第15話─指を鳴らす魔法使い、心臓を貫く騎士
その凄惨な状況を見たオーキッドの瞳孔が開いた。
そこに生きている人はいない。されど、引き裂かれた血肉が辺りに散らばっている。
立ちこめる鉄の匂いに、テオドールは眉をひそめた。
「ひっどいな、これ……さすがに回復無理か……?」
『なんで……』
誰かに聞かせるわけでもなく、二人が呟く。遠くの方で叫び声が聞こえた。テオドールが振り返る。
駆け出したのは、ほぼ同時だった。
オーキッドは剣を抜く。
途中テオドールが立ち止まったが、オーキッドは止まらなかった。まだ助かる余地のある人を助けているであろうことは予想が着いたからだった。どの道、オーキッドの方が速く走れるのだ。いずれ距離は空くだろうとも推測していた。
オーキッドが訪れた先では、赤き瞳を昏く光らせた魔物が、十数匹、人間を喰らおうとしていた。オーキッドはなんの躊躇もなく、魔物を背後から、正面から、急所一点狙いで刺していく。
町民を気にかけなどしなかった。気にかけるだけの余裕もなかった。何故自分たち以外の騎士がいないのかと気にすることもできないくらいには。
「キディ!状況は!」
合流したテオドールの叫ぶ声がした。オーキッドは話す余裕もないのか、指だけ指して怪我人を示す。
蹴りを食らわせ、首を撥ね、心臓を貫き、人間の血と魔物の血が地面に混じりあって溶けていく。
あまりにおどろおどろしく、吐き気を催すような舞台で剣を片手に舞うオーキッドの姿は、あまりに異様で、けれどそのアンマッチさが美しさを加速させる。テオドールは町民の治療をしながら、ぼんやりとオーキッドの背中を眺めた。
そんな中、テオドールの背後に、長く鋭い爪を持った魔獣が、腕を振り上げた。オーキッドがあぶない、と声をかけるよりも前に、魔獣に雷が落ちる。
魔獣はあっさりと焦げ尽きて、黒い塊となって倒れた。
そうだ、こいつは、この男は、テオドール《神の贈り物》だった。
オーキッドは無駄な心配をしたと鼻で笑って、魔物に剣を突き刺した。
気付けば、もうこの辺り一帯の魔物は退治してしまったらしい。オーキッドは血の着いた剣を払う。
『これだけとは思えない。街一帯を見よう』
「迷ったついでに見かけた魔物二十体くらいは燃やしてきたが」
『方向音痴って役に立つ時あるんだね』
すごーい、とオーキッドは左手で右手の手首を何度か軽く叩いた。拍手の代わり、ということだろう。
「というか、ほかの騎士はいないのか?」
テオドールは辺りをきょろきょろと見渡した。オーキッドもつられたように辺りを見る。
『そういえば一人も見てないね?』
「まさかそもそも来てない、とかないよな?」
『うーん……まぁ、それはあとだよ。急ごう』
テオドールは納得のいってなさそうな表情を見せたが、そうだな、と返事をした。
「船着場集合」
オーキッドは頷いて、そしてそのまま固まった。ややジト目で、テオドールを見上げる。
『……迷わないでよ?』
テオドールはへらっと笑った。
「大丈夫、大丈夫。北に行けばいいんだろ?」
『北どっちか分かってんの?』
「こっち」
テオドールは自信満々に山とは反対方向を指し示した。オーキッドはため息をつく。
『そっち東だよ……』
「あれ?」
オーキッドは苦笑いを零しながら、コンパスをテオドールに手渡した。
『ホフバの地図は分かってるし、貸すよ。じゃ、気をつけてね』
「あ、ありがとう。お前も気をつけてな」
オーキッドが親指を立てて後ろを指すと、バチン、とオーキッドの後ろで雷がなった。オーキッドが肩を跳ねさせる。背後に、黒焦げの何かが転がっていた。
「悪い、雷属性が弱点だからさ、ソレ」
『いや、うん。いいよ?いいんだけどさ。真後ろで雷の音鳴るのはさすがにびっくりする』
「音がならない雷魔法開発してみるか」
『できるの?』
「天才ですから」
テオドールはウインクをして見せた。
『かーっこいい!』
ひゅーう、と、オーキッドが口にした。そして、何かを思い立ったように口笛を吹く。するとわらわらと、魔物が集まって来るのが肌感覚でわかった。
『僕も天才では?』
「……ひゅーう」
『そこ口笛じゃないんだ』
「できない」
『あ、そう』
オーキッドは剣を構えた。テオドールがオーキッドの肩を掴む。オーキッドは何も言わず、一歩下がった。
『あんまり魔力消費しないであげてよね。精霊も疲れるんだから』
「効率を考えて魔法使ってるから大丈夫だ」
小さく雷が光った。と、同時に、微かに水の動きが見える。
それだけで、何十匹といた魔物が一気に、黒焦げになっていった。
「感電魔法のいい所は、最弱雷魔法と中くらいの水魔法を組み合わせたら広範囲高火力魔法になることだな」
『うーん、なんにもわからない』
テオドールはくつくつと笑った。オーキッドがまるで流れ作業であるかのように、テオドールが倒し損ねた魔物を刺す。
なんの感情も持っていないその行動に、テオドールはぼんやりと黒い塊を眺めた。
「……魔物にとっちゃ、俺らが魔物か?」
『人間のナワバリに入ってきたこいつらが悪いよ。ま、魔物のナワバリに人間が入って魔物殺しをしてるなら、悪いのは人間だけどね』
オーキッドは冷めた様子で答えた。オーキッドは魔物の味方でも、人間の味方でもないらしい。ただ、世界の秩序に従っている方の味方をしているのみだ。
『三十分後。いける?』
「迷わなければ」
『なんのためにコンパス貸したと思ってるの?時間厳守だからね』
「き、厳しい!」
『じゃ、僕東半分見てくるから』
有無を言わさぬオーキッドに、ひらひらとテオドールは手を振った。そのふらついた身体とは反対に、瞳には確かな意志を宿している。
「さ、十分で終わらせて二十分迷いますか」
堂々と迷う気のテオドールに、あのねえ、と苦言を呈すオーキッドは、もう既に別行動をしてしまっていた。
オーキッドはさて、と息をついた。耳を立てて、遠くでする微かな喉を鳴らす音や、低いうなり声を聞き取る。野生の勘、とでもいうべきか、あるいは精霊の勘とでもいうべきか。
オーキッドはある種本能に近い感覚に頼って走り始めた。地図は把握しているというだけあって、道に迷う様子もなく、進んでいく。
『ビンゴ!』
オーキッドは汗を袖で拭って、口角を上げた。オーキッドの声に反応を示した魔物が一体、二体、三体と振り向く。
『人間か、まだいたとはな』
サイクロプスの声に、オーキッドは目を丸くした。
『おっ、あなたは理性があるんだね。じゃあ無駄な殺生をする必要はなさそうだ』
『ふん、戯け』
オーキッドは、背後に忍び寄るゴブリンを剣で刺した。
『ここは人間の縄張りだ。命が惜しけりゃさっさと巣に戻りな』
『ふん。人間の縄張りなんてじきになくなるさ。悪魔様に人間ごときが勝てるわけなどないのだからな』
悪魔、という単語に、オーキッドは反応を示した。やはりこの襲来もあの悪魔召喚とつながっているらしい。
オーキッドは、鼻で笑って見せた。自分を大きく見せることは得意だった。それだけの自信もあった。
『そう?僕は悪魔に勝てる自信があるけど』
声をぶらさず、はっきりと言い切ったオーキッドに、サイクロプスは嫌悪感を示した。
『ふん。たかがにんげ』
『僕にはカミサマがついてるからね。僕の命すべて使ってでもカミサマを守るよ。精霊の名にかけて』
オーキッドは剣をまっすぐサイクロプスの心臓に向けた。身長差も相まって、到底心臓に届きそうには見えない。
『僕に下るか、地獄にこのまま落ちるのか選びなよ』
『ふん。とんだブラフだな』
『戦うんだね?』
『一瞬で殺してやるよ。かかれ!』
サイクロプスの掛け声とともに、魔物が一斉にオーキッドに襲い掛かった。オーキッドは焦ることなく冷静に、一体一体をさばいていく。
その冷静さが、冷酷さが、いっそ狂気に満ちているようにも感じられた。必死な様子もなく、ただ何十枚とある紙全てに判子を押していくように、作業が進んでいく。命を扱っているとは思えなかった。
サイクロプスは確かに焦りを感じていた。魔物よりもよっぽど化け物じみている。しかし、
それをオーキッドは分かっていた。魔物の死体が辺りにゴロゴロと転がる中で、オーキッドは一人静かな光を携えて、魔物から剣を引き抜く。
『これで全部?どうせ後で全員狩るんだからさ、集められないの?探しに行くのも面倒だよ』
『貴様……何者だ?』
『どうせ死ぬあなたには、どうだっていい事だよ』
オーキッドは足で死骸を蹴飛ばした。肉片の生々しい音が、耳元で鳴るような錯覚さえ覚える。
オーキッドが口笛を鳴らした。オーキッドの背後に、雷が見えた。
『僕にはカミサマがついてるからね、こんな所では死なないよ』
オーキッドが魔物を集める一方で、テオドールは単独行動する魔物を、ナイフなり魔法なりを使って仕留めていた。
あるいは倒れている人々に回復魔法をかけてあげたり、時に雷を落としたり。自分の魔法の限界量など、もう十四年も付き合っていれば、十分分かっている。
合図は魔法の合図はいつだって、指パッチンだった。指を鳴らさずとも魔法は使えるが、テオドールはいつだって律儀に、指を鳴らしていた。
「なあ、知ってるか?」
テオドールはそう言って、足を止めた。目の前には、恐らく元々集まってはいなかったのであろう魔物の集団が、ぎゃあぎゃあと鳴いている。
「魔法って、殺すだけじゃないんだ。こうやってじわじわと追い詰めて、散らばった魔物を一箇所に集めるなんてことも出来るんだ」
テオドールは笑いながらそう言った。先程からテオドールは、半円を描くような雷を、指を鳴らす度に落とした。魔物は指を鳴らすタイミングで逃げ、次第に逃げる範囲は狭まっていく。殺し損ねた魔物は恐らく、図らずともオーキッドの元に向かうだろう。
「ま、意味なんて理解してないか」
遠くで口笛が鳴る。テオドールはなんの躊躇いもなく、雷電魔法を落とした。
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