第2話─違う言語、同じ目的
入学式もクラス分けも無事終えたテオドールとベルは、そのままオーキッドの家へと足を運んだ。厳密に言うなれば足よりも馬車、だろうか。
ベルは帰宅してすぐに、テオドールを自分の部屋に通して、己は化粧を落とし、髪を下ろし、服を着替えた。慣れていないためか時間はかかったが、テオドールは本を読んでいたためにそこまで気にはならなかったらしい。
オーキッドは声もかけずに、机にパンケーキを置いた。帰って直ぐに執事に作らせてくれと頼んだものであった。オーキッドは甘いものを好まないため、テオドール用である。
テオドールは本から顔を上げて、一瞬目を輝かせて、軽く咳払いをした。耳がやや赤く染まっているのを見ると、子どものような反応をしてしまったのが恥ずかしかったのであろう。
オーキッドは微笑ましげにテオドールを見る。
「ありがとう。……で、早速でなんだが」
『うん。ちょっと待ってね。まとめてきたから』
「おお、用意周到」
オーキッドは笑いながら紙をテオドールによこした。テオドールは紙を手に取って、お、と目を丸くする。
「エルドラーダだ」
エルドラーダというのは、オーキッドの住むエルドラルクという国の公用語である。テオドールが先ほどから話している言語もエルドラーダである。
「文法はめちゃくちゃだが」
『僕に文法は期待しないでよ』
対して、オーキッドの話している言語はエスパニャーダという、エルドラルクの隣国、エスパルトの公用語である。エスパルトは精霊の誕生した場所だといわれており、テオドールは耳にしたことはないが、精霊はエスパニャーダで話すらしい。
ではなぜオーキッドがエスパニャーダで話すのかという話だが、オーキッドが精霊の姿を視認でき、精霊に言葉を教わったためである。本人にも不思議でならないのだが、本来の母国語であるエルドラーダは、聞き取れはすれど、書くことも話すこともままならない状態である。
テオドールはパンケーキを一口食べて、紙に目を通し始めた。
「同じく卒業パーティの夜、アマリリス嬢が帰ってこない中、一人の男が家に訪れた。ハルト・ルドベック。第一王子殿下のご学友の一人。彼が伝えてきたのは、姉が第一王子殿下の命令の元、ご学友の騎士、ヒュー・ラプランサス」
オーキッドは頷いた。
「卒業パーティー以前より、第一王子殿下は平民の女の子と恋に落ち、アマリリス嬢を邪魔に思っていた。結果、ありもしないいじめをでっち上げ、パーティで断罪。アマリリス嬢が反論したところを口封じのために刺すよう学友に命令した」
テオドールはそこまで口にして、顔を顰めた。動揺が表情に浮かぶ。
「それはおかしくないか?パーティで断罪、まして殺人なんてことがあったらいくら箝口令があっても隠し通すのは無理だろう。何人目撃者がいると思っている」
『そうなんだよねぇ……ねぇ、テオって現場みたの?』
「あぁ。一応な。とはいえ、遺体は見ていないが」
オーキッドは顎に手を当てて、んー、と声を上げた。
『会場どこだっけ?』
「学長の家だ。行ったことはあるが、構造は説明できない」
『あ、うん。期待してないから大丈夫』
テオドールがちょっとむくれて、そして背もたれに体重をかけて腕を組んだ。
方向音痴なのは自覚はしているものの、いざ期待していないとまで言われると不満らしい。
オーキッドはそんな様子のテオドールをものともせずに、ティーカップに左手を伸ばした。
とはいえ口をつけることもせずに、しばらく紙を眺めて、ひっきりなしにペンを持ったり置いたりしているのを見て、テオドールはパンケーキを一口口に放り込む。
「知りたいことがあるなら調べるが?」
『ベイ第一王子殿下付近と姉上、アン嬢が会場を出たタイミング』
「ベイ殿下は知らないが、アマリリス嬢が会場を出たのはアンよりも前だ。どのくらい前かは分からないが……少なくとも直前まで流れていた曲のどこかで退場したのは確かだぞ」
『社交ダンス?』
「そうじゃないか?」
オーキッドは、天井をぼんやりと眺めながら、社交ダンスねぇ……、とつぶやいた。
もし社交ダンス中にアマリリスが会場を出たのなら、やはりハルトの証言の正確性が薄まる。
『もし、彼のことを信じるなら、王陛下はヒュー卿は咎めているはずだよね』
「そうだな」
『そう思って、僕は彼らにばれないようにもぐりこんだわけだけど』
「あ、それで女装を……」
オーキッドが首を縦に振って答えた。テオドールはなるほどねえ、と言いながら、紙をぼんやりと眺める。
「なんというか、オーキッドは昔からぶっ飛んだ発想するよな」
そうはならないだろ、とテオドールの目が訴えかける。オーキッドはおどけたように肩を竦めてみせた。
『僕、話すの苦手じゃん?』
「そうだな」
『友だちもテオしかいないし。バレないかもと思って』
「そう……そうかぁ?」
テオドールは怪訝そうな顔を見せた。
いくら女装しているとはいっても、見た目が大きく変わったわけではないのだ。ばれないと断言してしまえる要素はないだろう。
そう言いたいのであろうことを察したオーキッドは、笑いながら、後ろに立つ男を指さした。
『まあ正直に言うとトロープに全部任せたら女になってた』
トロープというのは、オーキッドの専属執事である。テオドールがオーキッドの後ろにいるスーツ姿の男に目を向けると、男、もといトロープはピースして見せた。
「むっちゃ可愛ええやろ?テオさん好みに仕上げといたで」
「そこの配慮は全くもっていらないし別に俺の好みでは無い」
「嘘やん!」
トロープは片足を引いて驚きの感情を表情に乗せた。いっそ大袈裟なくらいの反応は、トロープ特有のものなのか、はたまた主の表現方法に影響されたのか。
テオドールの好みでは無い、というのは一部分は本当で一部分は嘘である。テオドールはドがつくほどの面食いであり、その中でも好みの顔がオーキッドの顔だからである。
「まあでも、男ウケは確かに良さそうだよな。今日すごく可愛い子がいるって噂になってたぞ」
オーキッドは幾度かまばたきをした。
『それ僕なの?』
「たどたどしく話すやつを俺はお前しか知らない。留学生今年居ないらしいし」
『気をつけてたのに』
「あれで?」
テオドールは鼻で笑いながら尋ねた。オーキッドがエルドラーダを話せないことについては特に思うところはないらしいが、つくろえていると思っているところは面白いらしい。
オーキッドはぷく、と頬を膨らませてみせる。テオドールは悪かったよ、と軽い謝罪の言葉を入れた。
「まぁ、苦手なのはどうしようもないからな」
『んー……』
オーキッドは視線を落とした。テオドールはパンケーキを口に含んで、オーキッドを見やる。
「話し方も可愛いって評判になってたから、気にしなくていいんじゃないか?キディだとは夢にも思ってない様子だったし。別に伝わるし」
オーキッドは複雑そうな表情を見せた。
『可愛いって、騎士としてどうなんだろう……』
「俺はいいと思うぞ。能ある鷹は爪を隠す、というか、美しい花には刺がある、というか。あと単純に俺が好き」
テオドールの言葉に、オーキッドは嬉しそうに笑った。
『テオが好きならいいや』
「元々キディ口数少ないし、喋るようにしたら本当に分からないと思うぞ。練習するいい機会だな」
「……ひん」
オーキッドの声に、テオドールが吹き出した。ひん?と言いながら大笑いをする。オーキッドはにこにこしながら、紅茶を飲んだ。
『でも、そうだね。テオ以外にも欲しいなぁ』
テオドールは笑うのを止めて、目を泳がせた。
「なにが?」
『ベルが僕だって知ってる人』
「あぁ……お前は誰を考えてるんだ?」
『さっきも言ったけど僕友だちテオしかいないんだよね』
誰が頼れるか分からない、という旨の返答に、テオドールはあっさりとはいよ、と答えた。
「たしかに、他クラスの俺だとどうにも動きにくいしな」
『うーん。休み時間のたびに会いに来そうだからそこはあんまり心配してないけど』
「よくわかったな。お前のクラス美男美女が多いから頻繁に通うぞ」
オーキッドは呆れ顔でテオドールを見た。もう一度言うが、テオドールは筋金入りの面食いである。
『というか、テオって研究者として学園行くわけじゃないんだね?』
「いや、普通に研究室与えられてるし、ほとんどの時間はそっちで過ごすぞ。ただそれはそれとしてホームルームとか体育はクラスの方に参加すると言うだけの話だ」
『ははぁ、なるほど』
テオドールは、んー……と机に伏せた。オーキッドが髪を撫でると、テオドールが気持ちよさそうに目を細める。
『わんこ……』
「なんで犬と形容されるのかよく分からないわん」
『僕に対する日頃の態度かな。というかノリノリじゃん』
テオドールはくく、と笑った。
「自分の身は自分で守れよ、というタイプの番犬」
『役割果たしてよ』
「俺よりお前の方が強いからな」
『いや、僕魔法使えないし。テオの方が強いでしょ』
「何言ってるんですか国一の騎士さん」
『そっちこそ何言ってるんですか世界一の魔法使いさん』
二人して褒めあって、そしてケラケラと笑いあった。
「国一の騎士」「世界一の魔法使い」というのは、何も大袈裟な話ではなく、既に実績として評価されているものである。
「あ、そういえば、お前名前なんだっけ?」
『オキッドですけど?愛称で呼びすぎて本名忘れた?』
「そっちじゃない。女装の方」
『ベル・アルバン』
オーキッドは、紙の空いた部分に「Bell Albarn」と記した。テオドールは、ほーん、と眺める。
「なんて呼べばいい?」
『ベルでいいよ』
「わかった野うさぎって呼ぶな」
『別にいいけどなんで聞いたの?初めからそう呼ぶ気だったよね?』
オーキッドは頭の上にうさぎの耳を模した手を乗せて、ぴょこぴょこと動かした。そしてピタ、と動きを止める。
『あ、そういえばアン嬢が関わってるって何?』
テオドールが胸を押えて、咳き込んだ。オーキッドが目を見開いて、大丈夫?と紅茶を差し出す。
テオドールは首をゆるゆると横に振った。
「ありがとう、大丈夫だ。あいにく、詳しいことは知らないんだ……が、あの人の口ぶり的には、結構な当事者よりなんじゃないかと踏んでる」
テオドールはナプキンで口元を拭って、机に置いた。オーキッドは、頬に人差し指を当てる。肉のついていない頬は特にへこみも見せない。
『悪魔召喚、だっけ』
「さっきも言ったが、俺は悪魔については詳しくないから説明はできないぞ。そういうのを調べるのが好きな男が知り合いにいるから、興味があるなら紹介しようか?」
『うーん……そうだね、お願いしようかな』
テオドールは、ちなみにイケメン、と付け加えた。オーキッドは興味なさげに、ああそう、と返す。
時計の針が進む。
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