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引っ越しの荷物は僅か段ボール四箱分。荷物を室内に入れると、すでに深夜一時を過ぎていた。
「父さんもルリアンもローザさんも早朝よりレッドローズ王国に向かうのでしょう。眠る時間は僅かしかないわ。ローザさんもルルさんもジョイマンさんも皆さんは休んで下さい」
「母さんは寝ないの? 今日は疲れたでしょう」
「こんな立派な邸宅を国王陛下より与えられて、興奮して眠れそうにないから、荷ほどきして整理するわ。母さんに気兼ねせず、皆さんは寝て下さい。出立前に私が朝食を作ります。今朝だけは私に朝食を作らせて下さい」
「ナターリア……。それより話があるんだ。とても大切な話なんだ。そのあと親子三人で川の字で手を繋いで仮眠しないか?」
ナターリアは思わず荷ほどきの手を止めた。
「タルマン……。わかってます。最近のあなたはまた以前のように、異国の諺を話すようになったし大声で笑うようになりました。昨日の会食ではまるで別人のようでした。でも……私の知っているもう一人のタルマンでした。ルリアン……覚えてる? 以前、ルリアンと話したこと」
「母さん……」
「ルリアンが『義父さんは何度も昏睡状態に陥っているのに、まるで不死鳥のように蘇るから不思議だよね』って話したよね。父さんは『不死鳥? そんなにかっこいいか?』と答えたわ。母さんはそれを聞いて、父さんは本当のタルマンだと確信したの。でもルリアンは『全然かっこよくないけど、どんなに事故を起こしても不死身ってこと。それに一部の記憶のみ欠落してる。まるで別人に体を乗っ取られたみたいに。ホント不思議だよね』って。まるで父さんを試すように。それとも自分のことを話していたのかしら」
「母さん……わかってたの?」
「あの日『白米と納豆が懐かしい』って言ったでしょう。父さんは『それはどこの国の食べ物だ?』って、わからなかった。もちろん母さんもわからなかったわ。母さんはルリアンに、『父さんは世界一かっこよくて勇敢なのよ。トーマス王子とメイサ妃の誘拐事件にも協力したし、あなたが事件に巻き込まれた時も犯人に勇敢に立ち向かって救出してくれたんだから。稼ぎは少なくてもこの国の英雄なんだからね』と話した。本当のルリアンなら知ってるはず。だから知っているかどうか聞いたのよ。ルリアンは『はいはい。英雄ね。貧乏な英雄だな。ねえ義父さん。義父さんは……本物のタルマン・トルマリンなんだよね?』って確かめたわ。それで母さんはピンときたの」
「あの時から……わかってたの?」
「父さんは『当たり前だろ。本物ってなんだ? そっくりさんでもこの世界にいるのか?』って、それでもルリアンは『記憶喪失で本当の名前を忘れたなんてことはないよね?』って、何度も何度も父さんに確認したわ」
「だから母さんはあの時、『そうですよ。あなたはずっとタルマン・トルマリン、私の夫です。父さん、そろそろ仕事に行って下さい』って言ったのね」
「私はトーマス王太子殿下の秘書になるルリアンに、『どんなに本気になっても、あなたは所詮童話の人魚姫。魔法使いにガラスの靴でも貰わない限り、王子様と結ばれることはないのよ』と忠告したわ。何故ならルリアンは……いずれ別の世界に戻ってしまうのではないかと思ったから」
「だからあんな話をしたの?」
――『ルリアンを見ているとね。数年前の父さんを見ているみたいで。目の前にいるルリアンが、どことなく娘のルリアンとは違うような……。母親だからわかるのよ。ルリアン、『白米と納豆』ってなに? 『まるで別人に体を乗っ取られたみたいに』って、父さんに言ったよね? ……あなたは本当にルリアンなの?』
(ナターリアは……。いや、母さんは全部気付いていたんだ。私がルリアンじゃないってことを。)
「ルリアンは『母さん。やだなあ、私はルリアンに決まってるでしょう。『白米と納豆』は異国の食べ物で、昨日世界史で勉強したのよ。義父さんが最近くだらないジョークもいわないから、『別人』みたいって言っただけよ。私がちゃんとトーマス王太子殿下の秘書になってしっかり稼いで、母さんに楽な生活をさせてあげるからね』って。あなたは本当に私に魔法をかけてくれたわ。ホワイト王国の農村出身の私に、トーマス王太子殿下のお妃の御生母様という魔法を……。もう素敵な夢を見させてもらったわ。タルマン、ルリアン、ありがとう。明日二人は元の世界に戻るのでしょう。母さんなら大丈夫。魔法が解けても本当のタルマンとルリアンを必ず捜し出すから。そうでないと、トーマス王太子殿下に申し訳が立たないわ。ルリアンのことだから、トーマス王太子殿下には真実は話してないのでしょう。最後に二人の現世の名前を教えてくれませんか?」
「ナターリア、ナターリア、私はタルマン・トルマリンの体を借りている。日本という国からこの異世界に転移した木谷正なんだ。交通事故で義娘の亜子だけが先に転移したから、慌てて迎えに来たんだよ。現世では木谷も亜子もいまだに昏睡状態なんだ。戻らなければ脳死判定されてしまうかもしれない」
「やはりそうでしたか。私はタルマンもルリアンも愛しています。決して二人のことを忘れたりしないわ。どうか……死なないでね。お願いだから……死なないでね」
号泣するナターリアをタルマンは強く抱きしめた。ルリアンも泣きながらナターリアに抱きついた。
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