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 ―早朝六時―


 高級な食卓テーブルの上には、いつもと変わらない粗末な朝食。ナターリアが用意したパンと牛乳と目玉焼き。それでもタルマンもルリアンもナターリアも幸せそうに食べている。


 明日からはナターリアの世話はルル・アクアマロンがしてくれるだろう。この邸宅の奥様として何不自由なく暮らせるのだ。


 レッドローズ王国に出立するタルマンもルリアンも不安はなかった。全てナターリアに話したからだ。


 それでもいざ出立の時間になると、気丈に振る舞うナターリアとは対照的にタルマンもルリアンも涙が止まらなくなった。


「父さん、ルリアン、最後は笑顔でお別れしましょう。ほら、ルリアン、泣かないで。父さんも笑って」


 ハンカチを差し出すナターリアは口元に笑みを浮かべながらも、ポロポロと涙を溢した。


「ナターリア……。ルリアン、一人で行ってくれ。私はやはりナターリアを一人にはできない。ここに残る」


 タルマンはナターリアを抱き締めたまま離れない。


「私だって……そうしたいわ。義父さんは狡いよ、一人だけ狡い」


 ナターリアはタルマンの腕を振りほどく。


「父さん、行って下さい。私は必ず本当のタルマンとルリアンを捜しますから。ほら、早く行きなさい。現世とやらに奥様が待っているのでしょう」


 弱いイメージしかなかったナターリアが、ルリアンの目にはとても強い女性に映った。


「さあ、お二人ともレッドローズ王国に参りましょう。メトロ・ダイヤモンド公爵夫人のお墓でメイサ妃とご主人様レイモンドがお待ちです。ナターリアさん、交通事故のニュースが報道されても、心配無用ですからね。タルマン・トルマリンもルリアン・トルマリンも死んだりはしません」


「はい。ローザさんを信じています。だからさよならは言いません。父さん、ルリアン、行ってらっしゃい」


 タルマンもルリアンも観念したように頷いた。


「ナターリア、行ってくるよ」


「母さん、行ってきます」


 先導する公用車にローザとルリアンが乗り込み、タルマンは個人タクシーのハンドルを握りそのあとに続く。


 二台の車が正門を出たあと、気丈に振る舞っていたナターリアはその場に泣き崩れた。ルル・アクアマロンは優しくナターリアの肩を抱いた。


「奥様、私はローザさんから過去から現在にいたるまでの全ての出来事を聞いております。これは国王陛下にもマリリン王妃にもトーマス王太子殿下にも極秘情報だと伺っております。王室にも他の方々にもご内密にお願い致します」


「わかりました。アクアマロンさん、主人とルリアンの留守中のこと、宜しくお願いしますね。王室への対応も宜しくお願いします。私は口が軽いので、貝のようにバカッと口を開くかもしれませんから」


 ナターリアは強がってジョークを言い、ルルに笑顔をみせた。


「奥様、私はローザさんの直属の部下です。全てお任せ下さい」


「直属の部下? ああ、ローザさんは秘書室長ですからね。これは頼もしいですね。王宮の調理場で働いていたので料理は得意です。気晴らしになるので、料理は私にも作らせて下さい」


「はい、奥様。ルリアン様がお戻りになられるまで、このルル・アクアマロンを娘だと思って甘えて下さいませ」


「ありがとう……。本当にありがとう……」


 ルル・アクアマロンは凛とした佇まいで、ナターリアに寄り添った。


 ◇


 ―レッドローズ王国・郊外の墓苑―


 ダイヤモンド公爵家の墓、メイサ妃のお祖父様であるスノー・ダイヤモンド公爵とお祖母様であるメトロ・ダイヤモンド公爵夫人の墓は並んであった。


 ローザとルリアンを乗せた公用車とタルマンの運転する個人タクシーは墓苑の駐車場に停車した。すでにサファイヤ公爵家の公用車は停まっていて、メイサ妃とレイモンドは二人でお墓に花を手向けていた。


「メイサ妃、ご主人様、遅くなり申し訳ありません。タルマン・トルマリン様とトーマス王太子殿下と婚約が決まりましたルリアン・トルマリン様を連れて参りました」


「これはトルマリン様、ルリアン様、このたびはおめでとうございます」


「ありがとうございます。あの……ローザさんから話は聞かれていると思われますが、本日はメトロ様が愛用されていた赤い薔薇が描かれた万年筆を持参致しました」


 ルリアンは紫色のハンカチーフに包まれた赤い薔薇が描かれた万年筆をメイサ妃に差し出した。


「私も不思議な体験をした当事者です。トルマリン様やルリアン様の話を信じています。メトロお祖母様はキダニさんのお母様でこの世界に転生されたとローザから伺いました。この赤い薔薇が描かれた万年筆が全ての始まりだったのですね」


「このような話を信じて下さるのですか。この万年筆のイニシャルMはキダニマサコのMなんです。現世に二本しかなく、一本は母が事故死をした時に葬儀で納棺しました。もう一本の持ち主もわかっています。その人物がこの異世界に、この万年筆を描いたのです」


「……描いた?」

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