仏説サウナー経
唯野水菜
仏説サウナー経
こんな話を私は聞いたことがあります。
あるところに「サウナ
ある時、サ仏さまは神奈川県南足柄市の夕日の滝に、沢山の数のサウナ行者のお弟子さんたちを引き連れてやってきたことがありました。いちいち名前を挙げることはしませんが、「聖地」と崇められる有名サウナの経営者から、当代随一の熱波師、著名サウナブロガー、インフルエンサー、一千人規模のサウナフェスを運営するオーガナイザー……お弟子さんたちの顔ぶれたるや、それはそれは、錚々たる顔ぶれだったそうです。
お弟子さんの一人に安藤安子さんという熱心なサウナ愛好家の方がおられました。安子さんの目には、今日のサ仏さまの顔はいつにも増して輝いているように見えました。まだサウナ上がりのオロポをキメた訳でもチルアウトをキメた訳でもないのに、どうして? 気になって尋ねてみました。「今日のサ仏さまのお顔は、いつにも増してととのっているかのようなお顔なんですが、何か良いことがあったのでしょうか」と。
「そうだなぁ」サ仏さまはボソッとそうつぶやいて「それは、あなたの目でそう見えたのかな。それとも他の弟子が言えと唆してのことかい」
「滅相もございません。私の目で見た、確かな感想です」安子さんは答えました。
「ふむ、そう見えたのなら、あなたは中々見どころがある。よろしい、一つこんな話をしよう」
それはそれは、遥か昔。まだ上野には北欧がなく、まだ笹塚にはマルシンスパがなかった頃のことだ。もちろん、しきじも湯らっくすもない。
一同はどよめき出しました。そんな遥か昔に、サウナで悟りを開いた行者がいるはずないではないか、と。
それほどの遥か昔にだ、いつでもどこでも自由自在にととのえるお方がいらっしゃった(仮に「ととのい自在仏」と呼ぼう)。そのお方はサウナを知らずとも既に、ととのいが何であるかをよく理解し、ととのいの素晴らしさを身をもって示していた方であった。
とある修行者がいた。修行者は元々善い政治家だったのだが、どんどん悪くなる世の中に絶望して、国会議員を辞めて後は四国を遍路するなどして放浪の修行旅を続けていたのであった。その方が、旅の途中でととのい自在仏さまに出会った。出会って話を聞くや、途端にその修行者は分かってしまった。自分のやっている「修行」とやらは、ととのいの極意とは何の関係も無い、無駄とは言わずともあまりにも回り道な方法であった、と。
その修行者はとても頭がよく、フットワークも軽いので、ととのい自在仏さまの行くところならどこまでもついていき、何度も教えを請うた。どうやったら自由自在に、いつでもどこでもととのうことができますか。
ある時、ととのい自在仏はこれまでにないととのいを経験したかのような、キラキラした顔をしていた。安子さん、そう、あなたのように、その修行者は尋ねたのだ。どうしてそんなにキラキラした顔をしているのですか。何か素晴らしい極意を悟ったのなら、それを私に教えていただけないでしょうか、と。
ととのい自在仏は、微笑を以て応えた後、意外な答えを修行者に告げた。
「それをもう、君はわかっているはずだよ」
「何をおっしゃるのですか!」修行者は食い下がった。「真のととのいの境地は、まだ私には遠くてございます! 私は、自分だけでなく、あらゆる人が、いつでも、どこでも、ととのえるような世の中にしたいのです!」
「そうか、ふむ」ととのい自在仏は少し考えた後、おもむろに言った。「そしたら、私と世界中を旅しよう」
そうして、修行者はととのい自在仏と共に世界のあらゆるサウナを巡った。フィンランドのサウナは言うまでもなく、ドイツのバーデンバーデン、トルコのハマム、タイの薬草サウナ……。そのどれもが気持ちよく、そのどれもが至高のととのいへと導いてくれた。だが、修行者が納得するような「究極のととのい」ではなかった。何万セット、いや何億セットサウナに入り続けたかはわからない。あらゆるサウナを巡り旅を続けながら、気の遠くなるほどの長い間修行者は考え続けた。究極のととのいとは、何か。
そして長い年月を経て、ついに、修行者の顔に明るい光が差す日が訪れた。早速、修行者は師であるととのい自在仏の元に駆け込み、「師匠、私の願いを聞いていただけないでしょうか」と早口で言った。
「いいでしょう。機は熟した。その願い、話してみなさい」
1.私がととのう時、そこに戦争や貧困、暴力や差別がありませんように。
2.私がととのう時、そこでは老若男女あらゆる年齢・性別・人種の人がととのってますように。
3.私がととのう時、他のあらゆる人の五感もまた研ぎ澄まされてありますように。
4.私がととのう時、他のあらゆる人の霊的感性もまた研ぎ澄まされてありますように。
5.私がととのう時、他のあらゆる人も大自然・宇宙と一体になっている感覚を味わっていますように。
6.私がととのう時、サ室は適度に清掃が行き届いて浄らかでありますように。
7.私がととのう時、サウナマットは適度に交換されて浄らかでありますように。
8.私がととのう時、サ室は90度以上でありますように。
9.私がととのう時、水風呂は20度以下、なるたけキンキンに冷えてますように。
10.私がととのう時、ととのい椅子が埋まっているなんてことがありませんように。
11.私がととのう時、サ室に長い行列が出来ていることがありませんように。
12.私がととのう時、サ室に人がギチギチで心なしか部屋全体の温度がぬるくなってるなんてことがありませんように。
13.私がととのう時、サ室内では黙浴がキチンと守られますように。
14.私がととのう時、かけず小僧その他マナーを守らない輩がいませんように。
15.私がととのう時、サウナハット掛けにサウナハットを掛けっぱなしにしてそのまま忘れて帰るなんてことがありませんように。
16.私がととのう時、あらゆる人にとってサウナにいる時間が自分を見つめる時間でありますように。
17.私がととのう時、あらゆる人にとってサウナにいる時間だけは嫌なことを考えなくて済む時間でありますように。
18.私がととのう時、あらゆる人にとってサウナにいる時間は呼吸に集中できる時間でありますように。
……
さて、この後も修行者は沢山願を建てる。その数全部で二十四とも、四十八とも呼ばれているが、一番大事なのは十八願、つまり、呼吸に集中することだ。
呼吸に集中すれば、自ずからサウナの熱気を存分に身体に取り込み味わうことができるし、その後の水風呂・休憩においては大自然との一体感を味わうことができる。呼吸に集中せよ。さすればサウナと一体になることができる。出る息、吸う息ごとに嫌な気持ちを吐き出し、プラスのエネルギーを吸い込むように専念しなさい。さすればどんなサウナであっても、必ず一つはいいところが見つかるはずだ。
サ仏さまはそう弟子たちに伝えると、やおら立ち上がって滝壺を眺めながら、高らかに宣言した。
「今のわしに、サウナは必要ない!」
そして、大きく深く深呼吸したかと思うと、どぼーん、と滝目掛けて飛び込んだ。「うー、冷てぇ!」と大層気持ちよさそうに泳ぎ回るサ仏さまを傍目に見ながら、弟子たちは滝のそばに設置されているテントサウナでしっかり汗を流したという。
仏説サウナー経 唯野水菜 @non_shikane
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます