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 ―サファイア公爵邸・玄関前―


 玄関前にはサファイア公爵家のメイドや執事、そしてメイサ妃とレイモンド、少年に成長したユートピアが待っていた。


 メイサ妃はトーマス王太子殿下の御生母ということもあり、いまでもパープル王国の国王陛下より妃の称号は認められていたが、メイサ自身は一般人のレイモンドと結婚し、公爵家に戻った今、妃の称号はとても重く感じていた。


 それでも愛するトーマスが王太子殿下となることを選択したことで、妃の称号を自ら外すことはできなかった。


 当然ながら我が子なのに自由に逢うこともできず、トーマス王太子殿下との再会は実に七年振りだった。それだけにメイサ妃もレイモンドも感慨深いものがあり、個人タクシーと公用車が玄関前に近付くにつれ、涙が込み上げた。


 みんなの視線は自然と公用車に向く。個人タクシーが先に到着し、後部座席に乗っている奇抜な二人よりも、メイサ妃もレイモンドもゲジゲジ眉毛の運転手に釘付けになった。


「トルマリンさん! いえ、キダニさん? 懐かしいですね。お久しぶりです。お元気でしたか? 本日はマジシャンを連れてきて下さったのですね。ユートピアが喜びます。さあ、お付きの皆さんも邸宅にお入り下さい」


 タルマンはメイサ妃とレイモンドの言葉に慌てて運転席から降り「私はキダニではありません」とだけ否定して、タクシーの後部座席のドアを開いた。ユートピアは初めて見るマジシャンに瞳を輝かせている。


「父さん、母さん、お久しぶりです。ユートピア、大きくなったなあ。私と身長が変わらないよ。これは驚いた」


「えっ……? マジシャンではなくて、まさかお兄様ですか? お兄様は王太子ではなくマジシャンになられたのですか?」


 ユートピアは目を丸くしてトーマス王太子殿下をまじまじと見つめた。


「まさか、トーマスなの!? どうしてそんなヘンテコな格好を?」


「そうだよね。ローザが変装しろっていうからさ。でも変装したおかげで私達はパパラッチにも追われなかった。こちらはマジシャンの助手ではなく、私の秘書、ルリアン・トルマリンだよ」


「ルリアンさん? あの時のルリアンさんなの? なんてことでしょう。美しい女性になられて見違えたわ。その金髪はもしかして……」


「はい。みんなウイッグです。変装も初めてでなかなか楽しかったです」


 メイサ妃はもう黒髪を隠すことなく、堂々と過ごされている。


「あのルリアンさんがトーマスの秘書だなんて。もう交際はしてないの? それとも交際を隠すために秘書に?」


 『交際』という言葉に、タルマンが眉間に皺を寄せ「ゲフゲフ」とわざとらしく噎せた。


「これはタルマンさん、お久しぶりです。お元気そうでなによりです。逢いたかった!」


「これはレイモンドさん、お久しぶりです。私も逢いたかったです!」


 抱き合って再会を喜ぶレイモンドとタルマンに、メイサ妃が『待った』をかけた。


「まさか……タルマンさん、またレイモンドを迎えに来たの? それだけはやめて下さいね」


「レイモンドさんを迎えに? はて? 何のことやら? 退院以来なので懐かしくなり思わず抱き着いてしまいました。私はトーマス王太子殿下の送迎をするために王室に雇われた運転手、タルマン・トルマリンです」


「そうですか。ローザ、本当に大丈夫なのね?」


 ルリアンはメイサ妃の慌てた様子と『キダニ』という現世の義父の苗字を聞き不安を抱いた。それに加え『迎えに来たの?』『ローザ、本当に大丈夫なの?』とは、タルマンが『また事故をしないか?』と心配しているに違いなかったからだ。


 ローザもスポロンも穏やかな顔でメイサ妃を見つめている。


「メイサ妃、お久しぶりです。ご安心下さい。タルマン・トルマリンはこの世界の者です。ご主人様レイモンドお久しぶりです。ご主人様もお変わりなく過ごされていて、ローザは安心致しました」


 やはりメイサ妃とローザの会話は不自然だとルリアンは思った。『タルマン・トルマリンはこの世界の者です』とローザが発言したからだ。


 (やっぱり義父さんとレイモンドさんは、この異世界にいる本物なんだ。違うのは私だけ、現世に戻る希望は消え絶望に襲われたが、メイサ妃とローザさんは何らかの真実を知っているに違いない。)


「皆さん、玄関先での立ち話ではなく、邸内にお入りなさい。トーマス、私達はサファイア公爵邸に戻りお祖父様の代わりに領地を守っているのよ。今日はトーマスに大切な話があるの」


「はい。ルリアン、とりあえず邸内に入ろう」


 すかさず手を繋いだトーマス王太子殿下に、ルリアンはギョッとして繋がれた手を解く。メイサ妃は二人を見つめて優しく微笑んだ。


 ◇


 家族揃っての会食、その席にメイサ妃はローザやスポロン、ルリアンやタルマンにも同席するように勧めた。


 公用車の運転手や護衛車の警察官にも別室で食事を振る舞った。


 ルリアンは一時間前にハンバーガーを食べたばかりで空腹ではなかったが、せっかく用意して下さった食事を断るわけにもいかず、トーマス王太子殿下ではなく、タルマンの隣に着席した。


「ルリアンは私の隣に。父さん、母さん、いいだろう」


「私達は構いませんよ。二人がそのような関係なら」


「いえ、私は秘書です。義父の隣で大丈夫です」

 

「ルリアン、秘書だからだよ。秘書は私の隣に着席すると決まっている。早く座れ」


 (本当かな? そんな教育、秘書室でされなかったけど。)

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