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その日、トーマス王太子殿下は最後の休暇をルリアンと二人で過ごした。
朝食も昼食もメイドではなくスポロンが部屋に運んでくれた。
「金髪に赤いドレスの女性は、メモリー・ダイヤモンド様であると、ローザさんから命じられました。トーマス王太子殿下、ディナーは国王陛下と王妃がご一緒にと申されています。ルリアンさんが秘書の制服でこの部屋から出られるのはとても不自然なので、退室される際は金髪のウイッグと赤いドレスをもう一度着用され退室していただけますか? ご承知の通り王宮の廊下には防犯カメラが設置されていますので」
「そうだな。ルリアン申し訳ない。もう一度あのドレスを着用して退室してくれるか?」
「わかりました」
「ルリアンさんを送るために、公用車を使うわけにはいきません。かといって徒歩で使用人宿舎に戻るわけにもいきますまい。そこで個人タクシーを呼びました。個人タクシーなら、パパラッチに追われることもないでしょう。車内で着替えをされて宿舎にお戻り下さい。明日からは秘書としてお務め下さい」
「スポロンさん、個人タクシーって……。義父さんですよね?」
「こんなことトルマリンさんにしか頼めませんよ。トーマス王太子殿下が蒔いた種でございます。国王陛下や王妃に叱られるのも自業自得。私は何も知らなかったということにさせていただきます」
「わかってるよ。スポロンにもローザにも何ら責任はない。万が一、バレたら私が全責任を取る。トルマリンさんは何時にルリアンを迎えに来る?」
「午後三時となっております。ディナーは午後六時から。王妃のことです。女性と一夜を過ごされたことがわかれば、この部屋に逢いに来られるかもしれません。そうならないためにも、少し早めにルリアンさんにはご帰宅していただきます」
「午後三時か。あと数時間で私の休暇も終わりだな」
「トーマス王太子殿下、昨晩トータス王子と王宮でお逢いになられたとか。明日からは王太子殿下と秘書でございます。くれぐれもご用心下さい」
「わかってるよ。だが、私の執事であるスポロンだけには言っておくよ。私はいずれルリアンと正式に婚約し必ず結婚する。国王陛下や王妃が反対しようと構わない。ルリアンは表向きは秘書だが私の恋人だ。この部屋ではルリアンに無礼のないように」
「はい。心しております」
スポロンはルリアンに敬意を表し深々と頭を下げた。それに慌てたのはルリアンの方だった。
「スポロンさん、やめて下さい。トーマス王太子殿下もムチャ振りしないで。私は秘書です。スポロンさんの方が立場は上です。それに私はまだ秘書実習中。厳しい指導をお願いします」
「いやあ、そう言われましても。私のご主人様はトーマス王太子殿下なので。トーマス王太子殿下の命令が一番でございますゆえ。では、午後三時にお迎えに上がります」
スポロンは再び深々と頭を下げて退室した。ルリアンはスポロンの態度に困り果てている。
「トーマス王太子殿下、スポロンさんに無理強いしないで」
「トーマスでいいと言ったはずだよ。ルリアン、ムチャブリとは何だ? 魚の名か? 薬草の名か?」
(この世界ではムチャブリも通じないの?)
「……っ、もういいです」
「そんなことより、あと数時間で明日までお別れなんだよ。ルリアン、二人の時間を楽しもう」
ルリアンを抱き締めてキスを落とすトーマス王太子殿下の唇をルリアンは手で塞ぐ。
「それよりトーマスにひとつ聞きたいことがあるの」
「トーマス? 嬉しいなあ。なんだい?」
トーマス王太子殿下のキスは止まらない。ルリアンはそのままズルズルと後退し、寝室に入るとベッドに押し倒された。
「トーマス、メイサ妃から聞いたのです。メトロ公爵夫人の遺品の赤い薔薇が描かれた万年筆をお持ちですか?」
「赤い薔薇が描かれた万年筆? ああ持っているよ。母から『自分の代わりだと思って大切にするように』と頂いたものだ。『これは幸運をもたらす万年筆、将来のお妃に差し上げなさい』とも言われたな」
「トーマス、赤い万年筆を持ってるのね。見せて下さい」
「どうしたんだ? ルリアン変だよ?」
ルリアンはトーマス王太子殿下の体を押し退け、ベッドの上に正座する。
「お願いです。私に見せて下さい」
「わかったよ。ベッドの横にあるサイドボードの抽斗の中にある。開けてごらん」
「サイドボードの抽斗。やはり、あの時この部屋にあったのね」
「あの時?」
ルリアンはサイドボードの抽斗に手をかけた。抽斗を開けるとそこには赤い薔薇が描かれた万年筆があった。
「その万年筆がそんなに気に入ったなら、ルリアンにプレゼントするよ。ルリアンは将来のお妃だからね」
トーマス王太子殿下は赤い薔薇が描かれた万年筆をルリアンの掌の上に置くと、赤い万年筆は艶めかしいパープルの光を放った。
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