?』

「知らないが……同い年で魔法団入ったヤツいたか?」

『テオが入らないなら誰も入らない……というか入れないでしょ』


 幼少期の頃から群を抜いて魔法の能力が高かったテオドールに、大概は辟易していた。コントロール力にせよ威力にせよ、テオドールの右に出るものなどいないのだ。

 入ったところでテオドールと比べられることは目に見えていた。テオドールが魔法団に入らないのであれば余計にである。


『だいたい騎士団に流れてきたよ』

「騎士団よ言ってもお前いるだろ?」

『でも魔法使えないからね、僕』


 テオドールは納得の言ってなさそうな声を上げた。オーキッドは朗らかに笑う。


『テオは僕が認められて欲しいのか欲しくないのかどっちなの』

「認められて欲しいが不当な扱いは受けて欲しくない」

『面倒くさいやつだなあ』


 オーキッドはくすくすと笑った。テオドールは反対にむっとした顔をしている。


『いいんだよ、別に。テオが知っていてくれるから』

「俺だけが知ってたってなあ」

『ボクには愛しの婚約者もいないし』

「……からかってるか?」

『どうなの、最近』

「どうもなにも……」


 テオドールは口を濁した。オーキッドは笑っている。


『ねえ、トロッコ問題って知ってる?』

「えっと……なんだっけ?」

『あなたは今トロッコに乗っていて、レバーを動かす権利が与えられています。さて、ここでこのままレバーを引かずにいるとトロッコは五人を轢き殺してしまいます。レバーを引くと五人は助かりますが、一人が死んでしまいます。あなたはレバーを引きますか、引きませんかって問題』


 テオドールはあー、と気の抜けた声を上げた。


「レバー引くな。人殺すとかもはや今更だし」

『その言い方はちょっと。ボクもそうするけどさ。じゃあ、その一人が大事な人だったらどうする?』

「五人を殺す」


 間髪入れずに答えたテオドールに、オーキッドは目を丸くした。


『早いよ。もうちょっと悩んで』

「きっとお前は望まなくても、俺は五人を殺すと思う。その五人が友人であったとしても」


 テオドールは真っ直ぐな目でオーキッドを見た。大事な人をなんの躊躇いもなくオーキッドだと答えたことにも、その上でオーキッドを助けると答えたことも、意外ではなかったが、それでもなんとも筆舌に尽くし難い感情がオーキッドを支配した。


『テオらしいね』


 オーキッドは苦笑いとも言えない笑みを浮かべた。


『僕は、死ぬならテオを守って死ぬか、テオに殺されて死にたいよ』

「俺より先に死ぬ気満々じゃないか」

『あは、バレた?』

「やめろよ。お前だけなんだよ、俺」


 オーキッドは首を横に振った。


『テオには他にも沢山いるよ』

「……なあ、何を考えてるんだ」

『知ってる?エジンドーラの革命の雰囲気ってね、こんな感じだったんだよ。小さな街が魔物に襲撃されて、守れなかった国にお前のせいだって、平民が革命を起こしたんだ』


 オーキッドは、港の木造建築の鍵を開けた。案の定人がいる様子はなく、明かりもない。窓の外から入り込むあかりはあまりにも毒々しい。


『同じ悪魔だよ』

「……断言出来る理由は?」

『精霊の勘、かな。前世では行動範囲が絞られてて、封印くらいしか出来なかったんだ。召喚によって封印が解けたんじゃないかなと思ってるよ』


 オーキッドは棚のひとつを漁って、テオドールに服を投げた。テオドールはそれを掴んで、ほかの棚を漁り始めたオーキッドを見つめている。


「戦う気なのか」

『下手したら国が滅ぶからね。ただでさえこの有様なのに。どの道、あの悪魔にはケリをつけなきゃ』

「悪魔よりお前の姉を殺したやつだろ」

『分かってるよ。両方逃がすつもりは無い』


 テオドールは目線を落とした。オーキッドはそこ、と扉をゆびさす。


『水浴びできるから、したいならしておいで』

「……おう」

『僕も浴びたいからさっさとしてね』

「はいはい」


 テオドールは扉に手をかけた。

 オーキッドはその背を見送って、窓を背に座り込む。


『どのみち、僕は長くないよ』


 オーキッドは掌を見つめながらの呟きは、テオドールの耳に触れることは無かった。

 オーキッドがテオドールに貸した血塗れのナイフが、棚の上に寂しく置かれている。



「は?ホフバ全滅?マジで言ってんの?」


 女は苛立った様子で右足の爪先を何度も地面に叩きつけた。その向かいにいる高身長の男は、へらへらと笑っている。


「様子を見に行ったら、サイクロプスが潰れてやがったんすよ。心臓をひとつきされてる魔物か黒焦げになってる魔物ばっかりだ」

「へえ。どうしてその人間を始末しなかったのか聞いていい?」

「一番魔物の数を割いたホフバを始末するようなやつら、相手にしたいわけないっしょ?」


 軽薄そうな様子でそう告げた男に、女は舌打ちした。


「あんたと契約したの間違いだったわ」

「すいやせん。つい最近まで封印されてたもんっすから」

「言い訳とかいらないんだけど」


 女は足元の石を思い切り蹴り飛ばした。石はダストボックスにぶつかって、ガコンと音を立てる。

 ダストボックスの影で、アンは冷めた目をして、曇った空を見上げていた。

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