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 ◇


 ―サファイア公爵邸・ゲストルーム―


 ベッドの上で優しく触れる唇。

 まだ夜が明けきらない白い空。


 大好きな人に見守られている幸せ。

 同じ朝陽を見つめながら、カラダに刻まれた昂幸の愛の余韻に浸る。


「昂幸……」


 ルリアンの瞳に涙が浮かび、トーマス王太子殿下は思わず唇を離した。


「タカユキとは誰なんだ? 夢でも見ているのか?」


 (そう言えば、以前もルリアンはおかしなことを言ったことがある。)


 ――あれはまだ秘書になる前、王宮のトーマス王太子殿下の寝室だった。


『タカユキ? ルリアン、タカユキって誰だよ? まさか、移民と浮気したのか!? 私という恋人がいながら、他の男と情を交わしたとは……。嘘だろう』


『移民? やだな。昂幸なんの冗談? 他の男と情を交わすなんてあり得ない』


 そう言ったと思ったら、急に狼狽え始めた。


『ここは……どこ? あなたは昂幸じゃないの? あなたは……誰』


『ルリアン、いい加減にしないと怒るよ。さっき慣れないハイヒールで躓いて転けて頭でも打ったのか? 私はルリアンの恋人、トーマス王太子。この私を忘れたとは言わせないよ』


 (あの時は、単にルリアンが寝ぼけていて名前を間違えただけだと思っていたが、ルリアンにはもしかしたら私以外に想い人が……?)


 ルリアンの瞼に滲む涙をトーマス王太子殿下は優しく指で拭った。でも心に芽生えた嫉妬は拭えなかった。


 (ルリアンが本当に自分以外の男性に想いを寄せているのなら、無理にルリアンを抱くことは自分の意に反する。私はそこまで強引ではない。だが……タカユキという男に逢って、ルリアンとは真剣交際なのか確認する必要はある。万が一、ルリアンを弄んでいるのならそれは許さない。権力を振りかざしても投獄してやる。)


 ――その時、ドアがノックされた。

 ドアの隙間から顔を覗かせたのはローザだった。


「おや、ルリアンさんはぐっすりおやすみですか? お邪魔かと思いましたが、実はここは私の部屋でしてね。使用人もこの部屋は私が宿泊し、隣室をルリアンさんが宿泊していると思っています。一応、安全のためにそのように説明致しました。トーマス王太子殿下? せっかく二人きりなのに随分浮かない顔ですね。少し来るのが早すぎましたか?」


 ローザは悪びれもせず茶目っ気たっぷりに笑った。トーマス王太子殿下はルリアンの体に毛布をかけて、ローザに近付く。


「ローザ、最初から私とルリアンの邪魔をするつもりでわざと自分の部屋を教えたんだろう」


「おや、バレました? サファイア公爵邸でイチャイチャされたら、どこから情報が漏れるかわからないですからね。これはルリアンさんの身の安全を守るためです。この部屋はツインですので、朝までこの私が御守りしますよ」


 ローザはニヤリと口角を引き上げた。


「夜這いできなくてすみません」


「ローザ、ちょっと隣室で話がしたい」


「何事です? ここは笑うか怒るかのどちらかでしょう。拍子抜けしますね」


 トーマス王太子殿下はローザと隣室に入り、ローザに問いかけた。


「タカユキという男を知っているか? 名前からして移民と思われるが。私が留学中にルリアンは他の男と交際していたのか?」


「ルリアンさんが他の男性と交際ですか? ハイスクール時代からよく存じ上げてはいますが、美人なので男性からはモテますが、トーマス王太子殿下以外の男性と交際されていた話は聞きませんが?」


「ルリアンが寝言で『タカユキ』の名を呼んだんだ。涙まで溢した。よほどその男を愛しているのだろう」


「『タカユキ』そういえば先ほどルリアンさんがメイサ妃に色々お話をされていましたが、メイサ妃もレイモンドさんが以前『ミリ、タカユキ、ユウ』と叫ばれたと話されていました。その時の話を夢で呟かれたのではないですか? なんせ酔っぱらいですから」


「そうとは思えないのだ」


 いきなり臀部にバシッと痛みが走った。ローザがトーマス王太子殿下に右手を振り上げたのだ。


「何をしょげているのですか。トーマス王太子殿下らしくもない。ルリアンさんは察するに何か悩んでいるようです。恋人なら話を聞いてさしあげればよいではありませんか? グジグジグジグジ、そういうところはご主人様にそっくりです。私は今夜はルリアンさんの部屋でやすみます。トーマス王太子殿下の夜這いを阻止するつもりでしたが、気の済むまで話し合いなさい。サファイア公爵邸には盗聴器はございませんからね。さあ、隣室にお戻り下さい。ただし、朝までいてはなりませんよ。この階にはトルマリンさんもスポロンも公用車の運転手も宿泊しているのですからね。深夜皆が寝入ったら、自室にお戻り下さいな。私も隣室に戻りますゆえ」


「ローザ、ありがとう」


「まだ私の仮定はお話しできませんが、ルリアンさんの不安な心を癒して差し上げることができるのは、トーマス王太子殿下だけなのですよ。一人の女性を幸せにできない者が、一国の国王陛下にはなれません。しっかりなさい」


 再び臀部にバシッと痛みが走る。ローザが回し蹴りをする素振りを見せ、トーマス王太子殿下は慌ててルリアンの眠る隣室に戻った。

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