第10話─少女の初恋、少女の決意

 アンは運ばれてきた紅茶に口をつけた。あら、美味しいわね、と声を漏らす。


「契約しましたね。テオを助けるために」

「答えは聞かないんじゃなくて?」

「聞きません」


 アンは訝しげにオーキッドの顔を見た。オーキッドは目を閉じて、腕を組む。


「これは独り言よ、あんたに話すわけじゃないわ」

「眠りますから、好きに」



 アンがテオドールの父と出会ったのは、テオドールと婚約をするその日の事だった。悪寒がした。あのギョロりと血走る目に見られた時、アンはこの家に嫁ぐのかとおぞましくなった。

 母親も、どこか気が狂っていると感じた。にこにこと口元に笑みを湛えているのに、目はクスリでもやっているかのように飛んでいた。

 これは、婚約者だと言う二つ下の男がどれだけの化け物なのか、分からないぞと、アンの脳が警鐘を鳴らした。


 ところが、アンの前に現れた少年は、想像していたよりもずっと純粋で、幼かった。未だ成長期を迎えていなかった彼は、当時のアンよりも背が低かった。


「初めまして、アン様。貴方のようなお美しい方にお目にかかれて光栄です」


 見た目の幼さにそぐわず、彼は丁寧な挨拶をして見せた。服はきっと、これでもまだマシなものを取り繕ってきたんだろうなと言うような、糸ほつれの激しいものだったし、髪もやや崩れていた。

 それでも、アンにはテオドールが王子様のように見えた。

 アルビノのアンは、いつだって周りに奇妙だと言われた。病気が移ると虐められたことだってあった。両親はそんなことは無いと言ってくれたが、それでもそんなもの、親の欲目だとしか思えなかった。

 テオドールのその褒め言葉を、お世辞だと一蹴するのは簡単だった。それでも、奪われてしまった。甘い瞳で綺麗だと言う彼に、すっかりと心を奪われてしまったのだ。

 運命の人。

 アンの本能が叫んだ。この人だと、本能が言っていた。


 テオドールは、アンが想像していたよりもずっと賢かった。テオドールのする話はどれもアンの好奇心を擽った。アンの話にも、楽しそうに答えてくれた。


「また、会えますか」


 別れの際、テオドールがそう言ってくれたことが嬉しくて堪らなかった。不安だったテオドールの両親のことも、全て捨て置いてしまうほどには、もう手遅れだった。

 惚れてしまっていた。度々「綺麗で見蕩れてしまった」という彼に、ただ一度話しただけで、すっかりと。


 アンとテオドールの仲は、驚く程にはやく進展していった。テオドールはいつだってアンの好きそうな話を持ってきたし、アンとてそれは変わらなかった。そしていつだったか、テオドールが提案してきたことがあった。


「家じゃなくて、外で会おう。外ででしかできない話があるんだ」


 逆じゃなくて?とアンは思いはしたが、喜んで受け入れた。テオドールは嬉しそうに笑って、じゃあ、迎えに行くからと言った。


 テオドールと言ったのは、あるカフェだった。甘いものが好きなのだと、テオドールは照れたように言っていた。家にお金が無いからとあまり高いものは頼まなかったが、それでも相当甘いものを頼んでいた記憶がある。

 そこでテオドールが話したのは、テオドールの好きな物のことだった。魔法のこと、親友のこと、どれも聞いた事のない話ばかりだった。騎士家の息子らしく、剣術などについて話しているのは聞いたことがあったが、魔法学について語るテオドールは、ずっと楽しそうで、輝いて見えた。


「魔法の道には進まないの?」

「進みたい。親友も応援してくれて……というか、応援どころか、巨額の援助までしてくれた。だから今、バレないように学校で研究してるんだ」

「バレないようにって、誰によ?」

「両親にだよ」


 テオドールは、家の環境をところどころぼかしながらも語ってくれた。

 アンは直感からして苦手だったため、テオドールの父親とも母親ともろくに話はしなかった。ほとんどテオドールがアンの家に来ていたし、逆であってもヘルキャット家の数少ない執事やメイドが、関わらせようとしなかった。訪れるとすぐに、テオドールの部屋に通される。アンは不思議に思いこそすれ、疑問を口にはしなかった。話さなくてもいいことに感謝していたからだった。

 聞けば、テオドールの境遇は、なんとも筆舌に尽くし難いほど悲惨な状況に置かれていた。テオドールの服の下はどうやら傷だらけらしく、時に眉を顰める時があることの原因が、その傷であることをその時初めて知った。

 テオドールは、助けてとは言わなかった。ただ、静かに笑って言ったのだ。


「本当は、婚約の話が出て、アンと会う時……両親の話を出して、解消してもらおうと思ってたんだ。お前が幸せになる未来が見えないから。俺が守れる訳でもないから」


 テオドールはあくまで冷静に、そう語った。会ったこともない人の幸せを願うなんて、なんて優しい人なのだろうと、アンは場違いながらも思っていた。


「けど、実際に会ってみたら、アンが凄く美しい人だったから。そばにいられたらって、欲が出てしまって。ダメだな、俺。いくら頭がいいって言ったって、やっぱり子どもだ」


 テオドールは、笑顔を浮かべながらも、悲痛な顔をしていて。子どもなんて、そんなことないと、言ってあげたかった。それなのに、言葉は上手いこと出てきてくれなかった。


「親友が……キディがな、最悪勘当されちゃえばいいよなんて言うんだ。俺の能力があればお金なんていくらでも稼げるよって。馬鹿馬鹿しいと思いつつ、それもいいなって思ってしまってる俺がいるんだ」


 テオドールがそうやって「キディ」について話す時は、他のどんな話をする時よりも、ずっと優しくて、幸せそうな顔をしていた。

 キディについて聞いた時はそれが「悪魔の子」だなんて知りもしなかったが、それでも、テオドールの心の支えが自分でないことに傷つきもした。


「けど、勘当されたら、アンとの関わりも無くなってしまうんだよな」

「……どうして、そう思うの?」

「勘当されてもこの国に滞在し続けられるほど、俺はメンタルが強くない」


 ─なら、わたくしも連れて行って


 とはいえなかった。アンには分かっていた。きっと、キディのことは連れていくのだと。口にこそしなかったが、テオドールの瞳の裏にはそんな考えが透けていた。

 どうしようもなく、嫉妬の情に駆られた。親友が男なのか女なのかすら分からなかったが、テオドールの一番がキディであることに違いはなかった。

 苦しかった。頼って貰えないことも、それどころか、ハシゴを外されかけていることも。



「わたくしは、調べあげたわ。彼をそばに置いておくには、どうしたらいいのか。そこで気づいたの。あの男が悪魔と契約をしていることにね」



 アンにとって大事だったことは、悪魔をテオドールに近づけないことだった。アンは悪魔も見えなければ、精霊も目に見えない。それでも、アンにとっての悪魔あの男であり、あの女だった。

 アンは悪魔を払う方法を調べあげた。図書館に通い、時にはシュベルを訪ね教えを乞うた。

 結果、目には目を歯には歯を。悪魔には悪魔をという結論に、至ってしまった。


 至ってからは早かった。止める人などいなかった。いるわけがなかった。アンの思考に気づいた人など、誰一人としていなかった。


 アンは誰にもバレないように、悪魔の召喚方法と、召喚場所を探し出した。人目のつかない、かつ広いところ。選んだのは、もう三十年前に廃館になった図書館だった。本はもうなかったが、建物だけは立派に残っていた。解体予定はなかった。


 狼男が遠吠えをあげる夜。アンは窓から抜け出して、目的地に向かった。召喚に必要なものは既に運んであった。わざわざ満月の日を選んだのは、それが条件としてあったためである。


 アンが召喚した悪魔は、まさに狼男とも呼べるような見目をしていた。鋭く光る眼光に心臓が止まる思いがしたが、アンは舌を噛んで耐えた。


「ほう、貴族の娘がオレサマを呼び出すとはな。望みはなんだ」

「……婚約者の、父親と母親をどうにかして欲しいんですの」

「望みは具体的にしろ」

「婚約者の父親は悪魔と契約して、暴力的になりました。母親も感化されたのか、婚約者に暴力を振るっています。婚約者を、助けて欲しいのです」


 震える声で告げた言葉に、悪魔はつまらなさそうな顔をした。悪魔は精霊とは違い、善意を嫌う。もっとどろどろとした醜い感情を好むのだ。婚約者のため、と、自分の欲でもなんでもない頼みを聞く気はないようだった。


「なぜ、貴様の婚約者にそこまでせねばならぬ」

「わたくしは、あの人のそばを離れたくないのです。今のままだと、彼はわたくしから離れていってしまう。そんなことは、耐えられないのです」

「男など、世界中にたくさんいるだろう。貴様の魂をかけるだけの価値があるのか」

「彼でないとダメなのです!彼が唯一、わたくしを認めてくださったのです。彼以外にはありえないのです!」


 酔狂、という言葉が近かった。けれど、その狂った愛を、どうやら悪魔は気に入ったらしかった。


 悪魔は言う通り、願いを叶えて見せた。



「それが、全てよ」


 オーキッドは目をつぶったまま、そう、と返した。眉間にはシワがよっている。


「ひとつ聞いてもいいですか?」

「なにかしら」

「代償は?」

「恋愛感情よ」


 アンは鼻で笑った。


「わたくしの、じゃないわ。あの人のよ。だからあの人はわたくしになんか興味はないの」

「なるほど」

「納得した?」

「レアチーズケーキひとつ」


 アンはオーキッドの自由奔放な姿に、不満げに顔を顰めた。


「好きな物食べて落ち着、ましょう。そうしたら、魔法をかけてあげます」

「無理して敬語使わなくていいわよ、返って聞きづらいわ。それに、あんた魔法使えないんじゃなかった?あの人に聞いたことあるわよ」

「僕は精霊の子だから」


 オーキッドはウインクして見せた。はぁ?とアンの声が漏れる。その反応は、何のためらいもなく敬語をなくしたことにも、突然意味の分からないことを言い出したことにも、紡ぎだされたようだった。

 そんな反応をすべて無視して、オーキッドはにこにことして、卓に置かれたレアチーズケーキをアンの前に置いた。


「テオに聞いたよ、好きでしょ?」

「……どうも。一瞬ちょっとくらい躊躇ってほしかったのだけれど、あなたに常識を期待した私が悪かったようね」

「敬語にしますか?」

「いらないわ。で、魔法って何よ」


 オーキッドはにや、と笑った。


「アン嬢の身体から悪魔の血を消してあげる」

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