82

「申し訳ありません。この世界はちゃんと存在しているので、『描いた』という表現は誤りですね。この万年筆は母が転生した時に自分で持ってきたのかもしれません。母はこの世界で若い娘となり、ダイヤモンド公爵様に見初められ、メイサ妃のお母様を出産し、メイサ妃という美しい孫にも恵まれ、第二の人生を幸せに終えることができました。本当にありがとうございました」


 こんな非現実的な話をメイサ妃もレイモンド氏も信じないだろうとルリアンは思っていたが、メイサ妃は何の疑いも持たなかった。


「私もレイモンドも何度も不思議な体験を致しました。だからキダニさん……いえトルマリン様の話を全て信じます。この万年筆をお墓に収めたら、もうあなた達が現世とやらから、この異世界に転移することはないのですね? 現世とやらでもう一人のレイモンドはミリや家族と幸せに暮らしていますか?」


「はい。でもトーマス王太子殿下のようにタカ坊は義父の家に行っていますが、幸せに暮らしています。私も現世に戻り、母の万年筆の持ち主に遺品を返してもらうつもりです。それを日本の墓に収めます。そうすればこのようなことは二度と起こらないでしょう」


「それではもう……本当にこれでお別れなのですね」


「はい。メイサ妃、レイモンドさん、お名残惜しいですが、これにてお別れです。今回はルリアンも転移しているので、現世に連れて帰ります。必ずパープル王国の病院か何処かに身元不明者として入院することになるでしょう。ルリアンはトーマス王太子殿下に真実を話せませんでした。トーマス王太子殿下が不安になられないように、宜しくお力添え下さい」


「わかりました。メトロお祖母様のお墓に万年筆を収めることは、ダイヤモンド公爵家の親族の許可は得ています。トルマリン様、こちらへ……」


 タルマンとルリアンはローザが用意してくれていた花束をメトロ・ダイヤモンド公爵夫人のお墓に供え、両手を合わせた。メイサ妃から渡された園芸用の小さなスコップで墓の前に小さな穴を掘り、紫色のハンカチーフに包まれた赤い薔薇が描かれた万年筆を土の中に収め、上から土を被せた。


「……母さん。やはりメトロ様は母さんだったんだね。ただしだよ。母さんの息子は現世で、もうおじさんになってしまったが、今は妻もいて、ほら、こんなに美しい義娘までいるんだ。彼女は亜子あこだよ。だから何も心配いらない。私はもう幼子ではないんだ。どうか安らかに眠って欲しい」


 その時、土の中でパープルの光が放った。それはとても幻想的な光景だった。その光はまるでオーロラのように幾重にも光彩が重なり上空に上がっていき、しばらくゆらゆらと揺れていたがそのうち墓苑の青空を隠すほど周囲に広がった。


 メイサ妃は幻想的な空を見上げ、小さな声で呟いた。


「メトロお祖母様……。さあ、トルマリン様、ルリアン様、もうお行きなさい。きっとメトロお祖母様が二人を現世に導いて下さいます。ルリアン様、現世に戻っても幸せになって下さいね」


 メイサ妃はルリアンをギュッと抱き締めた。タルマンはレイモンドと強く握手を交わした。


「メイサ妃、レイモンドさん、私達はもう出立します。あれ? ローザさんは?」


「ローザ? おや、どこへ? もしかしたらもう公用車かもしれません。ああ見えてローザは情に脆いのです。きっとお二人との別れが辛いのでしょう。お二人はあのタクシーで行かれるのでしょう。ローザは公用車で見送るつもりなのでしょう。それではお元気で」


「メイサ妃もレイモンド様も末永くお幸せに。ユートピア様にも宜しくお伝え下さい。それでは……皆様さようなら」


 タルマンとルリアンは、メイサ妃とレイモンドに深々と頭を下げ個人タクシーに乗り込んだ。


 運転席にはタルマンが座り、エンジンをかけてハンドルを握る。助手席にはルリアンが乗り込んだ。二人はルームミラー越しに公用車を見つめお辞儀をした。公用車に乗っているローザは目視できなかったが、ローザに手を振り別れを告げた。


「ルリアン、覚悟はいいな」


「義父さん、やだ緊張してきた。ヘマしないでね。一人だけ現世に戻るとか、事故死しちゃうとか、今度ばかりはナシだからね」


「わかってるよ。メトロ様が導いて下さる。さあ、帰ろう! 私達の世界へ!」


 タルマンはアクセルを思いきり踏み込んだ。墓苑を出て郊外の山道を猛スピードで飛ばす。目の前に巨大な岩が見えた。


「きゃああああ! 義父さん! 義父さん!岩にぶつかるぶつかる! あれはさすがにムリでしょ! 岩は……タクシーが大破して死んじゃうよ! いやあああーー……」


 ガシャーンと大きな音がして、巨大な岩に正面衝突したタクシー。モクモクと上がる黒煙。衝撃の凄まじさから、ボンネットは大破し、トランクは開いていた。数メートルあとを走っていた公用車の運転手がすぐさま運転席から降り、レッドローズ王国の警察に自動車事故が発生したと連絡した。


 いつの間にかオーロラのように幾重にも光彩が重なり上空に上がっていたパープルの光は消えていた。


『こちらは救命救急ダイヤルです。自動車事故ですか? 場所は? 要救助者は何名ですか?』


 公用車の運転手は恐る恐るタクシーに近付く。タクシーは大破しているが、人影はない。公用車の運転手は震える声で警察に告げた。


「要救助者は……消えました」


 ――大破したタクシーの中には、乗車していたはずの人物は誰一人発見されなかった。


 この悲しい自動車事故は、レッドローズ王国のみならず、パープル王国にも直ぐに伝えられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る