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 ―サファイア公爵家の領地・葡萄畑―


 葡萄畑に到着した一行は、誰の目も気にすることなく葡萄畑を見学した。広大な領地。青空はどこまでも広がっている。


 トーマス王太子殿下はルリアンと繋いだ手を離そうとはせず、その後ろを心配そうにウロチョロするタルマンを見ながら、レイモンドもメイサ妃も笑いを堪えることができなかった。


「ご主人様、メイサ妃、ルリアンさんとタルマンさんは血の繋がりはないそうですよ。タルマンさんはルリアンさんの実父にとてもよく似ているそうですが、こうして見ているとまるで実の父娘みたいですね」


「そうなんですね。ローザさん、トーマスは王室に馴染めてますか? 国王陛下や王妃に愛されていますか?」


 レイモンドは心配そうに、ローザに問いかける。


「はい。国王陛下の愛情を一身に受けトーマス王太子殿下は立派な青年王族となられました。義母のマリリン王妃も我が子のようにトーマス王太子殿下を溺愛されています。王位継承のこともありますが、私の推測ではマリリン王妃がご主人様レイモンドを手に入れることができない代わりに、御懐妊したと偽りメイサ妃から国王陛下を奪い、メイサ妃とご主人様からトーマス王太子殿下までも奪われたのだと思っております。あの時、王太后よりもトーマス王子の奪還を強く望まれていたそうですから」


「……まさか。あのマリリンが」


「どんなに純真な女性でも、何度も愛する人に裏切られたら、その心は深い闇に包まれ悪魔と化して、幸せな家庭を壊したくなるものです。今では国王陛下を掌の上で転がし、意のままに操るほどの権力を手に入れられました。純真だった頃のメイドのマリリンはもうどこにもいません」


 レイモンドはマリリンの近況を聞きとても複雑だった。


「全部私のせいですね。私が二人の女性の生涯を狂わせた。トーマスを手放さなければならなくなったことは、メイサにもトーマスにも申し訳ない気持ちでいっぱいです」


「トーマス王太子殿下はご自分で王室に残ると決意されたのです。ですが、お妃候補に選ばれたのは公爵令嬢ではなく、一般人のルリアンさんでした。メイサ妃が一般人のご主人様を選ばれたように、トーマス王太子殿下も一般人のルリアンさんを選ばれた。やはり血筋は争えませんね。国王陛下はメイドだったマリリン王妃と再婚されたため、ルリアンさんとの婚約に反対はされないでしょうが、マリリン王妃は自身のお家柄に引け目があるのか、高貴な公爵令嬢とのお見合いを勧めていらっしゃいます。トーマス王太子殿下とルリアンさんが周囲の圧力に負けなければよいのですが」


「そうですか。トーマスは私に似て優柔不断なところもありますから」


「ところでご主人様は、ご主人様ですよね? 最近事故に遭われ昏睡状態になり、ゾンビのように息を吹き返したということはないですよね?」


「何を言ってるんですか? それは何年も前の話でしょう。私はこの国でメイサやユートピアと幸せに暮らしている。心残りはここにトーマスがいないということだけです。ずっと寂しくて、メイサに申し訳なかったが、立派に成長したトーマスとその恋人が、まさかタルマンさんの義娘さんだったとは、こんな不思議なご縁はないと思っていますよ。二人には幸せになって欲しいと願っています」


「ご主人様がレイモンド様だとわかり、安心致しました。トーマス王太子殿下とルリアンさんのことは、この私にお任せ下さい」


「私はレイモンドです。ローザ、どうかしたのか?」


「何でもございません。誠実で堅実なご主人様に戻られ、ローザは安心してパープル王国にてお役目を果たせます。ずっとメイサ妃のお傍にいらして下さいね」


「当たり前です。この澄み渡る空に誓うよ」


 大空を見上げて微笑むレイモンドに、ローザの口元も自然に緩んだ。


 ――正午になり、大地にシートを敷きみんなでランチボックスを囲み、皿に取り分ける。


 ユートピアはトーマス王太子殿下の前に、一つランチボックスを置いた。


「なにこれ? 私だけ特別なのか?」


「お兄様のランチボックスは特別だよ。だって王太子殿下だからね。他の者と分け合うわけにはいかないでしょう。それ残したらダメだよ。全部食べてね。食べ物は粗末にしたらダメなんだからね」


「ユートピアは生意気だな。王太子殿下の特別ランチボックスか。どれどれ」


 トーマス王太子殿下がニマニマしながら蓋を開けると、どう見ても他の豪華なランチボックスとは明らかに見栄えは違っていた。パンからはみ出した歪な形のベーコンや玉子。焦げたチキンやフライドポテト。


「これユートピアが作ってくれたんだろ。嬉しいな。いただきます」


 トーマス王太子殿下はサンドイッチを一口食べて、顔をしかめてメイサ妃を見つめた。


「ユートピア、これを作ったのは母さんだね。このマスタードやケチャップを入れすぎた微妙な味は、母さんのサンドイッチだ。焦げたチキンやフライドポテトもだろう。母さん、わざわざありがとう。でも、味は昔と同じ三十点だね」


「まあ失礼ね。一生懸命作ったのよ」


 レイモンドやタルマンは笑っていたが、ルリアンはトーマス王太子殿下の瞳が潤んでいることを見逃さなかった。メイサ妃の瞳にも涙が光る。メイサ妃の料理を完食したトーマス王太子殿下。ルリアンは感動して胸がいっぱいになった。

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