第3話─ヨネの青年、カタコト少女

 ベルの朝は早い。


 朝日が昇るよりも前に目を覚まして、一人で朝食をとる。そして準備を済ませて、ほかの家族が起きてくるよりも前に、家を出る。そうしていつも、他の人よりも早めに、学校に行って本を読んでいた。


 中等部、なんなら初等部の時より身に染み付いた一連の流れは、例え今まで共にそうしてきた姉が居なくなろうとも、変わることは無い。


 今日もベルは、誰よりも早く教室に行って、精霊学の本を読みふけっていた。なんてことは無い、ただの趣味である。


 開けた窓から風が入り込んでくるのを感じながら、ぱらぱらとページをめくる。その時間が、ベルの心を落ち着かせた。


「うわ、それ何語?」


 読み始めてから十分以上の時が過ぎて、ベルは突如頭上から聞こえた声に、動きをとめた。顔を上げると、茶髪のガタイのいい三白眼の青年が、本を覗き込んでいる。

 隣には、ライトブラウンの髪をした小柄な青年が、腕を組んで茶髪の彼を見ていた。糸目に泣きぼくろに眼鏡という、何かと目元に特徴が集まった男だ。

 バルディオ・スクリムジョーとシュベル・トルンカタ。オーキッドの中等部時代の同級生である。


「エルドラーダじゃねえよな?ノルニアーダでもねえし……」


 バルディオは無遠慮に本を覗き込んだ。特に隠す必要のあるものではないものの、どこか気まずくなってそっとベルは本を閉じる。


「え、エスパニャーダ、です」

「えすぱにゃーだ?」

「隣国の言語だヨネ。キミ、留学生だっけ?」


 ベルよりもずっと特徴的な話し方をするシュベルに、ベルは首を横に振った。違和感は、中等部時代には払拭されている。


「けど、エスパルラうまれ、です」

「ああ、なるほどネ!」


 シュベルはにこやかにぽん、と手を叩いた。バルディオは、そんなことはどうでもいいとでも言いたげに、近くにある机に腰掛ける。


「ちょっと、行儀が悪いヨ」

「いいだろ別に。で、なんの本読んでたんだよ?」

「せ、精霊が」


 ベルが全てを言う前に、シュベルが目をキラキラとさせて反応を示した。


「精霊学!素晴らしいネ!キミの名前を聞いてもいいカナ?ボクもそっち方面は詳しいんだヨネ!」


 ぐぐ、と詰め寄るシュベルに、ベルは苦笑いしながら、少し距離をとった。シュベルは、ああ、ゴメンネ、とあっさりベルから離れる。


「つい熱くなっちゃったヨ。驚かせちゃったネ」

「いえ……僕、は、ベル・アルバン、です」

「ベルさんだネ。妖精学が好きな人と会えて嬉しいヨ!あ、ボクタチも自己紹介いるカナ?」

「ぞんじてます。大丈夫、です」

「アレ、緊張してる?」


 シュベルが小さく笑うのに、ベルはこくこくと頷いた。バルディオは不満げに唇を尖らせる。


「え〜!なんでだよ」

「そりゃお前ら、変人貴族どもにいきなり絡まれたらビビるだろ」

「うぉっ!」


 背後からいきなり話しかけられたバルディオは振り返った。テオドールはにやにやしながらおはよ、と言う。


「ビビった!幽霊みたいに現れんなよ!つかなにしに来た!?」

「何しにってそりゃ、噂の美人の顔を拝みに」

「さすが、情報が早いネ」

「昨日案内してもらったからな!職員室まで!」


 何故か自信満々に言うテオドールに、全員が呆れ顔を向けた。


「テオドール、まさかとは思うケド、外部生に案内してもらったノ?」

「方向音痴はなりふり構わないんだ。地図はちゃんと渡したし」

「アノネぇ……」


 シュベルはやれやれと肩を竦めた。テオドールは一切気にしていないようで、カラカラと朗らかに笑っている。


「野うさぎちゃんが土地勘あって助かった」

「……トチカンの問題です、か?」

「違うと思うヨ」

「つか、野うさぎちゃんってなんだよ」


 各々のツッコミに、テオドールは楽しそうに笑っている。まともに対応する気はないようだ。

 同時に、ベルはテオドールが二人と仲が良かったことを思い出した。「変人だけど顔がいいから」というなんともテオドールらしい理由でである。


 もっとも、そうでなくともテオドールたちは二人と関わりを持たざるを得なかったのだが。


 オーキッドもテオドールも、侯爵という国の中でも高い地位にいる。加えて双方共に実績があるため、同い年である第二王子から声がかかっていたのだ。

 それはシュベルやバルディオも同様であった。


 シュベルは現王弟の息子で、とかく知的探究心に長けた男である。話し方にこそ癖はあるが、それは多言語話者であるが故のものだ。そうでなくとも何を考えているかが読めないが、それでも数少ないオーキッドの話し相手だったことも確かだった。エスパニャーダが通じるためである。


 バルディオは宰相である伯爵の息子で、なかなかの好色家だと有名だ。テオドールは観賞用として美男美女を求めているタイプ─それもどうかとオーキッドは思っているが、だとすれば、バルディオはきっちりと手を出すタイプである。宰相の息子だと言うのに、頭は正直いいとは言えない。


 ちなみに、学友の誘いを受けたテオドールの反応は、「やっぱり殿下も面食いですよね?誰が好みなんですか?」である。


「あ、そういえば。キミに頼まれてた資料、持ってきたヨ。今見るカイ?」

「お、ありがとう。そうするよ」

「じゃあ持ってくるヨ。ちょっとまっててネ」


 シュベルがフラフラと鞄にものを取りに行ったのを見て、ベルはテオドールの話していた「悪魔召喚などに詳しい人」というのがシュベルだと言うことに気がついた。なるほど、確かにそういったことにも知識はありそうだ。


「何の話だ?」

「悪魔召喚について知りたいと言われてネ。キミも興味あるのカイ?」

「いや、ねえけど」

「……だと思ったヨ」


 バルディオに呆れ顔を示すシュベルの持つ本を、ベルはじっと見つめた。いかにも、といった禍々しい表紙には、魔法陣が描かれている。

 どこかオカルトじみた本に、果たして信憑性は如何程のものなのか、とベルは目を細めた。


「キミは興味ありそうだネ」

「あ、いえ。なんというか……」

「表紙の胡散臭さったらないな」

「別にオカルト的なことは書かれていないヨ。ただの歴史書だからネ」

「ふぅん……」


 テオドールはシュベルから本を受け取って、ぱらぱらと捲り始めた。


「ま、今日中に読んで返す」

「そんなに早く読み終わるカイ?ゆっくりでいいヨ」

「いいって。どうせ丸一日研究室に引きこもりだ」


 テオドールはそう言って、パチン、と指を鳴らした。一瞬火が散って、辺りが煙に覆われる。


「うおっ!」

「コレ……煙幕、カナ?すごいネ」

「この火を出さないようにするのが難関でな。どうしたものか……」

「どうしたものかって言われても、ボクタチの中に火属性所持者なんかいないからネぇ……」


 バルディオはそう言って頭をかいた。バルディオは雷属性所持者、シュベルは水属性と風属性所持者である。火、風、土、光、闇、毒と属性が存在するが、そのうちの毒以外をテオドールは所持していた。


「火属性所持者の美人かイケメン知らないか?」

「顔にこだわりすぎダヨネ。ベルさんは何の属性を持ってるノカナ?」

「え、あ……持ってない、です。ごめんなさい……」


 ベルはしょんぼりと肩を落とした。二つ以上属性を持っている者もいれば、一つも所持していない者もいる。後者は珍しいために、ベルも己のみしか属性非所持者は見たことがない。

 ベルはこの話を振られるのは、苦手としていた。と、いうのは、フォーサイス家は魔法使いの家系だからである。属性がないといえば、九割八分の人間が同情の目をオーキッドに向けた。その感覚が、オーキッドには心地の悪いものだった。


「あぁ、そういう人もいるよネ。謝ることないヨ。世の中には魔法が使えないから剣技を極めた人だっているしネ」


 シュベルはやさしい笑みでベルに言った。剣技を極めた、というのは、おそらくオーキッドのことだろう。

 そういえば、とベルは懐古する。



 中等部にも、魔法の授業は存在した。上記に述べた通り、属性のないものは学年に一人いるかいないかほどの数しかいない。ゆえに、オーキッドが魔法を使えないからと言って魔法の授業がなくなる、なんてことはなかった。

 その日の授業は、ペアでの練習だった。片方が魔法を打ち、もう片方がチェックする。チェックだけならオーキッドにも可能だったために、例外なく誰かとペアを組む必要があった。その「誰か」がシュベルだった。


 オーキッドは、毎回こういったことがあるたびに、ペアの人に「自分は魔法が使えない」と説明していた。そしてそのたびに、気遣うような目を向けられてきた。酷いときには「え、魔法家系の息子なのに?」と薄ら笑いで言ってくる者もいた。エルドラーダがうまく話せないことも相まって、オーキッドにとっては体育以外の授業は苦痛を感じるものでしかなかった。

 その時も案の定、シュベルはオーキッドに「どっちからしようカ?」と尋ねてきた。中等部生活も後半に差し掛かってきた時だというのに、未だ知らない、あるいは覚えていないのかと思いはしたが、オーキッドはいつもと変わらぬ調子で答えた。そしてまたいつものように、気まずい時間が流れるのを待った。オーキッドには話術で空気を換えられる能力はなかった。


 しかし、シュベルの返した答えは、オーキッドの予想からは大きく外れるものであった。


「あぁ、テオドールクンに全部取られたんだっけ?かわいそうにネ。怒っていいと思うヨ」


 当時のオーキッドの困惑といったらなかった。シュベルの言葉はフォローのようであって、まったくもってフォローではない。言っている内容に加えて、ひどくまじめな顔をしていたものだから、ふざけているのかどうかさえ、オーキッドには判断がつかなかった。

 テオドールに話した結果、返ってきた答えは「ごめんな全部もらっちゃって」である。



 いま改めて考えると、あのオーキッドへの声掛けは善意からくるやさしさだったのだろう。今のベルへの声掛けからしても、少々つかみづらいだけで、いい人ではあるらしい。


 そう考えたベルがぼんやりとシュベルを見上げていると、シュベルが、おもむろに口を開いた。


「まぁアレはバケモノに近いケドね……」


 いや、やはりそうでもないかもしれない。


 ベルはこっそりと頬を膨らませた。それを見たテオドールが、小さく笑う。


 褒 め て ん だ よ


 テオドールの口が動く。ベルは、もう一度、読めない男の顔を見た。シュベルは何も言わないまま、にこにことしている。


バルディオはその様子を横目に見ながら、誰にも聞こえないように舌打ちをした。


「悪魔の子だろ、実際」

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