第1話─化ける少年、迷う青年
九月一日。入学式の日。
快晴とは言えないような空のもとで、オーキッド・フォーサイス、改めベル・アルバーンは、校門のそばに立って、ぼんやりと、校舎の真正面に植えてある大木を眺めていた。
本来なら、この木をこうして見ることなんてなかったはずだったのに、と、ベルが心の中で呟く。
原則、一部を除いて、貴族の子は高等部に通わなければならない。その限られた一部、というのが、家を継ぐ必要がなく、かつ騎士団、あるいは魔術団への就職が決定している者だ。
オーキッドには兄がいる。父曰く非常に優秀な兄だ。故に、オーキッドが家を継ぐ理由はない。
家を継がないならば経済学など学ばずともなんの問題もない。オーキッド自身、勉学を苦手としていることもあって、後継者争いに参加する気はさらさらなかった。
何より、オーキッドには剣術の才能があった。スカウトされたこともあいまって、ストレート入団しない手はなかったのだ。
オーキッドはやらねばならぬことをさっさと済ませてしまいたい
そのため、高等部に進学する必要は無いどころか、そもそも進む権利さえないに等しかったのである。
また、本人に学校に行き続ける気力がなかったことも、両親が高等部に行かせる気がなかったことも、理由の一つとして存在している。
そんなハナから学校に行く気がなかったオーキッドがこの学園に入ろうと決めた理由はただ一つ。事の真相を探るためだ。
第一王子は今年で三年生。つまり、あと一年はこの学園にいる。ついでに第一王子と恋に落ちたという女も三年だという。当然、きな臭い学友の男も、である。
違和感なく二人に接触できるのは、この一年のみだ。
通常、騎士団は騎士になってしまえば、王族専属騎士として配属されない限り第一王子と接点を持つことは不可能に近い。オーキッドの実力なれば、専属騎士となることは可能ではあったが、本人の希望はホフバ港という、人気は低いが平和で、温かみのある場所の警備だった。オーキッドが権謀術数渦巻く場所を苦手としているから、というのが表向きの理由だ。
本来なら、オーキッドが動かなくてもいい案件である。国に任せれば余程腐っていない限りは真っ当に処理してくれるだろう。よほど腐っていない限りは、だが。
現に真偽はともかくアマリリスを刺したらしいヒューは、侯爵令嬢を国の許可もなしに刺したにも関わらず、未だ謹慎処分さえも食らっていないらしい。もっとも、ベイや例の平民は休学しているらしいが。
しかし現状、アマリリスを殺した犯人は分かっていないということになっている。休学理由も探ったところによると、殺人事件とは関与していなかったためである。
なにより、あの日報告に来た男、ハルト・ルドベックというらしい。彼の証言には不可解な点があまりにも多い。それも、それらはオーキッドでなくとも気付くようなものばかりだ。
誰が真実を語り、誰が真実を隠しているのか。それは現時点でのオーキッドには分かりえなかった。なんせ情報が少なすぎるのだ。ただ一人の証言で犯人を特定できれば、オーキッドも苦労しなかった。
さて、探るにしても、オーキッドがそのまま入学してしまえば、ベイやヒューの元に必ず情報が行くだろう。騎士団入りが確定していた男が、急遽高等部に進学するのだ。不自然なこと極まりない。まして、オーキッドの身内の不幸があった直後なら。
また父にも「いざ謀反だと言われたとしてもオーキッドの味方をする気は無い」と既に宣言されてしまった。オーキッド自身それを気に病む性格ではないのだが、だからといって全く気にしないほど無神経でもない。
故にオーキッドは、名前と性別を変えて、入学することにした。
名前はベル。性はアルバーン。どちらも適当である。いや、意味はあるやもしれないが、それはオーキッドの知るところではなかった。決めたのはすべて、オーキッドの専属執事であるからだ。
性別に関しては偽るのはそう難しくなかった。
オーキッドは一五七センチと、身長は低い方だ。その上オーキッドとしては複雑なものであったが、筋肉も付きにくい体質であったために、女子にしては筋肉質だけれど不自然という程では無い、くらいの体型だったのである。
加えてオーキッドは髪が長かった。肩甲骨の辺りまで伸ばしているプラチナブロンドの髪は、結うのに難くなかった。髪型で人の印象というものはだいぶ変わるもので、普段下ろしている髪を大量のピンで止めてしまえば、もうだいぶオーキッドには見えなくなった―というのは執事の意見であり、本当にそうかといわれると怪しくはあるが。
あとはオマケに過ぎないが、垂れ気味の目をアイラインで猫目にして、顔周りは髪で誤魔化してしまえば、見事な女装の完成である。
これは全て、オーキッド付きの執事によってなされたものであった。完全に執事の趣味が反映されていると感じるのは、恐らくオーキッドの気のせいではないだろう。そもそも髪を伸ばしているのだって、執事の趣味以外に他ならないのである。
もっとも、執事が趣味を反映したからと言って、オーキッドは特に気にもしない。自分の容姿に興味が無い故である。
とはいえ、自分でも見とれてしまうような美人に仕上げた執事の手腕には、思わずオーキッドも感嘆の息を漏らしてしまったのだが。
本来なら理事長にも怪しまれてしかるべきだが、金を積んで黙らせた。オーキッドには、それほどの私財があったからである。それも、全て冒険者ギルドのクエストで稼いだ、きちんとしたオーキッドのお金だ。
こうして、何の問題もなく―というには無理はあるが、ベルの入学手続きは済まされたのである。
問題はここからだ。遅くともこの一年で、オーキッドは全てを終わらせなければならない。一年をすぎてしまえば、重要人物のほとんどが卒業してしまうためである。
けれど、真相を探るには情報も時間も何もかもが足りない。
ベルが思索にふける中、
「なあ、誰かと待ち合わせ中か?」
丸めの輪郭に、垂れ目で、丸めの鼻。幼さを感じさせる顔のわりには、背も高く、声もよく通るような、それでいて少し低めの声をした彼は、初対面にしてはあまりにもフランクすぎるやつとも取られかねない口調で、ベルに話しかけた。
ベルはこの人物に見覚えがあった。
テオドール・ヘルキャット。オーキッドの初等部に入る以前からの友人である、見覚えがあるどころでは無い、オーキッドがまずコンタクトを取りたいと望む人物であった。
テオドールは魔法学者で、中等部時代に論文を書き上げた、いわゆる天才と言われる人物である。頭はいいが鼻につかず、コミュニーケーション能力も高いため、人脈もあり、とかくオーキッドとは正反対の人物だ。
しかし、何の因果か、オーキッドもテオドールも、お互いを「親友」やら「相棒」やらと、なにかと特別視していた。
一番信頼出来る相棒。だからこそ、真っ先に頼るつもりでいた。
テオドールを引っ掛けるつもりで校門前に立っていたわけではなかったものの、これ幸いとベルはにこやかに微笑んだ。
『あ、テオ。やっほー』
ベルは声の大きさと高さを落として、そう言った。言語は、二人のそばを通る者たちとは違う。にもかかわらず、そう話すことが「当たり前」であるかのように、ベルはテオドールに挨拶をした。
テオドールは面食らったように、何度か瞬きをする。
「やっ……ほー……?」
首をかしげながら、恐る恐るといった具合で返したテオドールに、ベルは思わず喉を震わせた。テオドールはわかりやすく狼狽して、ベルを上から下までまじまじと見る。
「お前……そんな趣味あったのか。あ、いや、人それぞれだもんな。うん」
『あ、なんか今テオにとんでもない誤解されている気がする』
真顔で言ったオーキッドに、今度はテオドールが口角を上げた。冗談冗談、と手をひらりと振る。そして、真剣な表情で、ベルの耳元に唇を寄せた。
「アマリリス嬢絡みか?」
テオドールはベルが頷いたことを確認した。安堵したような、心配したような、そんな曖昧な表情を浮かべる。
「そうか……いや、でも思ったより元気そうでよかった。便りが何も無いから心配してたんだ」
テオドールがそう言うと、オーキッドは眉を八の字にした。
『ごめんね。葬式と入学手続きでバタバタしてたものだから』
アマリリスの葬儀は、身内のみで行われた。しかし身内のみとはいえ急なこと、また亡くなった場所も場所だったので、色々と奔走する羽目になったのだ。母がショックで寝込んでしまったことも、要因の一つであろう。
その上、入学直前に急遽進学することを決めたものだから、オーキッドが一人で色々とやるにはあまりにも時間が無さすぎた。協力してくれる者が従者一人しかいなかったこともまた、オーキッドの忙しさに拍車をかけた。
「あぁ、いや、大丈夫だ。気にしないでくれ。俺も俺でちょっと忙しくてな、キディが知っているかは分からないんだが……」
テオドールは辺りを見渡した。周りに人がいないことを確認すると、やや下を向いて、ベルに目線を向ける。
「アマリリス嬢の遺体があった近くに、悪魔召喚が行われた痕跡が見つかった」
『……え?』
ベルは、思わず声を作ることも忘れて、聞き返した。悪魔召喚は、全世界でタブーだとされている。その程度の知識しかオーキッドにはなかったが、少なくとも良い知らせではないことだけは確かだった。
「俺はあいにくその辺の知識はないから、詳しい事情はよく分からないんだが……どうにも、これがかかわっているらしくてな」
テオドールは、そう言って小指を立てた。テオドールには、アン・テレジアという婚約者がいる。彼女のことを指しているであろうことは、オーキッドにも見当がついた。
アンは、アマリリスと一番仲が良かった。テオドールとの仲も良好だというのは有名な話だ。
テオドールは目を伏せた。関係している、というのが、どの程度のものなのコアは、テオドールにもわかっていないらしい。しかし、どうやら考えうる上で最悪の関わり方をしていると予測しているのであろう。
ベルはしばらくテオドールを見つめて、校舎に向かって歩き始める。
『行こう』
テオドールは立ち止まったまま、歩みを進めるベルを見つめた。
ベルは途中で止まって、目線のみをテオドールに寄越す。
『紅茶は好き?』
テオドールは、はっと目を見開いて、嬉しそうに小さく笑った。
「ああ、もちろん」
返事を聞いたベルは、薄く笑みを湛えた。再び歩き始めたベルの背を、テオドールが追う。
「あ、ところでひとつ相談があるんだが」
先程の雰囲気とは打って変わって、やや明るい調子でテオドールが言った。ベルはため息をつきながら、テオドールを見やる。
『どこに行きたいの』
要件を伝えるより前にベルが発した声に、テオドールは驚きを見せることはしなかった。カバンから地図を出して、ある場所を指さす。
「職員室」
ベルは地図を呆然と見てから、テオドールを上目遣いで見た。その瞳には呆れの感情が映る。
『なんのために地図が存在すると思ってるのかな、テオドー君』
テオドールは口端を上げて、ベルと目を合わせた。地図をベルに握らせる。ベルの目線が地図に移った。
「方向音痴は地図が読めないんだ」
ベルは再び冷めた目で、テオドールを見つめた。
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