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 全ての公務を終え王宮に戻ると午後六時を過ぎていた。トーマス王太子殿下の部屋に入り、気遣いで疲労困憊のルリアンとは対照的に、スポロンは落ち着いた様子で疲れなど微塵も感じさせない。


「スポロン、ケビン伯爵夫妻との食事会だが、伯爵令嬢のキャシーさんも同席していた。その意図は私のお妃候補のお見合いのつもりだろう。マリリン王妃も往生際が悪いな。スポロンもちろん断ってくれ」


「畏まりました。ルリアンさん、ローザさんがあとで秘書室に来るようにとのことです。国王陛下と王妃との会食の日取りのことだと思われます」


「わかりました。今日は足手まといではありませんでしたか? スポロンさんがいなかったら、私一人ではとてもできませんでした。ありがとうございました」


「ルリアンさんはトーマス王太子殿下の婚約者になられるお方です。秘書の仕事は必要ありません。正式に婚約が決まればお妃教育が始まります。秘書の仕事はお気になさらずに。お妃教育は比較になりませんからね」


「お妃教育!!」


「こら、スポロン。ルリアンを怖がらせるな。ルリアンは私の隣で笑っていればいいんだよ」


 (ていうか、かなりのプレッシャー。本物のルリアン・トルマリンなら出来るのかな。私は自信ないよ。)


「トーマス王太子殿下、スポロンさん、私は秘書室に戻ります。明日も宜しくお願いします。失礼します」


 トーマス王太子殿下とスポロンにお辞儀をして、部屋を出ようとしたら、トーマス王太子殿下に呼び止められた。


「ルリアン、忘れ物だよ。『おやすみなさい』のキスは?」


 思わず足が止まり、固まったルリアン。スポロンの眼差しが気になり振り返れない。


「トーマス王太子殿下、執事の前ではしたない。仮にもまだルリアンさんは秘書です。正式に婚約したわけではありませんよ」


「はいはい。スポロンは堅物なんだから。ルリアン、また明日」


 『チュッ』と投げキッスしたトーマス王太子殿下を見て、スポロンは呆れたように投げキッスを右手でキャッチした。


 ―秘書室―


「ローザさん、お待たせしました。遅くなり申し訳ありません」


「いえ、本日はご公務が多く大変だったでしょう。三日間休暇を取られていたので致し方ありません。疲れませんでしたか?」


 ルリアンはローザの前では素直に弱音が吐けた。


「疲れましたあ……」


 ローザはクスクスと笑う。


「でしょうね。トーマス王太子殿下が昨夜国王陛下とのディナーで暴走されたようですね。しかし、盗聴器を含め、メモリー・ダイヤモンドをトリビア・カルローに尾行させていたとは、マリリン王妃もしたたかですね。変装は妙案だと思ったのに、あっけなくバレてしまいましたが、トーマス王太子殿下もあっさり白状なさるとは」


「申し訳ありません。私が秘書の身分でありながら、一夜を共にしてしまったせいです」


「それで本題ですが、国王陛下と王妃もご公務が忙しいため、明後日、午後六時に国王陛下の私的なダイニングルームで両家の会食を行うことになりました。来賓室ではトルマリン夫妻が緊張なさると思いまして。少しでもリラックスしていただくのと、まだ王室内でも極秘の会食となりますため、トルマリン夫妻にもそうお伝え下さい」


「明後日ですか!? もう少し時間に余裕が欲しかったです。義父も母もテーブルマナーはおろか敬語もろくに使えないのです。ローザさん、お願いします。国王陛下や王妃に失礼のないように、明日と明後日で両親を特訓していただけませんか?」


「ご両親を特訓ですか? ルリアンさん、トーマス王太子殿下との婚約に前向きになられたのですね。もう気持ちの整理はつきましたか?」


 (気持ちの整理……。ローザさんはサファイア公爵邸で私に色々話してくれた。それはまるで、私が現世からこの異世界に転移したことを知っているようだった。義父までも転移した今、正直に話すしかない。)


「ローザさん、信じて貰えないかもしれませんが、私は本当は日本から転移した滝川亜子です。でもこれはトーマス王太子殿下には言わないで下さい。トーマス王太子殿下はルリアン・トルマリンを本気で愛されているから……。きっと本当のルリアンも同じ気持ちのはず。私は今ルリアンの体を借りているにすぎないから、二人の愛を壊したくないのです」


 ローザは驚くわけでもなく、この奇想天外な話を冷静に聞いていた。


「ルリアンさんがいつ真実を語っていただけるか、私は待っておりました。サファイア公爵邸を訪れた際に、メイサ妃に色々質問していたルリアンさんは、たいそう切羽詰まった様子でしたし、ルリアンさんの夢の話は満更嘘ではないと思っておりましたから」


 (やはりローザさんはとっくの昔に察していたんだ。)

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