第9話─冷たい少女、食えない表情

 オーキッドは、淀んだ雲の下、腕を組んで人を待っていた。どこか浮世離れした印象を纏うオーキッドを、道行く人は遠巻きに見つめる。

 そこに、白髪の女が、ヒールの音を響かせながら近寄った。オーキッドの閉じられていた瞼が、ゆっくりと開く。

 白髪の女、アンは、冷めた目をオーキッドに向けて、わざとらしくため息をついた。


「まさか本当にいるなんてね」

「いない方が良かったですか?」

「そんな当たり前のこと聞かないでちょうだい」


 オーキッドはくすくすと笑って、アンに手を差し出した。アンはその手を跳ねのける。オーキッドは気にするでもなく、アンをじっと見つめた。


「なによ」

「精霊はお留守番ですか?」


 アンの冷めた瞳が、オーキッドを見下ろした。オーキッドはニコ、と微笑む。

 まさに一触即発だった。オーキッドの目のうちに敵意は見えないが、それでも蛇のような、気付かぬうちに飲み込まれるような空気があった。


「ご存知と思いますが、僕はエルドアダ苦手なので、変でも言わないでください」

「もう既に気になってるわよ。あんた、本当に純エルドラド人?」

「残念ながら」


 オーキッドは笑みを崩さず、調子を崩されることもない。それがかえってアンには不気味に思えた。

 社交界にもこんな貴族はごまんといる。権謀術数渦巻く場で、感情がもろに表にでる貴族の方が珍しい。そのうえで、アンは得体の知れない恐ろしさをオーキッドに覚えていた。


「それで?わざわざわたくしに会いに来た理由はなにかしら。まさか口説きに来たなんて馬鹿なことは言わないでしょう?」

「今日もお綺麗ですね、レディアン。アンズのように可憐で、ほら、今だって周りの目を奪って離さない」


 アンは妖怪でも見たかのような表情を見せた。オーキッドはすっ、と表情から笑みを消す。


「おふざけはここまで、移動しますか。人たくさんいて話はしないでしょ」

「目的によるわ」


 オーキッドが冷めた目でアンを見上げた。


「言いました。精霊はお留守番ですか、と」


 アンの頬が、やや引きつった。


 オーキッドが入った店は、少しレトロチックな雰囲気のあるカフェだった。開放的な空間だが、どこか堅苦しさも覚える。

 オーキッドはアンをソファ席に座らせると、向かい側の席に着座した。ウェイトレスに簡潔に注文を伝えると、警戒した様子のアンを見る。


「頼む、みますか?」


 ふん、と言ってアンは扇を出した。口前に構えて、オーキッドを見据える。


「そんな時間はないわ」

「そうですか。これで」


 オーキッドはあくまで淡々と返した。アンは腕を組んで、苛立ちを隠そうともしない。


「早く本題に入ってくれないかしら。暇じゃないのよ、私も」

「姉上は殺されたんですか、どうして」


 アンはあからさまに目を泳がせた。


「は、はぁ?姉上?誰の話を……」


 オーキッドは静かにアンを見つめた。アンはオーキッドから目を逸らして、少しの間黙り込む。


「あぁ……そういえば、あんたリリィの弟だったわね。すっかり忘れてたわ」


 アンは瞳から猜疑心を失くして、扇をひらひらと仰いだ。


「どうして……って言われても、そんなのわたくしが聞きたいわよ。リリィがわたくしに用があるって言うから待ってたのに、気付いたらいなくなってて……聞けばもう会場を出たって言うじゃない。それでわたくしも会場を出たら、ハルト様がわたくしを呼びに来たのよ。リリィが殺されたから来てくれってね」


 アンはそっと目を伏せた。オーキッドはアンをじっと見据えて、話の続きを促す。


「急いで向かったらもう、そこにはリリィの死体と……魔法陣があったわ」

「魔法陣があった、ですか?」

「ええ。もう悪魔召喚が終わったあとだったようね」


 オーキッドは顎に手を当てた。運ばれてきた紅茶のカップに、そっと手を伸ばす。


「左利きですか?」

「右利きよ」

「知り合いは?」

「犯人探しでもする気?無茶よ、国ですら苦戦してるのに」

「いいから」


 アンはため息をつきながら目を閉じた。


「いるわ、三人」

「名前は?」

「シレーネ・アルメリア、ハルト・ルドベック。そして……」


 アンは少し前のめりになって、オーキッドを手招きした。オーキッドも前のめりになって、耳を貸す。


「ベイ・フェルエーヌ殿下よ」


 オーキッドの瞳が、ギラりと光った。

 ベイ・フェルエーヌ。アマリリスの婚約者だった男だ。


「シレーネ……平民の子ですか?」

「あら、てっきりもうそこまで調べがついているものかと思ってたけど……。ええ、平民よ。それも、ベイ殿下のとびっきりのお気に入りのね」

「やっぱり」

「やっぱりってことは知ってたのね?ほんっと、許せないわ!何が平民をいじめたよ。リリィが人をいじめるわけないじゃない。婚約者とか言っておきながら目腐ってんじゃないのかしら。本当に腹立たしいわ」


 アンがパシン、と扇を閉じた。何度も手のひらに叩きつけるアンをまあまあ、と宥めながら、オーキッドは紅茶を飲む。


「断罪は本当ですか?」

「本当は箝口令が敷かれてるんだけど……まあ、身内に話すくらいいいわよね。ええ、ほんとうよ。けど、その時に王陛下がいらっしゃってね、その場は丸く……収まっては無いけど、収まったのよ。結局、ベイ殿下とあの平民はその場を去って……というか、連れていかれて、そのまま卒業パーティの続きが始まったわ」

「ハルト卿はどうしました?」

「リリィを庇ってたわよ。ま、ハルト様はリリィに惚れてたから当然よねえ。でも、守った矢先にあれでしょ?わたくしも相当困惑したけれど、彼は非じゃなかったと思うわ。というか、困惑しすぎて記憶がごちゃごちゃになってたと思うのよね。わたくしに報告しに来た時、話がめちゃくちゃで驚いたもの。普段は理路整然と話すタイプなのに……」


 オーキッドは、ははぁ、と頷いた。先程まで敵意むき出しだったというのに、こうも饒舌になるのか。話題がアマリリスだからなのか、悪魔から話が逸れたからなのかは分からないが。


「ありがとうございます。姉上はもう大丈夫です」

「あら、そう?じゃあ」

「まだ付き合ってもらうですよ。頼まれたので」


 オーキッドは小指を立てた。

 アンの表情が、あからさまに歪んだ。


「言ったでしょ。精霊はお留守番?って」


 オーキッドは紅茶を啜った。くるくると髪の毛を遊ばせる様子は、どこか退屈そうだ。


「僕はどうでもいいですけど、ね。しててもしてないでも」

「……あら、それは意外ね。騎士は正義感溢れるものだと思ってたわ」

「他人を傷つけないなら、悪魔と契約していいですよ。守るために頼る人もいるでしょう。全部契約者と言ってしまうのは愚かです」


 オーキッドは欠伸を噛み殺しながら言った。アンは少し目を丸くしながらも、オーキッドの言葉を待つ。


「契約したやつの魂が悪魔に飲まれるのは、どうでもいいですよ。ジゴージトクってやつです」

「随分と冷めてるのね」

「僕にとって大事なのは、テオが傷つかないかどうかだけです」


 オーキッドのライトブルーの瞳はどこか冷たいようで、確かな火を灯していた。アンの瞳孔が、開く。


「ここから先、考えたこと話します。正解も不正解も、言わないで。どの結果であっても、不正解だったと彼に伝えます」

「あら、どうして?」

「合っている自信があるから。テオを傷つけたく、ないです」


 アンは怪訝そうに眉をひそめた。オーキッドは紅茶を飲み終えて、再びウェイトレスに紅茶を追加で頼む。


「アン嬢が悪魔と契約したは、少なくとも二年前。テオが家族とえっと」

「衝突した時ね」

「ありがとうございます。僕はテオに多額……援助?してたけど、僕も問題あって、テオに関わってなかったです。僕が知ってるは、テオから聞いたものだけ」


 あ、文法?つづり?めちゃくちゃけど、紙に書いたの見ます?


 オーキッドはそう言って、紙を取り出した。文法や綴りどころか字すらも読めるかどうか怪しいそれに、アンは苦笑いをこぼして首を横に振る。


「まだあんたの聞き取りにくい発音の方がわかるわ」

「そうですか。トツゼン解決したですね。ヘルキャット侯がいきなり、何も言わない……なく、?」

「言わなくなったと言いたいのかしら。なんのための台本よ、それ」

「ボク読む、め、ないです」

「なんで書いたのよ」


 アンは肩を竦めて見せた。瞳の奥に灯る警戒心をよそに、オーキッドはため息をついた。


「エスパニャーダわからないですか?」

「そっちにかけてんじゃないわよ、わからないわ。あんたの優秀なコイビトじゃないのよ」


 オーキッドはキョトンとした顔をした。そして困惑したように首を傾げる。


「コイビトはアン嬢じゃ?」

「ただの婚約者よ。しかも政略結婚の」

「うん?仲良い、とおもった、けど」

「アレがわたくしに興味があるかと言われればないわよ、間違いな」

『そんなことない!』


 オーキッドの食い気味の返事にアンは幾度か瞬きをした。口をついて出たのはエスパニャーダだったが、アンはオーキッドの言葉を理解したらしかった。


「不安の顔してた。関わってる、言った時」


 オーキッドは顔を顰めた。


「情が湧きやすい人だよ、テオは。僕の性格も、よく知ってる」

「……知ってるわよ、そんなの」


 アンはため息をついて、紅茶を一杯頼んだ。


「人に興味のない悪魔の子も、あの人には甘いのね」

「直接悪魔の子言う人、初めてです」

「あら、そう」


 オーキッドはくすくすと笑った。


「話続きましょうか。一つ確認します。ヘルキャット侯、契約者ですね」

「あら、驚いた。誰から聞いたの?」

「初めて会った時、なのかな、と。精霊がいなかったので」


 オーキッドはそう言って上唇を舐めた。

 オーキッド自身、ヘルキャット侯を苦手としているため、あまり会いに行こうとはしない。力にものを言わせる考えもそうだし、そもそも脳が拒否していた。テオドールも特に会わせようとはしてこなかったために、確信を得られる要素など無いに等しい。


「魔法を使えなかったんでしょう、彼は」

「ええ、そうよ。契約したのがいつか……なんてのは知らないけどね。何を契約したのかも知らないわ。けど、代償は分かる」

「代償?」

「わたくしのお父様が仰っていたわ。ある時からいきなり、暴力的になった、と。優しく強いヒーローが、ただの暴漢に成り下がってしまったと」


 悪魔の契約の代償は、願いの内容に比例する。死んだ時に魂を取られるというのはもう今更なのでさておき、ヘルキャット侯が代償として取られたのは、思いやりの心か何かだろう。

 そんな曖昧なものが、とオーキッドは考えた。しかし考えてみれば、思いやりの心が無くなれば、周りも距離を置いた。なまじ力がある分逆らう者などいなかったようだが、契約した悪魔の性格によってはそういうものもあるのだろうと思った。

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