第5話─曇りのカフェ、精霊の秘密

 結局、晩御飯も兼ねることにした二人は、一旦水と、料理を各々で頼んだ。テオドールは、困り果てた挙句に、オムライスを選択した。ベルは即座にオムライスを選んだ。要は、ベルはテオドールの選んだものを食べる気でいたわけだ。口に入れられさえすればなんでもいい、とベルは驚いているテオドールに答えた。


『よく来るの?ここには』

「まあ、そこそこ」

『美味しい?』

「…………口に入れる分には、申し分ない」


 テオドールの遠回しな言い方に、ベルは鼻で笑った。要は、美味しくは無い、だ。テオドールもベル同様に特に食にうるさい方では無いが、それでもこの店内を見れば納得できるほどのものでもあった。


『それで、何をしてたの?』


 オムライスを口に入れたベルが尋ねた。なるほど、うん。これは確かに、美味しいとは言えない。

 ベルとて舌は肥えている。口にはしなかったが、迷いなく水に手を伸ばした。味が濃すぎる。


「うん?えっと……ああ、あの話」


 テオドールも同様に口に入れて、一瞬目じりを引きつらせた。


「……今日、やけに濃いな」

『……言わないようにしたのに』


 テオドールは水を口に含んだ。


「魔法ってどうやって出してんのかなって話だ」

『ああ……精霊の持つ魔力に属性を乗せて撃つんだよね』


 さも当然かのように言ったベルを、テオドールは凝視した。ベルは魔法が使えない。故に、魔法の知識はほかの人たちよりもずっと少ない。


「詳しいのか?」

『詳しいも何も、精霊が見えるし話せるからね……あれ、この話テオにしたこと無かったかな』

「その辺の話、もっと聞きたいんだが」


 身を乗り出したテオドールに、ベルはきょとんとして頷いた。


『えっと……何が聞きたいの?』

「精霊の持つ魔力の話。あと属性の話かな」

『属性についてはテオの方が詳しいんじゃないかな……?火、水、雷、風、土、光、闇、毒の計八属性があって、全員得意不得意はあっても全属性を持ってる』

「全属性を?」

『うん。ただ、属性を持つって言うのは要は、適性を持つ、ってことでもあるんだ。あの検査キットでしらべるのは、適性ってわけ。適性がないとやっぱり使いにくいし、まあ普通使わないかな』

「お前は、全適性がないってことか?」


 うーん、とベルは唸り声を上げた。


『いや、僕はそもそも属性がないよ』

「……は?」

『まあ、その辺の話は僕もよく分からないから、後でね。で、精霊の事だけど……精霊は、魔力は持ってるけど属性はないんだ。人間や魔物とは反対にね』


 テオドールは口を開きかけて、そのまま誤魔化すようにオムライスを食べた。ケチャップの濃い味が、口の中を占領する。


『とはいっても、全精霊が魔法を使えないわけじゃないんだよ。精霊には二種類いて、そのうちの一種類は使えるんだ』

「二種類?」

『一種類目は、浮遊精霊と呼ばれるもの。人間や魔物にくっついて、魔力を与える精霊だよ。意思はちゃんとあるんだ。だから、呪文を唱えれば意図を汲んでくれる。まあ別に、今から魔法を撃つということが精霊に伝わればそれでいいから、テオみたいに指パッチンで教えちゃう方が早いんだけどね』


 魔力量は使わなかった分を精霊が吸い取るし、とベルは続けた。


『もう一つは、特に誰にもつかずにその辺にいる精霊。殆どは決まった場所に住んでるかな。有名なのは精霊の森だよね。そっちは僕たちにも見えるから、興味があるなら会いに行ってみるといいよ』

「行っても迷うに決まってるだろ」

『……力強い断言をありがとう』


 ベルは肩を竦めた。そうだ。こいつはこういう人間だ、とベルは思った。そうでなければ、どう見ても外部生のベルに、職員室への道を聞こうと声をかけるわけなどないのだから。


「で、浮遊精霊の方についてもっと聞きたいんだが」

『その前に紅茶頼んでいい?』

「構わない」


 気づけば、ベルはオムライスを完食していたようだった。テオドールはメニューを覗き込んで、一つを指す。


「これが一番マシ」

『じゃあそれにする』


 ベルはアールグレイを頼んだ。ついでにテオドールもクッキーを注文する。なんでも、クッキーは仕入れ品であるために、味のばらつきがないらしい。高級店から仕入れているわけが無いため、特別美味しいかと言われるとまた首を傾げたくなるが。


『それで、詳しくは何が聞きたいの?』

「浮遊精霊は、自分の意思で人や魔物につくのか?それとも、自然の摂理のようなもの?」

『自分の意思だよ。自分好みの人や魔物につく。だから飽きたらどっか行っちゃうし……まあ、基本的にはいない人や魔物ところに精霊はつくから、よっぽどのことがない限りは大丈夫だよ』

「その、よっぽどのことっていうのは?」

『うーん……まあ、精霊は非人道的なことを嫌うから……殺人とか、しちゃった時かなぁ。戦争している時も光魔法以外は使えないはずだよ。光属性を持ってても、他の属性も持っていると使えなかったりするし……ああいやわ呪文を言うから使えるのかな』


 ベルは首を傾げながら答えた。どう思う?と言ったのは、恐らくテオドールに尋ねたものではなかったのだろう。テオドールが反応を示さずにいると、ベルはそうだよね、と返した。


『人や魔物を無意味に傷つける用途じゃないなら、精霊は力を貸してくれるよ。精霊には悪意を感じ取る力があるからね』

「悪意……」

『テオに沢山精霊が付いてるのは、単に魔法が好きだからってことだろうね。何かわからないけど楽しそうだから協力してやろうとか、そんな理由らしいよ。まあ、一番は僕と仲がいいことだろうけど』


 ベルがいち、にい、さん、とテオドールの周りを指さした。なな、と言うと同時に、くるくると指を回す。


『ふふ、目回しちゃった』

「……何してるんだ」

『つい、ね。えっと……聞きたいことは解決したかな?』


 ベルはまったりと首を傾げた。髪を結ったまま寝たからだろう、崩れた髪が垂れたのに、ベルは気がついた。


『服は気にしてたのに、髪は気づかなかった』


 ベルは髪に刺したピンを抜いて、髪を下ろした。オーキッドだ、とテオドールは思う。


「お前マジで顔いいな……」

『……ありがとう』

「何聞きたいかわすれ……あ、思い出した!」


 ベルはまったりと首を傾げた。そしてそのまま机に置かれた紅茶と、クッキーを見やる。ある種適当なベルは、いちいち一人漫才をやっているテオドールにツッコミを入れなどしない。


「悪魔と契約しても、精霊はそばに居るのか?」


 ベルはカップに口をつけて、瞬きをした。そのまま液体を口に流し込む。そして、ベルは眉をひそめた。

 紅茶が渋かったのか、あるいは質問の答えに困ったのか、はたまた両方か。テオドールは口にクッキーを放り込んで、そんなことを考えた。


『ん~……普通、よっぽど好いてない限りどこかに行くんじゃない?悪魔に乗っ取られた魂を精霊は嫌うから……』

「……そうか。他にもいろいろと精霊について聞きたいんだが、構わないか?」

『うん、別に。話して困ることは無いし……テオの研究の役に立つなら、いくらでも協力するよ』


 といっても、とベルは付け加えた。紅茶を一気に飲んで、再度顔をしかめる。なるほど、紅茶が相当渋かったらしい、とテオドールはベルに気づかれないよう笑った。


『部屋に戻っってからにしない?人目のある所じゃできない話もあるしさ。たとえば、僕の魔法に関する話……とか』

「あぁ、そうだな。一度戻ろうか」

『ごちそうさまでーす』

「ん」


 テオドールが会計を済ませたのを横目に、ベルは窓の外を見た。相も変わらず窓を激しく打つ雨は、未だ止む兆しを見せない。ベルはふと、視線を下した。遠くに、昇降口で傘を片手に、呆然と空を見上げている、一人の少女の姿が映った。


『……あれ?』

「おい、どうした?いくぞ」

『あ、うん……』


 ベルはもう一度窓の外を見て、先を進むテオドールの背を追った。


(遠めだったからわかりにくかったけど……あの子、アン嬢だよね……?)


 透き通った白の長い髪を緩く巻いて、背筋をピンと伸ばしてたたずんでいる姿は、たしかにベルの記憶の中のアンと一致した。特徴的な赤い瞳はよく見えなかったが、おそらく間違いはないだろう。あまり貴族間の知り合いは多くはないが、アルビノの特徴を持つ人など、一度会えばいくら記憶力が悪かろうと印象に残る。その人が親友の婚約者であるならなおさらだ。


(またなんであんなところに?)


 アンは研究者でも何でもない、ただの令嬢だ。こちらの棟に用があるとすれば、それこそテオドールに会いに来る目的でしかないだろう。

 しかし、とベルは考える。下校時刻はとっくに過ぎている。もしテオドールに用があるなら、もうとっくに訪れていないとおかしい。


『ねぇ、女子寮ってどこにあるっけ?』

「女子寮?入るのか?」

『まさか。さっき、向こうにアン嬢が見えたから。何してるのかなって』

「アンが?」


 テオドールは不思議そうに首を傾げた。


「なんでこんな時間に……」

『うん、だから僕も気になって。雨宿りかと思ったけど、傘も持っていたし』


 テオドールは、首をかしげはしたものの、それ以上何かを考えることはやめたようだった。対して会いに行く気もないらしい。珍しいな、とベルは心の中で独り言ちた。テオドールは相当、アンに懐いている。理由は単に、騎士家の息子でありながら魔法の研究者の道に進もうとしていたテオドールの背中を押したためであろう。


『いいの?放っておいて』

「俺に用があるなら研究室に来るだろ」

『入れ違ったのかもよ?』

「だとしても、な。誰かと待ち合わせしてんのかもしれないし、わざわざ口をはさみに行くことはない」


 ふぅん、とベルは適当な相槌を打った。ベルとてそこまでアンに興味があるわけでもないのだ。


「ところで、話は変わるが」

『うん?』


 テオドールはにやにやしながら振り向いた。ベルは首をかしげて見せる。


「紅茶、どうだった?」


 ベルは苦虫を嚙み潰したような顔をした。基本的に肯定的な意見を口にすることが多いベルのことだ。あまり真っ向から非難するのはためらわれるのだろう。

 少しの沈黙の末、ベルはうなり声をあげた。


『まぁ……二度目はいい、かな……』


 絞りだされたような声に、テオドールは思わず吹き出した。かばえる要素が見当たらなかったらしい。


「あそこまで不味いものを作れるのも才能だな」


 テオドールのあけすけな酷評にベルは頷きはしなかった。しかしまぁ、あらかた賛成だったのだろう、曖昧な笑みがこぼれる。


「口直しに、戻ったらチョコレートでも食べよう」

『ビターならいただくよ』

「俺がビターなんか買うわけないだろう、何年一緒にいるんだ」

『僕が甘いもの苦手なの知ってるでしょ。何年一緒にいるの』


 二人の笑い声が、ほんの少し建物内に反響した。





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