第7話─出会う二人、変わる人生

 テオドールにとって、家の中というのは非常に居心地の悪い場所であった。


 ヘルキャット家は、何代も前から騎士として名乗りを上げてきた名高き侯爵家である。当然主たるテオドールの父も騎士であり、祖父もしかりだ。

 曽祖父、祖父、父と騎士団長を務めてきたヘルキャット家の王家からの評価は、非常に高い。


 テオドールは長男だ。弟はいるが、テオドールほど優秀ではない。それは勉学においても、剣術においても、そしてもちろん、魔法においてもである。


 当然であるかのように、テオドールは嫡男であることを強いられた。そしてまた、騎士となることも強いられた。

 テオドールは運動は苦手ではない。オーキッドほど目を見張る才能はないものの、それでもどんな競技でも試合である程度のいい成績を叩き出せるくらいには得意であると言えた。

 しかしながら、テオドールは騎士という職業には魅力を感じなかった。何よりも本が好きで、何よりも魔法が好きだった。


 なんのために、騎士を目指しているのかが分からなかった。


 テオドールは賢かった。賢いゆえに、そんなことを口にしてはいけないと、幼い頃から理解していた。ただ父からの教えを享受し、ただ騎士になるために練習する。


 テオドールにとっては、それが当たり前だった。


 しかしながら、その当たり前は非常にあっけなく、崩されることとなった。


 テオドールがオーキッドと出会ったのは、五歳かそこらの時である。輪に入らず端の方で気ままに空を眺めているオーキッドの顔に心惹かれたのだ。そう、顔である。当時からテオドールは相当な面食いであった。


「なにしてるの」


 テオドールが声をかけてから、三秒後くらいの間を開けて、オーキッドは口を開いた。


『空、みてた』


 テオドールは当時、相当驚いたことを覚えている。

 エスパニャーダで返されたこともそうだが、なによりエルドラーダは理解していた上で、エスパニャーダで返してきたことに驚いたのだ。


「えっ?えっと……エルドラーダ、わかるの?」

『うん?うん……あれ?僕が話してるの何?エスパニャーダかな』

「だ、だと思うけど」


 オーキッドは何を考えているのか分からない瞳を揺らしながら、こてん、と首を傾げて見せた。


『なんでさっきからエスパニャーダ分かってそうなのにエルドアダで話してるの?』

「それこっちのセリフだけど!?」

『ああ、ごめん。僕、聞き取れるけど話せないんだ』


 不思議な人だ、とテオドールは感じた。にも関わらず、不快感や得体の知れない恐ろしさを抱かせない、それどころかどこか安心させるような雰囲気を纏うオーキッドに、好意的な印象を抱いてもいた。

 掴めないが、だからといって雲のようにふわふわとしている訳でもない。どちらかと言うとずっとずっと遠くにある太陽のような。


「俺も、聞き取れはするけど、話せないんだよ。というか、話したことがない」

『ああ、なるほど。まあ、母国語じゃないならそんなものだよね。むしろなんで分かるのかが疑問でしかないけど』

「……難しい言葉は分からないぞ。魔法についての論文を読んだことがあるだけで、別に学んでいるわけじゃないからな」

『そうなんだ。頭いいんだね』


 話せない、という割に、五歳にしては難しい言葉も理解している様子のオーキッドに、テオドールはさらに訳が分からなくなった。

 普通、同い年の子に「論文」なんて言ったって、通じないのだ。それをわかっててテオドールも普段滅多に言わないのだが、思わず口をついて出てしまっていた。しまった、と思った時に返ってきたのが上記の台詞である。


「ねえ、名前聞いてもいい?」

『オキッド・フォサイス』

「おきっど?」

『キディでいいよ』


 当時のテオドールは、エスパニャーダの基礎的知識こそあれど、アールの発音が完全に失われることまでは把握していなかった。しかしながら、フォサイスがフォーサイスを指すこと自体は把握したらしく、即座に同地位の人間であることを悟った。


「僕が伯爵位以下だったら、とか考えないの?」

『侯爵家でしょ?テオドー・ヘルキャット侯』

「……知ってたの?」

『有名だから』


 オーキッドは杖を回すジェスチャーを見せた。魔法を使う時に杖など使わないが、魔法を指していることは容易に想像が着いた。この時には既にテオドールは魔法使いとして類まれなる才能を発揮していて、一部では非常に有名になっていたため、魔法家の息子であるオーキッドが知っていることもなんの不思議でもなかった。

 もっとも、先程魔法の論文を読んだ、ということから推測したのかもしれなかったが。


「じゃあ、俺のこともキディって呼んで」


 そんな奇妙な出会いを交わした二人は、今後の人生の大部分をお互いによって変えられることになる。


 仲良くなって、一年ほど経った頃。テオドールは剣を振り下ろしながら、オーキッドに相談したことがあった。


「あのさ、俺、魔法の研究者になりたいんだ」


 その時オーキッドはぽかんとして、剣を弾きながら首を傾げた。一見悠長に見える動作にも無駄はなく、テオドールの剣を正確に捌いている。


『いいじゃん。なったら?』

「ザ・体育会系の親が許すとも思えないんだよな」

『まあ別に、勘当されてもいいんじゃない?実績さえ残せば稼げるよ』


 オーキッドのとんだ発想に、一瞬テオドールは言葉を失った。


 ─勘当、とは。また随分なことを平然として言ってくれる。


 テオドールは驚愕しながらも、しかしわざわざ口にすることもなかった。出会った当初から、オーキッドがやや世間一般とズレた思想を持っているのを、テオドールは身をもって体験していた。


「でも、資金がなあ……」


 しばしの沈黙の後、テオドールが漏らした声に、オーキッドが小さく笑った。まだ六歳にして、研究費用について懸念するとは、なんと現実的な悩みだろうか。可能不可能を考えないあたりは年相応である、とも言えたが。

 ここでそう返すあたりが、オーキッドと上手くやって行ける理由でもある。


『中等部に上がるまでは待ってよ。そのくらいの時間の猶予はあるでしょ?』

「中等部に上がったからと言って家が苦しいことに変わりは無いと思うんだが」

『ばぁか、僕が投資するんだよ』


 さもそうすることが当然であるかのように言い切ったオーキッドに、再びテオドールは口をはくはくと開閉する他なかった。


「……は?いや、フォーサイス家はうちよりは裕福だろうけど。そんな家ぐるみで投資してもらうほど俺が貢献できるものはないぞ?」

『ん?違うよ。投資するのはあくまで僕。家は関係ないよ』

「いやいやいや、だったら尚更だろ。研究費ってどんだけ莫大な量が」

『うん、大丈夫。目処はあるから』


 あっさりと言ってのけたオーキッドに、それ以上テオドールは何も言えなくなった。いつだって、テオドールは振り回される側である。

 そして本当に中等部に上がって、オーキッドは莫大な資金援助を施すことになる。


「魔法の研究がしたいんだって?」


 そうテオドールの父が切り出したのは、初等部二年の夏のことだった。

 一体どこから、そう尋ねるまでもなく、父の口から答えが紡ぎ出された。


「ダイアンが言っていたぞ。まったく、何を考えているんだお前は」


 ダイアンとは、テオドールの弟の名だった。テオドールよりも四つ幼いダイアンは、秘密なんて言葉を知らない。ダイアンに話した覚えもなかったが、きっとオーキッドとの会話を聞かれていたのだろうと検討をつけた。ダイアンを責める気はなかった。


「我がヘルキャット家は名だたる騎士家だぞ。その長男が、魔法に腑抜けるなどと……馬鹿にされたいのか?」


 窓が揺れるような、地響きのような声が部屋に響いた。テオドールは何も言わずに、ぼんやりと窓の外を眺めていた。


 テオドールの父は、なぜだか魔法をやけに目の敵にしていた。魔法が使えないというわけではない。使える上で使わないのだ。理由なんか知らなかった。テオドールは知る気もなかった。


「聞いているのか」

「はい」


 父が癇癪持ちであることは、重々把握していた。それ故に母の身体に痣があることも知っていた。

 母の心配はしなかった。母はいつだって、暴力を振るわれた怒りをテオドールにぶつけた。あんたのせいで、と金切り声をあげる母親の姿を、テオドールは何度も何度も目にしていた。


 ─勘当、ありだなあ


 冗談抜きに、テオドールは深刻に、いつしかオーキッドが口にしていた事を考え始めていた。もとより嫡男にこだわっていないし、好きなことさえ出来ればなんだってよかった。


 テオドールは、父の説教をただひたすらに聞き流した。黙っていれば、いつかは終わる。


 テオドールがそんな話をオーキッドに漏らすと、オーキッドはいつだって怪訝そうな、不快そうな顔をしていた。酷い親だとも、最悪な家庭だとも言わなかったが、あまりいい気はしていないだろうことは分かっていた。


『テオって結構精神力あるよね』

「……そうか?精神力に関してはお前に言われたくないんだが」

『僕は別に、精神力を問われるようなこと経験したことないから』


 よく言う、とテオドールは心の中でごちた。オーキッドはめったに自分の話をしないが、家では空気のような扱いを受けていることを知っていた。両親も兄も、そもそもオーキッドに興味を持っていなかった。話しかけても五回に一回返ってくればいいほうで、下手したら姿さえ見えていないのではないかと言いたくなるほどに、オーキッドの存在はないに等しかった。


 それは学園でもそうだった。剣の実力のおかげで有名でこそあったが、テオドールがいないときにはいつも孤立していた。嫌われていたわけではない。ただなんとなく、関わりにくかっただけだ。同言語で話せないことがどれほどの障壁になるかは、オーキッド自体も把握していた。テオドールが異常なのだ。


『救いが一つや二つあるだけで、精神なんて保たれるものだよ』


 オーキッドは照れたように続けていった。それは、アマリリスが命を散らす、ちょうど一週間前の日のことだった。

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