鈴蘭蕾が落ちる刻

干月

プロローグ

 今日、女が一人死んだらしい。


 死んだ女の名を聞いて、オーキッド・フォーサイスは力が抜けそうになった。

 手のひらに爪を立てて、痛みで必死に堪えはしたが、膝は笑い、口からは息が漏れ出た。ライトブルーの瞳は、瞳孔が開いているのがはっきりとわかるほどに見開かれている。

 それほどまでに、オーキッドは目の前の男が口にした事実を信じられないでいた。


「は……い?」


 声を発したのは、誰だったか。少なくとも、オーキッドではないことは確かだった。普段のオーキッドの声よりも、ずっとずっと、低かったためである。その声が、拍子抜けしたようなものであったにもかかわらず。


「すまない」


 目の前の男は深く頭を下げた。乾いた笑い声が、オーキッドの口から漏れ出た。

 この男は、何をもってして謝罪の言葉を口にしているのだろう。まさか、自分が殺したとは言うまいな。

 そんな感情が渦巻けど、オーキッドは何も言葉を口にしない。口にしたところで、層にもならないことは、これまでの人生経験から理解していた。


「どうして、アマリリスは?」


 オーキッドの七つ上の兄、カーネルが声を振り絞るようにして、男に問うた。

 アマリリスは、オーキッドの二つ上の姉であった。

 なぜ、主の父ではなく、兄が会話の主導権を握っているのか。オーキッドは、表情一つ変えずにいる父の顔を、訝しげに一瞥した。父、オベリスはいつだって、後継者であるカーネルにしか興味はなかった。


 男はそんなオーキッドの思考などに気づきもしないで、頭を下げたまま、苦しそうに口を開く。

 もうだいぶ正気を取り戻したオーキッドは、一人紅茶をたしなんだ。味などしない紅茶に、ひそかに眉を顰める。味が薄いわけではない。ただ、オーキッドが味を感じられなかった。


「話をすると、長くなるのですが」


 男は、重々しい切り口で、事の次第を語り始めた。青ざめた母、イベリスの背をさするイベリスの専属メイドは、空になったオーキッドのティーカップには目もくれない。

 オーキッドは、自分でカップにお気に入りの紅茶をなみなみに注いだ。



 男の話を聞き終わったあと、どうにも言い表しがたい感情がオーキッドの胸を占領した。


 アマリリスはどうやら、アマリリスの婚約者に殺されたらしい。厳密に言うと、婚約者のご学友、だろうか。この男はそのご学友を「ヒュー」と呼んでいた。

 アマリリスの婚約者は国の第一王子だった。望んでの婚約ではない。王家と父が無理やり結んだ婚約だ。もっと簡単にいうなれば、政略結婚だ。アマリリスや第一王子に恋愛感情やそれに近いものがあったかというと、少し微妙なところがある、というのが、オーキッドから見た二人の関係性である。


 概要はこうだ。アマリリスと第一王子であるベイ・フェルエーヌが入学した学園で、ベイは一人の平民の娘と出会い、恋に落ちた。しかし娘と結ばれるにはアマリリスは邪魔だと思ったベイは、アマリリスを排除しようと目論んだ。そしてアマリリスが娘をいじめたとでっち上げ、多くの人が参加する卒業パーティにて断罪を開始。当然心当たりのないアマリリスは反論、口封じも含めて、王族に逆らうのかと、アマリリスは殺された。ベイの命令を受けた、ヒューによって。なんでも、ヒューは騎士志望らしい。


 この男は、ベイのもう一人の学友で、ずっとベイを咎めてきていたという。最後にこうなってしまったことを、悔やんで謝りに来たのだ、と。


 どうにもきな臭い話だ、とオーキッドは目を細めた。


 王子がやるにしては、あまりにもその計画は杜撰で、目立ちすぎる。それも人前で、目撃者が大量にいる中で断罪など、嘘がバレた時自らの立場が危うくなるのは確実だ。


 この男は、信用するに足らない。


 そう判断したオーキッドは、男が帰ったあと、今にも泡を吹いて倒れそうなイベリスを放置して部屋に戻ろうとするオベリスの背に声をかけた。


「父上。一つ」

「……なんだ。忙しいんだ。簡潔に済ませろ」

「学園に行って……探っても?」


 オベリスがオーキッドの目を見据えた。オーキッドは逸らすことなく見つめ返す。

 数秒ほどそうした後、オベリスがやや面倒そうな顔をして、オーキッドに背を向けた。


「好きにしろ」

「ありがとうございます」

「ただし、お前単独での行動だ。俺は関与しないからな」

「……もちろん」


 オーキッドは、イベリスを支えるメイドを見た。そして静かに、ため息をついて、首を横に振った。


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