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 ◇


 ―三田邸―


「あの時の女子高生が木谷正さんの義理の娘さんで、昂幸さんの恋人なんですね。あのカフェで私は木谷さんに万年筆を返すべきでした」


「美波さん、私達の力だけでは昏睡状態の二人を現世には戻せません。お願いですから、ゲームの内容を変更しないで下さい。ハッピーエンドの選択肢をなくさないで下さい。そしてその赤い薔薇が描かれた万年筆を木谷正さんに返してあげて下さい」


「……全てはあの交通事故とこの万年筆が拘わっていたと、中西さんご夫妻は仰るのね」


「そうです。転移や転生なんて信じられないとは思いますが、私だって真実はわからない。美波さんお願いします」


 三田正史が美波を説得する。


「美波、私には信じられないけれど、中西修さんは異世界に転移したと仰られている。美梨さんもそう仰っている。美波の仕事に口を出すことは今までしなかったが、中西ご夫妻の言われる通り、もうゲームは完成しているのなら、わざわざゲーム制作会社に変更させバッドエンドにする必要はないだろう。現実世界もゲームの世界もハッピーエンドが一番だよ」


「……正史さんは私を許してくれるの? 中西さんも私を許してくれるの?」


「はい。できるだけ早くラストまでゲームを公開するように、ゲーム制作会社の編集者に伝えていただけますか?」


「わかりました。私が変更案を出さなければ、ゲームはもう完成しているのですぐに公開するように伝えます。それとこれは木谷正さんが目覚められたら、お返し下さい。長い間お借りして申し訳ありませんでした」


「美波さんありがとうございます。でも作家はもういいのですか?」


「私は作家を引退しません。今後は自分の力で続けていきます。先ずは……探偵など雇わず、プロットからですけどね。私の作品が中西さんや木谷さん達の人生を狂わせていたなら、どんなに謝罪しても取り返しはつきません」


 泣きながら謝罪する美波を、三田正史が優しく肩を抱いた。美梨は赤い薔薇が描かれた万年筆を受け取り、赤いハンカチーフに丁寧に包んでバッグに収めた。


「三田さん、本日はお忙しい中ありがとうございました。どうか昂幸のことを宜しくお願いします」


「中西さん、あなた達の大切な息子さんを奪った形となり、本当に申し訳ありません。でも三田ホールディングスには昂幸の力が必要なのです。昂幸が『幸せだ』と言ってくれるように、私達夫婦が責任を持って見守っていきます。滝川亜子さんをどうか目覚めさせてあげて下さい。宜しくお願いします」


「はい。必ず二人を現世に戻します。美梨、これで失礼しよう。本日はありがとうございました」


「正史さん、本日はありがとうございました。昂幸を宜しくお願いします。迷惑をかけることがあれば叱りつけて下さい。正史さんも主人も昂幸の父親なのですから。それではお騒がせして申し訳ありません」


「こちらこそ、美波が迷惑をかけ本当に申し訳なかった。夫としてお詫び申し上げます。美梨さん、中西さん、私を昂幸の父親だと認めてくれてありがとうございます。どうか、お元気で」


「はい。それでは失礼します」


 修と美梨は三田邸をあとにした。あとは乙女ゲームがラストまで公開され、木谷と亜子を現世に戻すことと、現世に戻ったら、木谷に赤い薔薇が描かれた万年筆を返すだけだ。


 ◇


 ―そして、十月―


 修と美梨が待ちに待った乙女ゲームのシリーズ完結が公開された。二人は早速ゲームを開始する。二人を戻すには先ずは『事故で現世に戻る』を選択するしかない。そのあと、タルマンとルリアンはゲームの世界から一瞬消えて消息不明となるが、ハッピーエンドになるなら、必ず発見されトーマス王太子殿下やナターリアと感動の再会を果たすはずだ。


 ――そして……。

 『事故で現世に戻る』を選択した直後、木谷亜也子から電話があり、二人が目覚めたと連絡があった。


 修と美梨はゲームを途中でやめて、木谷と亜子が入院している病院に向かった。


 ―病院待合室―


 木谷と亜子はすでに精密検査を終え、待合室で修と美梨の到着を待っていた。


「木谷さん! 亜子さん! お帰りなさい!」


 修の『退院おめでとうございます』ではなく『お帰りなさい』という言葉に、周囲にいた看護師は驚きを隠せない。


「秋山さん! いえ、今は中西さんなんですよね。本当にありがとうございました。亜也子から聞きました。現世に戻れたのはお二人のおかげだと」


「本当によかったです。嬉しくて涙がでちゃう。木谷さんに渡したいものがあります。三田美波さんよりお母様の遺品を返していただきました」


「母の……遺品……」


 美梨はバッグから赤いハンカチーフに包まれた赤い薔薇が描かれた万年筆を手渡した。

 

「あの方がよく返してくれましたね。ありがとうございます。本当にありがとうございます」


 木谷と挨拶を交わしていると、美梨の秘書が姿を現す。田中ローザは数日前自転車に乗っていてバイクと接触事故をし脳振盪を起こし、念のために数日検査入院していたのだ。


「田中さん、もう大丈夫? 大変だったわね」


「奥様、ご主人様にもご心配をおかけしました。木谷さんも亜子さんも昏睡状態からお目覚めになられ、本当によかったです」


 田中は目を細め五人を見つめた。


「木谷さん、亜也子さん、亜子さん、是非我が家にお越し下さい。退院祝いをしましょう。田中さんもね。昂幸も仕事を終えたら我が家に立ち寄る予定です」


「中西さんありがとうございます。じゃあ、亜也子、亜子、お言葉に甘えようか。積もる話もありますし、昂幸さんとは今後の話もありますので。なあ、亜子」


「やだ。お義父さんったら。先走らないでよ。昂幸さんは何も知らないんだから。いいわね」


「わかってるよ。あはははっ」


 六人は中西家の二台の外車に分乗し、邸宅に向かった。

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